第三章 第八話 ~ 傷 ~


「……あ?」


 ……まず最初に感じたのは、だった。

 肩から腹にかけて、急に焼け付くような熱が走ったかと思うと、怖気が走る感覚が延髄から尻へと背骨の中を通り抜ける。

 そこまで経ってようやく俺は……


 ──俺が、斬られた?


 そのことに気が付いたのだ。


「いっ、てぇえええええええええええっ?」


 絶対無敵である筈の俺が……あれだけの矢が突き刺さっても剣で斬られても槍で突かれても痛みの一つさえ感じない所謂『無敵モード』中だった筈の俺が……

 破壊と殺戮の神の化身として絶対の存在として崇められていた、この俺の身体が傷つけられた……そのを認めることが出来ず、だけどこの痛みを無視することも出来ず……知らず知らずの内に俺の口からはそんな悲鳴を零れていた。


「てぇんだよ、畜生っ!」


 それでも痛みを感じた瞬間、カッと頭に血が上った俺は半ば衝動的に……欲していた戦巫女の安全すらも忘れ、渾身の力を込めて戦斧を横薙ぎに振るっていた。


「……っ、効いてないっ?」


 幸いにしてその衝動的な一撃はセレスが背後に跳んでくれたことで大事にならなかったのだが……そうして彼女が後退したことで一息ついた俺は、じくじくと痛み続けている切り傷に恐る恐る手を触れてみる。

 傷口に触れた手は真っ赤に染まり……どうやら掌を染めるほどの量の、鮮血が流れているらしい。


 ──死、死ぬ?

 ──いや……浅い、か。


 触ってみて分かったのだが、どうやら斬られたと言っても程度……カッターで軽く斬られた程度であり、出血はあるものの致命傷には程遠いようだった。

 医学的知識がない筈の俺に何故か浮かんできたそのに、俺は安堵の溜息を吐き出す。


 ……だけど。


「神剣でもその程度とは……

 しかし、この剣なら斬れるようですね!

 破壊と殺戮の神ンディアナガルの化身よっ、覚悟致しませっ!」


 ……眼前の戦巫女が、俺を害する手段を手にしている彼女が、このまま俺を放っておいてくれる訳もないっ!


「うわっとっ!」


 技量と速度……どちらも俺とは比べ物にならない相手からの攻撃を避けるため、俺はみっともなく身体を地に投げ出していた。

 幸いにして彼女が手にしているのは神剣……長さ60センチ程度の鉄の棒でしかなく、不格好だろうと無様だろうと必死に距離さえ取ってしまえば、そうそう斬られることはない。


 ……だけど。


 ──このままじゃ……殺されてしまう!


 俺は傷口の痛みと、そうして湧き上がってくる恐怖に駆られ、どうにか眼前の刃物を振り回し続けるから逃げ出す策を練っていた。

 そもそも……


 ──無敵だと分かっていたから無双出来ていたのだ。

 ──無敵だと分かっていたから好き勝手に殺戮して笑っていたのだ。

 ──無敵だと分かっていたから戦巫女を殺さずにハーレムに入れてやろうと遊んでいたのだ。


 怪我をすると分かったら……こんな戦争なんて危険で汚くて怖くて不合理で愚か極まりない行為、やってられる訳がない!


「おっ!

 おわっ!

 たっ!」


「~~~~っっ!

 戦いなさい、破壊と殺戮の神よっ!

 よもや臆しましたかっ!」


 戦斧を振り回し、身体ごと地を這い、砂と土と塩まみれになっても必死に逃げ続ける俺に対し、セレスは神剣を振り回しながら追いかけてくる。

 苛立ったような彼女の叫びにはなけなしの自尊心が傷つけられている感じがあるが……それでも、斬られると分かって斬り合いをするバカはいないだろう。


「へっ!

 あの餓鬼、逃げ回ってやがるっ!」


「サーズ族の神とやらが、無様極まりないな、おいっ!


 そうして体裁も何かも捨てて逃げ回っている俺に向け、べリア族の連中からそんな下品極まりない野次が飛んできた。

 野次の主は髭面の四十代と禿の三十代くらいの野郎二人……命懸けで必死に逃げ回ている人様の気も知らず外野から好き勝手言いやがる、如何にも下衆そうな面をしているその雑魚共に苛立ちを覚えた俺は、思わず唾を吐き捨てていた。


 ──そう、だっ!


