第三章 ~ 略奪 ~
第三章 第一話 ~ 新たな拠点 ~
──不味っ。
それが、この絶望的な世界へ召喚されてから三度目になる食事を口にした俺の、素直な感想だった。
とは言え、流石の俺も咽喉まで出かかったその一言を飲み込む分別くらい、そろそろ身に着けている。
先ほど俺が口に入れたのはパンだった。
しかし、この世界のパンとやらは、「彼らがそれをパンと呼んでいた」……いや、俺にかけられている通訳の魔法が意訳したというだけの代物でしかない。
──まず、塩辛い。
ソレには……風味も甘みも柔らかさも何もない。
正直、現代日本においては、食料と呼ぶのも烏滸がましい。
はっきり言うと、ソレはパンと呼ぶよりは小麦粉っぽい香りがする拳大の塩の塊と呼んだ方が正解に近いような代物である。
──しかし、他のも、なぁ。
……他の料理も似たようなものだった。
眼前に並べられている塩辛い干し肉に野菜の塩漬け、塩まみれのチーズ……べリア族の連中から奪い返したそれらの全てが塩辛くて食えたものではないのだから、先日の戦いの意義についてサーズ族の戦士たちを集め、小一時間ほど問い正したいところではある。
それ以外の料理……トカゲの干物とか昆虫の塩漬けなんかは口に運ぶことすら躊躇われ、俺は手にすら取っていない。
──こんなんでも、コイツらにとっては贅沢なんだよな。
そう理解してはいるのだが、現代日本の飽食に慣れた俺にはこれら塩の塊はどうしても口に合わなかった。
彼らが用意してくれる食事で辛うじて食えるのは、黒衣の神官共が用意してくれた獲れたての『何の肉かも分からない、ただ塩をぶっかけただけの焼肉』と『妙な匂いの葉っぱが入っている形が崩れて分からないほど煮込まれた内臓のスープ』くらいである。
勿論、どちらもやはりとてつもなく塩辛いのだが……葉っぱの効果か、それとも肉が新鮮なのか、まだ肉の臭みが鼻を突くほど酷くないので、口に運ぶくらいは出来た。
──我儘なのは分かっているんだが。
そんなクソ不味い料理の中でも、辛うじて食べられるそれらの品を口に運びながら、俺は心の中でそう溜息を吐く。
戦勲者であり彼らの信仰の対象らしい俺は、これでも彼らの中で最高のもてなしを受けているとは分かっているのだが……俺の中では未だにそれらを「食い物として認められない」のが現実だった。
「……我らが主よ。
この皿をお下げ致します」
「うむ、ご苦労」
贅沢の証ではないが……今も俺は、こうして数名の神官共に傅かれながら食べ物を口にしていて、王侯貴族並の扱いを受けている。
しかもコイツらに話を聞いてみれば……祝いの席でさえ干し肉とパンと野菜くらいしか食えないらしい。
敗戦の際にべリア族共にパンの一切れすらも与えまいと神官たちが火をつけて逃げたことが今になって祟ったのか、先の戦いで奪い返した物資も絶対的に足りておらず……命懸けで戦った戦士たちでさえ満足には食べられないのだから救いようがない。
──憎しみの連鎖、というヤツか。
そうして食糧に火を放った神官たちへの報復なのか、それとも宗教的な対立の所為なのか、この場所……俺の寝床になったサーズ族居住区の隅にあるこの破壊と殺戮の神を祀る神殿とやらも、装飾は焼け焦げ、神像は叩き壊され、壁画は剥され、それはもう酷い有様であった。
正直、元の姿も知らなければ、俺にとっては名前も知らなかった神の神殿でしかなく、焼かれ破壊されたことへの怒りも嘆きも感じていないのだが……チェルダーを筆頭に神官たちはしきりに平伏低頭していたものだ。
実際問題、この神殿を壊されて俺が受けた被害など、今こうして華美な彫刻も装飾もない殺風景な場所で飯を食う羽目になった、程度である。
ちなみに、そんな略奪と殺戮の限りを尽くしたべリア族も、流石にこの居住区の水場だけは荒らさなかったし、食料を焼き払った彼ら神官たちですら、唯一の命綱である水場だけは汚すことが出来なかったようだった。
……俺の知識では、井戸なんかは敵に奪われる前に糞尿を放り込むか、叩き壊すものだったのだが。
「……ま、そのお蔭で渇いて死ぬことはない、か」
「ええ。
これら全て我らが主のお蔭です」
盃で水を飲みながら「ろくな食料がない」ことへの皮肉を口にした俺の呟きに、黒マントの一人で山羊の頭蓋骨を被った男……チェルダーがそんな頓珍漢な答えを返す。
食糧事情は兎も角として、こうして元居住区に攻め込んで水場を一つ取り戻せたことで、サーズ族の連中も俺自身も、渇いて死ぬことだけは避けられたのだ。
そうして生き延びる目途がついたから、だろう。
戦いに勝利してからわずか数時間も経たぬ頃には既に、朽ちた神殿跡にいたサーズ族はこちらへと移り、早急に戦の跡と骸とを片づけ……日が暮れる前にはべリア族に奪われる前の家々を取り戻していた、と聞いた。
生憎と俺はこの破壊され尽くした神殿に放り込まれ、彼らの復興作業を手伝うどころか、目にすることすら出来なかったが。
とは言え、絶望的な状況からは逃れられても、この塩の砂漠が広がり続ける世界が過酷なことに変わりはなく……絶望的な水不足は相変わらず続いている。
だからこそ、破壊と殺戮の神の化身と呼ばれこうして崇め奉られている俺であっても、大き目の壷に入った水一つが、一日に使える限界なのだ。
──湯水の如く、とはいかないか。
毎日風呂に入り、花壇には水をたれ流し、便所でも水を流しまくっていた日々を思い、俺は溜息を一つ吐く。
