第二章 ~ 奪還戦 ~

第二章 第一話 ~ 戦いの後 ~



 ──現実はクソゲーである。


 俺が汗水垂らし死力を尽くして戦闘に勝利したというのに、メニュー画面やフィールド画面に戻してもくれず……それどころか疲労や返り血の生臭さを延々と味わわせ続けるクソ仕様になっているのだから。

 俺は、一歩また一歩と荒野の乾いた土を踏みしめながら、そんな取り留めのないことを考え続けていた。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ」


 いや、そんなことを考えて疲労から思考を逸らさなければ、もう一歩たりとも動けなかったというべきか。

 事実、俺は……戦斧を杖にして何とか身体を前に運んでいるだけ、という有様だった。


「……く、くそ。

 戦ってる最中は、こんなこと……」


 俺が口にしたそんな泣き言の通り、戦いの最中は何も感じることがなかった。

 変な脳内麻薬でも決まっていたのか、疲労も暑さも……そして、ドラマか何かで言うような、人を殺した罪悪感すらも、だ。

 実際の話、殺す直前まで顔も知らなかった相手……しかも、こちらを殺そうと武器を持っていた連中で、そもそも此処は視覚聴覚嗅覚触覚全てが異様にリアルだとしても、未だ現実とは思えない見知らぬ異世界である。

 そんな場所でたかが人を数十人殺した程度で、罪悪感や嫌悪感なんざ湧く訳もない。


 ──いや、むしろ愉しかったと言っても良い。


 こうして戦いが終わった後でも、その手の悪感情は湧き上がってこない。

 ……だけど、疲労に関してはそうはいかないらしい。

 何しろ、身体を鍛えてもない俺が、武器を振り回しながら大声を上げて走り回るという全身運動を一時間近くも続けたのだ。


「ああ、くそっ。

 うっとう、しいっ!」


 疲労が重く圧し掛かる身体は、まるで肉の中に鉛を流し込まれたかのように重く、足は塩が散りばめられた乾いた土に取られ、前へ一歩踏み出すだけでも重労働という有様だった。

 肺は焼けつくように熱く、ただ息をするだけで咽喉は張り付くような痛みを訴え続ける。

 脇腹は腸がねじ切れたような痛みを訴え続け、手足どころか肩や腰、背中にある筋肉の全てが断絶したかのような悲鳴を上げる。

 挙句、汗に濡れた身体は運動の余韻の所為か、それとも戦闘の昂りが抜けないのか、未だ焼け付くように熱く……髪や手足は返り血や臓腑の汁やらその中身やらの突き刺すような臭いがずっとまとわりついてくる。

 更には、上空から降り注ぐ太陽光が、俺の髪と皮膚と、そして鉄板を張り合わせた鎧とを容赦なく焼いてくるのだ。

 そんな有様の最中、俺はサーズ族の拠点への帰路を歩いている最中であり……ただ歩くだけという行為が、戦い続けるよりも遥かに苦痛と疲労とを味わわせてくれるのだから、俺が現実逃避の一つくらいしても無理はないだろう。

 これがゲームか何かだったら、戦いは終わったと表示され、次のシナリオに進むところである。


 ──現実は、そんなに甘くないって訳、かよ、くそったれ。


 死体と血と臓物とが散らばったままの戦場跡では、いくら座り込んでいても水も食料も寝床すらもなく……それらが欲しければ這ってでもサーズ族への拠点へ帰らなければならないのが、この現実の悲しいところだった。

 だからこそ、疲労困憊の俺はこうして戦斧を杖にしつつ、何とか集落の方へと足を運んでいるのである。


「神の化身……どの」


「……な、んだ?」


「い、いや」


 バベルが俺に何かを語りかけようとしたものの、疲労と苦痛の中歩くのでいっぱいいっぱいだった俺は、返事するのも億劫だと視線を向ける。

 ……それが分かったのだろう。

 戦いの前とは打って変わって、返り血まみれの巨漢は妙に殊勝な態度で言葉を飲み込んでくれた。

 その他の、百名余りの満身創痍の兵士たちは、誰一人として俺を気遣うでも話しかけるでもなく、ただ俺の後ろを歩いてついてくる。

 ……勝利の余韻に浸る愉しそうな様子もなければ、一言の私語すら口にすることもなく。

 そうして遅々とした足取りながらも思考を閉鎖して必死に前へ前へと歩いていったお陰か、気付けば俺たちは何とか集落に辿りついていた。

 正直、生き延びられるのが不思議だったほど絶望的な戦いだったのだ。

 こうして帰ってこられたのが、奇跡なほどの。

 ……だけど。


 ──静か、だなぁ。


 同族の戦士たちが帰ってきたというのに、誰も歓喜の声を挙げない。

 絶滅寸前の戦いで勝利を収めたというのに、誰も歓声で応えない。

 血族が、身内が、家族が生きて帰ったというのに、誰一人として生のあることを喜ばない。

 ただ一番前で俺が身体を引きずるように歩くのを、誰しもがただ手を合わせ頭を垂れて見つめているだけだった。

 そんな、異様な集団の中を、俺は疲れた身体を引きずりながら、ただただ歩く。


「すげぇっ!

