第三章 第二話 ~ 夜伽 ~


 チェルダーを始めとした黒衣の神官たちが「夜伽の女性を連れてくる」と言って去ってからしばらくの時間が経過していた。

 恐らくは10分も経っていないだろうその時間は、不安と期待とで落ち着かない俺にとっては、まるで拷問のような時間だった。

 そんな緊張の中、これからのへの脳内シミュレーションを4度ほど終えた俺がいい加減に焦れてきた頃、ようやく俺の部屋のドアが開き……


「~~~っ!」


 ドアから入ってきたのは、山羊の髑髏を被ったいつものツラだった。

 どんな女性が入ってくるのかと期待していた分だけ俺の落胆は非常に大きく……俺は思わずその山羊の頭蓋骨ごとチェルダーの頭を叩き潰そうと腰を浮かせかける。

 そんな衝動的な殺意に支配されていた俺の動きを止めたのは、チェルダーが恭しく頭を下げた後に発した一言だった。


「では、伽の女性をお呼びいたします」


 冷静に考えてみれれば、顔も知らぬ女性をいきなりこの部屋に送りつけるような無礼を、俺を崇拝しているらしきコイツらがする筈もない。

 自分が如何に落ち着きを失っていたのかに気付いた俺は軽く息を吐き出して動悸を整えると、上げかけていた腰を再び床へと下ろす。


「……ああ、頼む」


 伽の女性という一言だけで手が震え、足の感覚が薄くなってきていたのを感じつつも、俺は緊張を必死に押し殺し、何とか平静を装った声でそう言葉を返す。


「はっ、今すぐ。

 入ってこい、お前たち」


 チェルダーが発したその言葉に従うように、10名ほどの女性が連なるように部屋へと入ってきて、俺の前で横一列に並び始める。

 正直、彼女たちが部屋に入ってきた途端、野郎共とは明らかに違う女性独特の匂いのようなものが部屋に漂い始めており、彼女たちの一歩一歩が、一人一人が並ぶ時間が凄まじく落ち着かない。

 水が絶対的に足りてないってことや、さっきまで食べていた食事が凄まじく塩辛かったことを差し引いても、明らかに異常なほど咽喉が渇き、唾一つすら呑み込めない。


 ──やべぇ。


 この伽の女性を待つ時間と雰囲気とに呑まれてしまった俺は、緊張のあまり顔を上げることすら……彼女たちの顔を確認することすら出来やしない。

 これから『そういうことをする』と考えるだけで、手足の感覚が消え失せてしまうほど震え、相手の方をまっすぐに見ていられないのだ。

 だから俺は、必死に床を……彼女たちの足先だけをジッと見つめ、チェルダーか女性たちが何かを言い出すのを今か今かと待っていた。


 ──初めて風俗店とか行けば、こうなるのかもな。


 俺は極限の緊張の中、感覚がない自分の手が思い通りに動くのを確認しながらも、現実逃避気味にそんなアホなことを考えていた。

 そうして、心臓の鼓動が鳴り響いている気がする部屋の中に、俺が初体験を迎えるべき相手がようやく並ぶ。


 ──こういう場合、一人を選ぶべきなのか?

 ──いや、いっそのこと、とかもあり、か。


 吹っ切れたというか単純に思考を放棄して開き直った俺が、そんなハーレムアニメの主人公でも思いつかないようなアホな結論を出し……

 顔を上げる。


「……うぁ」


 そして、絶句してしまう。

 右から順に、四十代ほどのおばはん一人に、三十代後半のおばさんが三人、二十代後半の女性が三人……しかも、全員が全員、くたびれきった顔をしていたり、顔が腫れあがっていたり切り傷があったりと、先ほど俺がシミュレーションしていた夜伽の女性とは年齢層と容貌に大きな差が存在していた。

 付け加えると、明らかに水が足りない所為だろう。

 ……どの女性も完璧に肌が干からびまくっていて、肌年齢が顔の年齢からさらに20ほど足した感じなのだ。


 ──取り合えず、ここまでは無し、だ。


 対象範囲外の女性を目の当たりにすることで少しだけ落ち着いた俺は、10人の内7人に見切りをつけていた。

 とは言え……残り3人がストライクゾーンに入っているかと言うとこれまた微妙だった。

 左端の女の子に至っては、まだ十代前半という幼さで胸もろくにない、何故ここにいるのか分からないレベルの少女である。

 しかも顔の左半分が包帯で隠れていて……そんな包帯の隙間から窺えるのは、どす黒く炭化した生々しい火傷跡であり、その上、視線は何処を見ているのか分からず、自分が何故ここにいるのかすら分かってない様子だった。