いい加減、風呂とは言わないがシャワーくらいは浴びたいものだ。
「それにしても我が主よ。
そろそろ武器と防具の手入れを致しませんと」
「……あ、ああ。
そうだな、頼む」
チェルダーの言葉に俺は一瞬だけ悩んだものの、すぐに思い直し、鷹揚に頷く。
……何しろ、この奇跡の力が込められている装備は俺の無敵の源であり、生命線でもあるのだ。
この装備を外しているときに奇襲を受けてしまえば、ただの人でしかない……戦う術も持たないただの学生でしかない俺は、何もできずに殺されてしまう。
それを考えると、力任せに振るい続けた所為で欠け歪み凹みまくったこの戦斧も、錆びた薄い鉄板を貼りあわせただけのボロボロのこの鎧も、こんな不審な黒衣の神官共やサーズ族の戦士たちの中では手放すことが怖くて仕方ない。
特にこのラメラーアーマーなんて、あれだけ暴れ回ったというのに手入れもしてない所為で、汗が染みつき返り血や臓物の中身やらが飛び散りこびりついていて異臭を放っている上に、あちこち矢傷や刀傷で壊れている始末である。
その惨状を意識してしまうと……無防備な姿を晒すことへの恐怖は拭えなくとも、壊れて奇跡の力が機能不全に陥る前に手入れは必要だろう。
そう決断した俺は、それらの武具を黒マントたちに手渡すことにした。
相変わらずそう重くもないソレらを、何故か黒マントたちは数人がかりで必死に運んで行く。
そうして鎧を脱いだことで身体回りのことを意識した所為か。
──あ~、やっぱ風呂入りてぇ。
──シャワーじゃ絶対にダメだ、これ。
身体中を這いずり回るような不快感に、俺は口には出さずとも内心でそう叫んでいた。
空気が乾き切っている所為か、日本の夏ほど汗臭さや痒さはないものの……それでもここ数日で汗をかきまくり、返り血やら土煙やらを浴びた所為で皮膚のあちこちがザラザラとした違和感を訴え続けている上に、身体の至るところから異臭が漂ってくることも耐え難い。
それに何より……たらふく美味しい物を食べて、浴びるほど水を飲みたいという欲求は、今でも俺の中で延々と膨らみ続けていた。
尤も、サーズ族が未だ滅びの間際にある現状を考えると、今以上の水と食料を寄越せなんてとても口には出来やしない。
「そうそう、チェルダー。
その送還の儀とやらは……」
鎧を脱いだ所為で痒みが気になった首筋を掻きながら、確認と取ろうと俺がそう口を開いた……その時だった。
──ん?
不意に、さっきまで身に着けていたボロボロの鎧を思い出した俺の脳裏を、一つの疑問が過る。
……矢を受けたところは、穴が開いている。
……刀を喰らったところは、鉄板が歪み剥がれている。
事実、元の世界から今までずっと着続けているこの学生服はあちこちに穴が開いている始末である。
──これって、おかしくないか?
と、俺の思考がその結論に至ろうとしたところで、不意にチェルダーが俺に向けて口を開く。
「それはそうと我らが主よ」
「ん?」
「主のために伽を用意いたしましたが、如何しましょうか」
「……とぎ?」
「ええ。御傍に侍る女性にございます」
とぎ、女性、添い寝。
……ハーレム。
俺の脳裏に、アニメや漫画、映画なんかで何度も何度も聞いて、何度も何度も妄想したそれらの言葉が、某動画サイトのコメント弾幕みたく飛び交っていた。
──そうだ。
──俺は神の化身なんだ。
正直な話、今でもその実感などないのだが……それでも装備のお陰で、俺は誰よりも強く、戦功をあげまくる、無敵の存在になっているのだ。
だったら、モテない学生を今だけは返上し、少しばかりエロく爛れた生活を繰り広げても罰は当たらないだろう。
──ちょっとだけ。
──そう、帰るまでの間だし。
ひと夏のバカンス。
……旅先のロマンス。
──そう。
口先ではどう取り繕っていてもも、女と一発犯って後腐れなく終わる関係に憧れない男などいやしない。
……何しろ、俺も生身の男である。
軽い系の同級生がナンパで童貞捨てたとクラス中で自慢していたように、俺も……ここで初体験を一発キめるくらい……
命懸けで戦争に巻き込まれているのだから、その程度の役得くらいなきゃ、やってられないだろう。
──だけど、その。
──童貞だからってがっつくのは格好悪いよな?
同じヤるにしても、こう……絶対者としての貫録を持ちつつ、というのを忘れてはいけない。
何しろ女を抱くってことは全裸になるってことであり、その時にあの奇跡の装備は身に着けられないのだ。
下手な失敗をして取っ組み合いにでもなってしまったなら……正直な話、インドア派の俺は、普通の女性にも力で負けかねない。
僅かコンマ数秒でその結論に至った俺は、奥歯を噛みしめて数度の深呼吸をすることで完全に浮足立っていた内心を何とか落ち着かせることに成功していた。
「あ、ああ、そうだな。
……まぁ、適当に見繕ってくれ」
そうして必死に冷静さを保ったつもりの俺だったが……それでも俺の口調は情けないほどに上ずりかすれてしまっていた。
とは言え、幸いにしてチェルダー以下数名の黒マントたちは俺の様子には気付かなかったらしく、かしこまったように大きなお辞儀をすると……
「はっ、我らが主よ。
しばらくお待ちくださいませ」
そう言って、神殿内部にある俺の居室から去って行くのだった。
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