 そうして、頭に血が回ったことが……心を埋め尽くしていた「斬られる恐怖」を怒りが追い出してくれたのが良かったのか。

 その髭面と禿のツラを睨みつけた瞬間……俺はこの絶体絶命の状況を打破する策を思いついていた。


「ほい、パスっ!」


「~~っ、な、何をっ?」


 俺は手に持っていた唯一の武器である戦斧を敢えて軽くことで、セレスを一瞬だけ怯ませる。

 軽く手渡されたように見えるその戦斧は、実のところ身の丈を超える大きさの凶器であり……黒衣の神官共では一人で持ち上げることすら出来なかったである。

 歴戦の戦巫女であっても、殺意すらなくただ手渡されただけのソレが一体どういう代物なのかを察するにはコンマ数秒を要し……慌ててその戦斧から身を躱した彼女の態勢は大きく崩れてしまっていた。


「よしっ!

 てめぇ、そこ、動くなっ」


「な、何をっ?」


 そうして大きな隙を晒したセレスに対し、俺は背を向けて逃げ出すと……外野で俺野次を飛ばした髭面の方へと全力で走り始める。

 背後からは戦巫女の戸惑った声が響いていたが……背後から神剣を投げつけられない限り、姿勢の崩れた彼女には俺を止める術などありはしない。


「ひ、ひぃいいいっ?」


「食らい、やがれぇぇええっ!」


 俺は驚いて身を竦ませたその髭面の胸ぐらを掴むと、ただ力任せにセレス目がけて放り投げる。


「~~っ!」


 その反応速度は、流石べリア族の切り札と言うべきだろう。

 俺を斬るべく前傾姿勢でこちらへと向かっていたセレスは、完全に想定外だった筈の、投擲された人間ミサイルを……頭から突っ込んでくる同胞という名の凶器を、地面に身を投げ出すことで躱してみせる。

 尤も、無理な姿勢が祟ったのか、それともその長いスカートが足にもつれたのか……彼女の体勢は大きく崩れてしまっていた。

 ちなみに、飛んで行った髭面はべリア族の兵士たち数名を巻き込み、そのまま動かなくなっていたが……まぁ、知ったことではない。


「はははっ、これならっ!」


 そうして体勢を崩した戦巫女を見てこの攻撃の効果を実感した俺は、近くで腰を抜かしていたべリア族の男を左右の手で一人ずつ掴むと……必死に起き上がろうとしているセレスへと駆け寄り、まずは右のソレを使って殴りかかる。