 もう一人も年齢は二十歳そこそこで年齢的には問題ないのだが、顔の造形が少しばかり好みでない上に、数日前から昨夜の内に殴られたのか見るも無惨に腫れあがっていて、とてもじゃないがベッドに誘おうとは思えない。

 結局のところ、10名もいる夜伽の女性たちの中、辛うじて俺の射程圏内のは……左から2番目の、二十代前半でかなり胸の大きな、その分少しばかりふくよかな女性だけ、という始末である。

 外れの風俗店に入ったような気分に陥った俺は、溜息を一つ吐き、脳内でピンク色に輝いていたハーレム願望を捨て去った。

 正直な話、10名から選ぶというより……以外あり得ないのが俺に与えられたハーレムの現実だったのだ。


「……なら……」


 俺がその約束された一択を……少しばかりふくよかな女性を選ぼうと声を上げた、まさにその時だった。


「待ってくれっ!」


 部屋の入口からそんな切羽詰まった大声を上げ、黒衣の神官共を押しのけながら、一人の男が入って来る。

 腕に剣を携え、決死の表情をしているその顔は、俺にも覚えがあった。


「ロトっ!

 貴様、我らが主に刃向うかっ!」


「黙れっ!

 我が妻を返してもらう!」


 ……そう。

 そんな騒動と共に部屋に入ってきたのは、先の戦闘で俺の副官を務めたロトその人だった。

 ロトはチェルダーの叫びに怒鳴り返すと、彼に向けて威嚇の剣を振るっていて、もはや彼の行動が冗談の類ではないのは明白だった。

 凄まじい形相を浮かべた彼は、剣を持つ反対側の手に鉄で出来た×と〇を組み合わせた忌々しい飾りを持っていて、それは恐らく彼の信仰にかかわるものなのだろう。

 そうして剣を手に暴れ始めたロトのところへ走って行ったのは、これから我が伽を務める……筈だった、少しふくよかな女性だった。


「ああ、ロト。

 そんなことをしたら貴方まで!」


「構わない!

 たとえ神が相手でもっ!

 お前を奪われるくらいなら、討たれて散った方がマシだ!」


 そうして二人は黒衣の神官たちと俺が見守る前にも関わらず……しっかりと抱き合い始めたのだ。


 ──何だ、このメロドラマ……


 そんな本来ならば美しい筈のその光景を、俺は白けた気分で眺めていた。

 さっきまで初体験への興奮と期待があった分……この水入りの所為で俺の気分は完全に冷め切っていたのだ。。

 言うならば『美女が出演している洋画がベッドシーンに突入しようという直前に、お袋が突如三流のメロドラマにチャンネルを変えた時の気分』が一番近いと思われる。

 ……しかし。

 チェルダーを始め、黒マントの連中は自分たちの権威を傷つけられたと思ったのか、それとも信仰の対象らしい俺を満足させられなかったことへの恐怖があるのか、非常に殺気立っているし……殴りこんできたロト自身も既にその女性と心中する覚悟を決めたのか、引く気が一切ない。