 流石は神様だっ!」


「本当に強いんだな、あの人っ!」


 いや、子供だけは大人たちのそんな信仰心や畏れなどはあまり関係ないらしい。

 手に棒切れを握ったボロボロの服を着た少年たちが、俺を遠巻きに眺めながる人ごみの中で、大声でそんな叫びを上げていて……静まった人々の中、そんな子供たちに俺の視線が向かったのは至極当然のことだったのだろう。


「……へっ」


 俺はボロボロで体力ももう限界、指先一つ動かすのも億劫という有様だったが……それでも自分より幼い子供に対してはせめて見栄の一つくらい張ってやろうと渾身の力を振り絞り、返り血まみれの顔を上げて必死に笑みを浮かべてみせる。

 ……血まみれの左腕を何とか胸の高さまで上げ、親指を上へと突き出すサービス付きで。


「わ、今っ?」


「馬鹿っ!

 頭を下げなさいっ!」


 俺の合図に嬉しそうな声を上げた子供たちだったが、すぐに彼らは近くの大人たちに押し倒され、人ごみの中に引きずり込まれていってしまう。


 ──まぁ、どうでも良いか。


 疲労がもう限界だった俺は、子供たちへの興味を早々に無くすと……こちらへ頭を下げ続ける人ごみを抜け、ボロボロのテント群の中を歩き続ける。

 そのまま足を動かし続けた俺は、ようやく自分の喚び出された、遠くから見ると廃墟としか見えないボロボロの神殿へとたどり着く。

 直後、俺が見えなくなったことでタガが外れたのか、それとも今頃になってようやく勝利の実感が湧いたのか……神殿の外からは歓声が上がっていた。


「お疲れ様でした、我らが主よ」


 神殿へ着いたところで俺を待っていたのは、陰気臭い山羊頭の黒マント……チェルダーだった。


「殺戮は如何でしたか?

 寝る前に必要と思いまして、伽の女性を……」


「……黙れ」


 黒衣の神官が何かを語ろうとしていたようだったが、疲労困憊で口を聞くのも億劫だった俺は彼の声を聞こうともせず、彼の申し出をそう一蹴していた。


「あの、お気に召しませんでしたか?」


「いいから、黙れ。

 俺を、寝かせろ」


 顔を上げてみれば、チェルダーの背後には女性らしき人影が五名ほど。

 正直な話、異性経験ゼロの俺としては、そういうことに興味がないなんて口が裂けても言えやしないが……生憎と今はそれどころじゃない。

 俺は一応、目上の人間を敬う程度の一般常識は知っているものの……今は、遥か年上であるチェルダーに敬語を使う余裕もないほどに疲れ切っている。


「ですが……」


「黙れって言ってるだろうがっ!」


 まだ言葉を続けようとするチェルダーをいい加減に鬱陶しく感じた俺は、衝動の赴くままに近くの柱を殴りつけて黙らせる。

 流石にこの魔法の鎧は凄まじく、ただ拳を叩き付けただけであっさりと石造りの柱が砕け散っていた。


「……は、ははぁっ。

 寝床は一番奥に用意させて頂いております」


 『腕力』と『怒声』による説得は非常に優秀だった。

 あれだけ言葉を重ねても会話が通用しない、人の言葉を聞こうともしなかったチェルダーが、あっさりと会話を放棄し、土下座して恭順の意を示したのだから。

 だけど。

 ……今の俺には、そんな山羊頭に構ってやるような体力も、彼の機嫌を気遣ってやるような余力すらも残ってはいない。

 ただ彼の示した先にある部屋のドアらしき毛皮を引き千切り、部屋の奥にあるベッドらしき粗末な皮と毛皮の塊まで必死に身体を運ぶと。


「……つか、れたぁ」


 ただ一言そう呟いて、戦斧を手放し、身体を重力に任せてベッドに倒れ込む。


 ──その直後。


 顔や手足にこびりついた返り血や、全身にまとわりつく汗の感触も、それらが放つ鼻を刺すような異臭も。

 肌触りの悪いゴワゴワした毛皮の寝床の肌触りや、その凄まじい獣臭も。

 どうお世辞を並べても着心地が良いとは言い難いラメラーアーマーの鬱陶しい感触も。

 未だ全身が放ち続ける高熱も、ただ倒れこむだけで四肢の筋肉が上げ続ける激痛すらも。

 普段だったら一つだけでも気になって到底眠れそうにないそれらの悪条件の、一つすら意に介すこともなく。


 ……俺は疲労という最高の睡眠薬に抗うことすら出来ないまま、意識を闇の中へと手放していたのだった。


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