五分後に終わる世界で

砂藪

最後の一日


 世界が終わると宣言された。


 戦争はすでに終わった。わりとあっけなく、僕らの国は負けた。国土の半分を消し飛ばされて、今日の朝、敵国の偉い人がやってきたかと思うと「零時になると同時にこの国の残りは焦土と化すでしょう」なんてふざけたことを言った。


 一日あれば、お金持ちはきっと国の外に逃げている。

 一日あれば、外国の人達は避難することができる。

 僕らのようなこの国の庶民には関係のない、残された時間。


 しかし、一縷の望みに賭けて、災害時に指定されている避難所へ逃げる人達が多かった。ここはそんな場所の一つ。僕の母校だ。当たり前のように、僕は配給の手伝いをすると同時に職員室に入り、屋上への鍵を盗んだ。


 最後の日ぐらい、今まで入ったことがない学校の屋上に行きたかった。


「先客がいたみたいね」


 屋上の柵の前に腰を下ろして、柵の間から足を外に出して、ぶらぶらとしていると後ろから声をかけられた。振り返ると開いた屋上の扉の前に幼馴染が立っていた。

 学校を卒業してから会っていなかった彼女が視界の中にいる。


「久しぶり」

「ええ、久しぶり」


 彼女は僕のところまで来ると、僕にペットボトルを渡してきた。彼女の手にはもう一本ペットボトルがあったから、きっと彼女は僕のためか、もしくは出会った人に渡すために持ってきたのだろう。

 それを僕が受け取ると、彼女は僕と同じように柵の間に足を通して、屋上の外へと足を放り投げた。


「どうしてここにいるって?」

「懐中電灯の光が校庭から見えたのよ」


 誰だって、死ぬ瞬間を目を開いたまま享受しようと思わないだろうと思ってたけど、彼女は僕と同じように睡眠薬を飲まなかったらしい。それでも泣き叫ぶでもなく、彼女も僕も静かに懐中電灯の光を受けながら、ペットボトルの蓋を開けて、中の水を数口飲んだ。


 最後の最後に飲む物がなんの変哲もない水。

 人生はどうしようもないものだ。

 左腕の腕時計の針を確認する。時刻は二十三時五十五分。僕らのちっぽけな人生が終わるまであと五分。


「私達の世界の終わりね」

「世界は僕たちがいなくても続くよ」

「それでも、私たちの世界は今日終わるんでしょう」


 夜に溶けるような彼女の髪を僕は見た。一人で自分の世界の終わりを迎えるより、彼女と一緒に二人の世界の終わりを見届けた方が、寂しくはないだろう。


「一日あったのに、なにもしなかったの?」

「なにもしなかったね」


 僕は逃げるでもなく、この場所に来た。半狂乱になって海に飛び込んだ母親や地下室に入って出てこなくなった父親のことを放って、僕は何人かの人が集まっている母校へとやってきた。

 彼女は僕の顔を覗き込むように首を傾げる。


「あと五分で世界が終わるんだよ? したいこととかなかったの?」

「好きな人にキスとかしたかったかな」

「しなかったの?」

「しなかったよ」


 最後の日にしたいことはあった。しかし、その願望を叶えられるような人間は多くない。僕は、叶えられないタイプの人間だ。


「どうして、しなかったの?」

「最後のキスが好きでもない人とだなんて、かわいそうじゃないか」

「じゃあ、私も君がかわいそうだから、ファーストキスもしないまま終わっちゃうね」


 針が進む。


「ねぇ、喉渇いたから、ペットボトル返してもらってもいい?」


 彼女の横には蓋を開けたのかどうかも怪しいペットボトルがあり、その中にはたっぷりと水が入っている。


「いいよ」


 僕は手にしていたペットボトルの蓋を閉めずに彼女に手渡した。

 彼女は、嬉しそうな、それでいて、泣きそうな顔をして、僕から受け取ったペットボトルの水を飲み干した。


 残り、三分。

 僕らは、僕らの世界の終わりに、黙って手を繋ぐことしかしなかった。

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