 当事者である俺は先ほど飯を食ったばかりで……しかも内臓のスープを飲んだ直後に血と臓物を見るのも正直気が進まない。

 そういう食事事情を除いたとしても……実のところ、ほんの数分前での俺なら武器を手にロトを血祭りにあげ、女性を奪い取るという選択肢もあったに違いない。

 ……だけど。


 ──今の俺は無敵になれる鎧を着ていない。


 つまるところ、あのロトが手にしている剣が……いや、その破片の一欠けらが、こちらに飛んでくるだけで俺の人生が終わりかねないのだ。

 ……このまま争いが紛糾すると我が身に危険が及ぶ可能性がある以上、そこまでの好みじゃない女性相手に下半身的欲求を貫き通そうとは思えない。


「……俺は、人妻には興味ないぞ」


 そんな争いなど恐れる必要がない、興味がない様子を装いつつ、杯で水を飲みながら俺がそう告げると……場の空気が一変した。


「お、おい、お前たちっ」


 直後に、チェルダーがそんな慌てた声を上げたのも無理はない。

 何しろその場にいた女性が次から次へと、黒衣の神官たちが止める間もなく、安堵した様子で部屋から出て行ってしまったのだから。

 ロトでさえ俺に頭を大きく下げると、危険地帯から慌てて妻を逃がすようにさっさと出て行ってしまう始末である。

 ……どうやらこの場にいた女性は、ほとんどが人妻だったらしい。


 ──ったく。

 ──コイツら、権威を使って強引に集めてきたのか。


 何となく彼女たちがここへと連れてこられた経緯を理解した俺は、内心でそう嘆息すると……白けた気分のまま杯に残っていた水を飲み干していた。

 どうやらこのチェルダーという男は……彼ら黒衣の神官たちという存在は、ンなんとかって破壊と殺戮の神の名を借り、権力を振りかざしている類の連中らしい。


 ──どう見ても邪教徒っぽいし。


 しかし……そうして集められたのが人妻ばっかりとは、俺に運がないのか、それともそういう女性以外は隠されてしまったのか。


 ──いや、違うか。


 命懸けで戦う戦士を夫に持つ彼女たちは優先的に食事を回され、逃げる時も優先的に助けられ……だからこそこうして生き延びることが出来ただけ、というのが正しいのだろう。

 その他の未婚の女性は敵に殺されたか、飢えて乾いて死んでしまったか。

 もしかしたら、未亡人になった女性も未婚の女性さえも、妻を失って余っている戦士とすぐに結婚してしまっただけかもしれないが。

 サーズ族自体がこんなギリギリの状況だから……頼る相手・縋る相手がなければ生きていけないのが、追い詰められた世界での女性の現実なのかもしれない。


 ──ま、未亡人が人妻って名目で俺から逃げ出したのはあるかもな。


 この集落に来てからの俺は、サーズ族の人々から見ればである。

 女性としてはあまり近づきたくない、猛獣のような存在と思われても不思議はないだろう。

 そして……もしかしなくても先ほどの俺の発想は、「人妻に興味がない=処女以外には興味がない」と取られた可能性もある。

 そんな気はなかったのだが、処女だけを求める横暴さは、むしろ本物の神様っぽい気がしないでもない。


 ──っと、よく見ると一人だけ余っていた。


 次から次へと去っていく女性が印象的だった所為で気付かなかったのだが……ふと部屋を見渡してみれば、顔半分が包帯で隠れた一〇代前半の少女がまだ俺の視界の端にぽつんと突っ立っていた。

 小学校を卒業したばかりのようなこの子は、流石に未婚だったらしい。


「……一人余りましたが、如何いたしましょう」


「俺は別に幼女趣味ではないんだがな」


 正直、その少女にはあまり性的な興味を持てなかった俺は、適当にそう言葉を返す。

 実のところ、先ほどの一幕で場が白けたとは言え、エロいことをしたい気持ちは別に萎えていないのだが……流石に、虚空を見つめ現状もよく分かっていないような幼女に悪戯をする気は欠片も湧いてこない。

 ちなみに俺の好みは、身体はすらっと細くてだけど胸が結構あってスタイル良くて、男を立ててくれて処女で金持ちで俺にべた惚れの美女である。

 ……破壊と殺戮の神の威信で何処かから引っ張ってこれないものか。


「そう、ですか。

 なら仕方ありませんな」


 俺の返事を聞いたチェルダーは残念そうにそう呟くと、自分が何処にいるのだか分かっていないようなその少女の肩を掴むと……


「おい、早急にぞ。

 お前たち、用意しろ」


 近くにいた黒衣の神官たちにそんな洒落にならない指示を出しやがったのだ。


「って、ちょっと待て!

 潰すって何だ、潰すって!」


「いえ、仕方ないのです。

 コヤツはこの通り、前にべリア族の襲撃を喰らった時、母親と共に家ごと焼かれて以来、心が壊れたのか……この有様でして。

 炊事も縫い物も……一人で食事も出来ませぬ故」


 あまりにも物騒なその単語に、俺は慌てた声を出して彼らを押しとどめていた。

 ……だけど。

 山羊の頭蓋骨を被ったチェルダーは、明らかに正気のままと分かる普通の声で言葉を続け……少女をという物騒な単語が、俺の聞き間違いだった可能性をあっさりと否定してくれた。