「次のコレは、どうだぁあああああっ!」


「ぎゃああああああああああああああっ!」


 俺の雄叫びと、武器にされたべリア族の戦士の悲鳴とで彩られたその一撃は人を簡単に殺せるだけの速度と質量を誇っていた。

 だけど……そんな質量兵器が自分の身に襲い掛かっているというのに、金髪の戦巫女は冷静そのものだった。

 身を躱しての回避は不可能だと悟ったのか、俺の振ったを神剣で切り払うことでその直撃を避けたのだ。


 ──グチャッ。


 尤も、自分の命を優先したツケは重力の手によってその身に降りかかり……彼女は武器にされた男の血と臓物とを身体中に浴びる羽目に陥っていた。


「~~~っ、きさまああああああああああああっっ!」


「くかかかかかかかかかかかかかかっ!」


 仲間を自分の手で殺させられた所為か、それとも血と臓物を全身にぶちまけられた所為か。

 セレスが激昂してそう吠えるものの、俺はその怒鳴り声に構うことなく……動揺して隙だらけの彼女目がけ、上段から左の武器を……まだ生きている人間を叩き付ける。


「~~~っ!」


「ぎゃあああああああ……ひでぶっ!」


 血まみれの戦巫女は、崩れた態勢を戻す暇も与えられないまま、それでも強引に横へと大きく跳ぶことで、俺の一撃を見事に回避してのける。

 しかし、顔面から地面に叩きつけられたべリア族の男は耳触りな音を立てながら顔面を潰し息絶えてしまう。

 実際のところ、そのの生死をしっかりと確認した訳ではないのだが……頭蓋が潰れ脳漿が飛び出していた時点で生きていないのは確実だろう。


「……貴方はっ!」


「ちぃっ!」


 直後、怒りで身体のリミッターを外したとでも言うのか、緊急回避した直後で隙だらけだった筈のセレスは、地面に神剣を突き立てると……その神剣の柄を軸とすることで強引に身体にかかっていた慣性の方向を捻じ曲げ、ほとんど間を開けず俺の方へとすっ飛んできやがったのだ。

 そうして横薙ぎに振るわれたセレスの神剣を、俺はとっさに先ほど使ったばかりので……頭蓋の潰れた遺体で受け止める。

 だが、流石は神剣と言うべきか、俺の手にした肉の盾はまるで豆腐でも斬るかのように真っ二つに叩き切られた。

 胴を断ち切られた死体からは返り血と臓物とが飛び散り、俺の身体にも飛び散っていたが……神剣に狙われている今の俺には、その不快感に構っていられる余裕などある筈もない。


「おわっ!

 何て切れ味だっ?」


「死者を冒涜するなどっ!」


 真っ二つになって役割を終えたを投げ捨てながらの俺の言葉に、戦巫女はますます激昂して吠える。

 だが、生憎と俺は、ただ殺されないようにするだけで精一杯で、彼女の機嫌を取るどころか、言葉を選ぶ余裕すらない有様だった。


「正々堂々戦いなさい!

 それでも神の一柱ですか!」


「知ったことかっ!」


 血まみれになりながら、鬼女もかくやという形相で追いかけてくるセレスの叫びに、俺は適当に言葉を返しながら必死に逃げ回る。

 まともに戦えば斬られて痛い思いをする以上、武器もしくは盾を用意しないと神剣を手にした彼女の相手は務まらず……俺はそれらを求めてべリア族の兵士たちの群れへと駆け込んでいく。


「ひ、ひぃっ、こっちへ来たぞぉおっ!」


「に、にに逃げ……ぅわぁあああ?」


 そうして振るわれる彼女の神剣を、強引に掴んだ肉の壁で受け止め、掴んだ肉の剣や槍で打ち返し……それを十回以上繰り返したことにより、俺の周囲は血と臓物と死体で真っ赤に染まっていた。


「う、う、うぁああああああああああ!」


「逃げろ逃げろ逃げろっ! 

 巻き込まれるぞ~~っっ!」


 そうして血で血を争うような、肉ごと骨を断たれるような戦いを続けていると……どうやら俺やセレスの体力よりも先に、べリア族の戦士たちの忍耐力の方が尽きてしまったらしい。

 当たり前と言えば当たり前であり、何しろ彼らの感覚ではサーズ族の略奪者と戦うつもりでここまで来たというのに……突然始まった破壊と殺戮の神の化身と、創造神の戦巫女との人智を超えたような戦いに巻き込まれてしまったようなもの、だったのだから。

 そうして恐怖に駆られてしまった彼らは、武器をその場に捨てたばかりか、彼らを護っていた戦巫女をも見捨てて必死に逃げ始めたのだ。


 ──やべぇ。


 知らぬ内にべリア族の追撃部隊との戦いに勝利を収めた俺だったが……同時に自身が追い詰められてしまう。

 何しろ雑魚兵士がいなくなってしまった以上、もう俺には盾も武器もないのだから。

 内心では冷や汗を流しながらも顔の皮一枚だけは何とか平静を保っていた俺は、この状況を打破する策を必死に考え……徐々に距離を詰めて来る戦巫女のプレッシャーに後ずさりながらも、ようやく解決の糸口を見つけ出す。


「ほら、どうする?

 こうなってしまえばサーズ族を追撃することなんか、もう無理だろう?

 一人きりになってまで……まだ戦うと?」


「~~~っ!

 つまりっ、あの無様な逃げ腰も、ただの演技っ!