「い、今まではどうしてたんだ?」


「今までは父親が戦に出ることで、自分の食糧を必死に分けていたようですが……無理が祟ったのか先日の戦いで戦死してしまいまして。

 そうなった以上、もうコヤツを養うことなど、とてもとても」


 俺の視線が少女の虚ろな瞳を見つめる中、チェルダーは言葉を続ける。

 恐らく、あの追撃戦の最中……銀色の戦巫女二人の突撃によって討たれた戦士の中に、彼女の父親がいたのだろう。


「それに……食糧の余剰もろくにありませぬ。

 このように呆けていても我が主の伽くらいならば務まるかとも思ったのですが、それも無理となると……

 もう何の役にも立たぬコヤツなんぞ、口減らしと食糧確保を兼ねる以外……」


 ──そう、か。


 残酷に聞こえるものの……コレがこの時代の現実、なのだろう。

 テレビなんかで耳にした生活保護の不正受給問題が如何に平和な問題で……そして、如何に冒涜的な問題であることか。

 何しろ、こいつらサーズ族は満足に食べるだけの食糧も残っていない。

 そんな社会の中では、働かざる者食うべからずどころか、働けないなら潰されて、食べられる側……になるしかないのだ。

 現代社会において、そういう働けない人が助かるための取り分が生活保護であり、それを横合いから健康な人間が掻っ攫うってのは……働けない人を助けるための生活保護という社会の善意に泥をかけて汚すに等しい行為なのだ。

 なんて足りない頭で似合わないことを考えてしまったが、今の俺はそんな日本の社会問題なんかを考えている場合じゃない。


「まて。

 やっぱりソイツを俺に寄こせ」


「しかし、コヤツはこの通りの……」


「……二度言わせるな。

 取りあえず穴に突っ込めればそれで構わん」


「ははっ」


 如何にも投げやりな、鬼畜な暴君を俺の言葉は……非常に不本意ながら、チェルダー他数名の黒マントたちには説得力があったらしい。

 連中は俺に一礼すると、長居するのもお邪魔とばかりに立ち去っていく。

 演技とは言え、俺には暴君なんて似合わないと思っていたのだが……武器のお陰とは言え俺が戦場で見せた蹂躙劇は、幸いにも横暴な言動に一定の説得力を持たせてくれたらしい。


 ──仕方ない、よな。


 邪悪な暴君と勘違いされたままってのも気分が良いものではないが……この小学生を出たばかりの少女が、肉にされると分かっているのに見過ごてしまうのも後味が悪い。


「お前、名前は?」


「……」


 俺がそう問いかけても彼女からの返事は来ない。

 チェルダーが語った通り、彼女が『壊れている』というのは嘘偽りなさそうだ。

 ……しかし。

 そうして助けたのは良いが、何も話さない初対面の相手と二人きりというのは……正直な話、気まずいにもほどがある。

 何しろ、話すこともなければ、することもないのだ。

 しかも……この世界には暇をつぶすための漫画もなければテレビすらないのだから始末が悪い。


「……ふむ」


 ふと興味を引かれて……と言うよりは、単に間がもたなくなった俺は無抵抗のままの少女の服をめくってみた。

 パンツと言うよりはドロワースという感じの、野暮ったいあまり綺麗でない下着が目に入る。

 それと同時に、栄養が足りてない所為で逆にお腹と、全然肉付きの良くない太股、そして左側の肌にところどころ見える黒く爛れた火傷痕も見えてしまう。

 下着とその周辺をひとしきり眺めた後、ふと反応を窺うように見上げてみたものの、少女の表情は相変わらず何も映さず……だからこそその顔の、包帯の下の火傷の痕が痛々しい。


「……はぁ」


 全く反応がない少女の様子に、悪戯すらも続ける気を削がれてしまった俺は、溜息を一つ吐くと……毛布をかぶって寝ることにした。

 そろそろ日も沈んできたのか、周囲は薄暗くなってきている。

 灯りもろくにないこの社会では、窓からの光に頼らざるを得ず……何の娯楽もない薄暗い空間では、寝る以外に取れる選択肢がなかったのだ。

 そうして日も暮れ、空気がゆっくりと冷え込み始めたというのに……少女は中空を見つめたまま動こうともしない。


「……ったく。

 しょうがないっ!」


 このままじゃ冷え切って風邪を引いてしまうだろう少女を見かねた俺は、少し強引に彼女を自分の毛布の中に引きずり込む。

 かなり強引な俺の行動にも抵抗らしい抵抗すらしないまま、少女は俺の腕の中に抱きすくめられていた。


 ──ま、だからと言って何かがしたいとも思わないんだがな。


 大人しい猫を抱いて寝るような感覚で、俺は温かい少女の体温を腕の中に感じつつ……静かに目を閉じる。

 少女の温かさが一人じゃないという安心感を覚えさせる所為だろうか……俺の意識は瞬く間に闇の中へと沈んでいったのだった。

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