 これが貴方の狙いだった訳ですかっ!」


 俺が何とか思いついた口から出まかせのその言葉に、血まみれの戦巫女は歯噛みしながら悲鳴のような声色でそんな叫びを上げる。

 ……そう。

 さっき俺の口から出た言い訳は、ただの薄っぺらい言葉でしかなかった。

 何しろ俺は、今回の戦いでサーズ族への追撃を食い止める意図など欠片もなく……ただ眼前で神剣を向けてきている、この金髪の戦巫女を力づくでモノにするつもりしかなかったのだから。


 ──上手く誤魔化せたっ。


 それでも、俺の虚栄を良い方へと誤解してくれたセレスの声に、俺は内心でホッと溜息を吐く。

 尤も、必死に取り繕っていた所為か、俺の顔の皮は固まってしまったように余裕の表情を浮かべたままになっていたが。

 俺は眼前の綺麗な美少女に恰好をつけたい一心で、余裕を持ち自信満々に見える演技を続けたまま、近くに転がっていたべリア族の兵士が捨てていったのだろう剣と槍とを手に取り、構える。


「……俺を討つことに目が眩み、戦いの目的を見失ったお前の負けだ。

 どうする……まだ続けるか、セレス=ミシディア?」


「……くぅっ」


 俺の必死の演技をどう受け取ったのかは分からないが、悔し気な表情を浮かべた金髪の戦巫女は、俺とサーズ族の集落と、そして敗走していくべリア族の軍団とに目を走らせる。

 横合いのサーズ族の集落からは、ようやく略奪品の運搬が終わったらしく数十名の兵士たちがこちらに向かって来ているのが俺の目にも見える。

 流石にこの状況では、幾ら神剣を手にしていたところで勝つことは不可能だと悟ったらしく、金髪の戦巫女は悔し気に歯を食いしばると……


「今度は……べリア族全ての戦力で、貴方を討ちます。

 破壊と殺戮の神ンディアナガル!」


 俺に神剣を向けながら、そう大声で言い放つ。


「ふん、良いだろう。

 次はその貞操帯も引き千切って、群衆の前で犯してやるさ」


 悔し気なセレスの捨て台詞に、俺は余裕の笑みを浮かべる悪役を演じながら……だけど、命の危機が去った今、女性の裸を見たいという衝動は押し殺せず……気付けば彼女の剥き出しの胸へちらちらと視線を向けてしまっていた。

 そんな俺の視線の所為でようやく自分の恰好に気付いたのか、セレスはずっと出しっぱなしだった胸を慌てて隠すと……


「覚えてなさい!」


 そう捨て台詞を放つと踵を返し……そのまま凄まじい勢いで敗走していくべリア族を追いかけ始める。

 人の両足で出せる速度とは思えない、その人間離れした健脚を見た俺は、「さっきよく追いつかれなかったな」と今更ながらに背中から斬られていた可能性に思い当り、身体を震わせていた。


「……っててて」


 そうしてセレスがようやく見えなくなった頃、力尽きるように俺は身体の力を抜いて地に腰を落とし……まだ少し痛む刀傷に手をあてる。

 幸いにして皮一枚しか斬られていなかったその傷は本当に大したことなかったようで、血も既に乾いていて傷は塞がりかけているのが分かる。

 どうやら怪我をするのに慣れていない所為で、この程度のかすり傷を深手だと錯覚してしまったらしい。

 ……だけど。


 ──俺はもう、無敵ではいられない、のか。


 その刀傷が、その痛みが……俺にその事実を嫌というほど教えてくれる。

 今までは無敵でいられた……つまり、自分が安全な場所にいると分かっていたからこそ、サーズ族を助けようと思えたのだ。

 自分が怪我しないと分かっていたからこそ、英雄気取りで最前線に立っていられたのだ。

 自分が死なないと分かっていたからこそ、欲しいモノを手に入れるために暴れ回っていたのだ。

 だけど、もう……神剣とやらの存在によって、その俺が活躍できたは大きく崩れ去ってしまっている。


「勝つには勝ったが……。

 さて、これからどうしたもんかなぁ」


 身体中に圧し掛かるような疲労と、軽く響く傷口の痛みを感じながら、俺はこれからの戦いに思いを馳せ……大きく溜息を吐きながら、そう呟いたのだった。


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