第6話

 それから次の木曜まで、紫さんがひょっこり顔を出したり、横江さんから電話がかかって来たりすることなど無く、私の生活はまさに平凡極まるものであった。ただ、例の変電所の火災は、規模は小さかったものの、その管理責任を負うはずの有限会社が架空のものであったことが発覚し、地方行政の危険区域管理が槍玉に上げられて結構な問題に発展しかけたが、ある日を境にぷっつりとマスコミから姿を消した。それは、都内で起こったセンセーショナルな通り魔殺人事件に話題を攫われたという一面はあるにしろ、どことなく唐突過ぎに思えて、虚構代行業の関係者が圧力をかけて揉み消しているんじゃないかと疑うに足るものだった。

 木曜日、学校から帰宅して着替えるなり新古書店に駆け込んだ私は、横江さんから、山川家の全員と依然音信不通だが、美優子さんと連絡がついたことを教えられた。美優子さんは婚約者の駿さんが関わっている虚構代行という仕事のことを当然知っており、あの変電所火災の前日、駿さんが家族の行方を気にして、もしかしたら様子を見に行くかもしれない、と仄めかしていたのを聴いていた。そしてそれ以来連絡が取れなくなり、心配しているのだという。あの屋敷がどんな異世界に由来するものか知らないか、という問いに対しては、どうやら有名作家のシリーズ物のとある登場人物の邸宅らしいのだが、それ以上のことはどうしても駿さんに教えてもらえず、しかも、今まで本編の舞台となったことはなく、作中に詳しい記述が無いため普通の人には作品名は特定出来ない、ということだったそうだ。何だかそれらは、この間の横江さんの仮説がビンゴであることを強く示唆しているような気がしたが、当の本人はあくまでも慎重で、この一週間駿さんが戻らないというのは仮説に符合しないと言うのだ。

「犯人の自殺と館の炎上で物語が幕を下ろしたんだとしたら、最悪、その事件で山川さん達が一家皆殺しにあっていたのだとしても、様子を見に行っただけの駿さんは戻って来られるはずだ。こちらと時間の流れる速度の違う異世界もあるが、これまで何度も行っているみたいだし、さすがにこちらの世界での一週間が向こうの世界の一秒に相当する、などという極端なことはないだろ。何か、戻って来られない、あるいは戻って来たくない事情があるってことだ」

 皆殺しとか言わないで下さいよー、と私が半泣きになったら狼狽してた。ざまあ見ろ。ついては、山川の本家とやり取りがあった出版社や作家、漫画家などを当たって行こうとしたが、虚構代行という仕事の性質上、契約者である業界側は著作権の関係で口を開きたがらず(当たり前の話だ)、さらに、出版界と折り合いの良くない新古書店の経営会社として、横江グループは幾つかの出版社から敵対視されているらしく、けんもほろろに振られてしまったとのこと(新古書店は、本屋や、従来の古書店にも煙たがられているし、何とも敵の多い商売だ。横江家は山川家と縁戚関係になることにより、業界内で免罪符を手に入れようとしていたのかもしれない)。あの屋敷が一体どんな作品に由来するものなのか、手掛かりは全く得られなかったわけだ。

「いや、手掛かりは皆無というわけじゃない。秋吉さんが幾度と無く実物を見ているからね。その特徴を聞いて俺が正しく再構築出来れば、背景となる設定が全然わからなくても、正しい世界を捕まえられるかもしれない」

 ま、それは、『頑張ればあの雲を掴めるかもしれない』と言われたに等しく、私には絶望的状況に思えたのだが、一応しどろもどろと、

「広い庭があって、靴が埋もれるくらいの深さの芝で、敷石が、確か玄関まで敷いてあったけど数はわかんなくて、あと、木が何本か生えてて、噴水と池があって、それはこんくらいの大きさで、水が常にいっぱいで……」

 などと、出来るだけ克明な描写を心がけて説明してみた。記憶の玩具箱の中には引っ繰り返しただけでは出て来てくれない頑固なおもちゃもいっぱいあって、「窓はどれくらいの大きさだった?」とか、「そのドアは押して開いた? それとも引いて開いた?」とか、思い出せそうで思い出せないことが山積して、こんなことなら漫然と驚嘆してないで隅から隅まで家中観察しとけばよかった、と今更自分の注意力の無さを悔やんだものだった。ただし、「で、そのリビングにフローリングの板は何枚あった?」は、絶対誰にも答えられないと思う。長々と質疑応答が続き、ある程度再構築出来た、と横江さんが言って、レジカウンターの下、他の客から死角となる位置に、屋敷のダイニングスペースに飾ってあった裸婦の油絵を試しにマテリアライジングしてくれたが、それは予想通り現物と似ても似つかないものだった。のみならず、その肖像画は私の伝えた『アンニュイな感じ』というよりも圧倒的に『煽情的な感じ』で妙に艶っぽく、北条司の女性絵のタッチに何となく似ており、全裸ということもあって要するにかなりエロかったので、相手が年上ということも忘れてチョップで頭頂部を殴ってやった。ワックスで固めた剣山みたいな髪が刺さりそうになりむしろダメージを受けたのはこっちだったが、それはともかく横江さんによる山川邸の再構築は案の定完全な失敗に終わったのである。

 その後も、横江さんは紫さんのお父さんの兄弟とかに話を聞きに行ったり、火事現場にあった変電所の出身世界にフィールドトリップしたり、様々な手段で紫さん達の行方に関する手掛かりを集めようとしてくれたが、その殆どが空振りに終わり、あれよあれよと言う間に時間だけが過ぎていった。夏休みくらいになると、卒論で忙しくなるから本屋のバイトは二週間に一回くらいしか来られなくなる、とか横江さんが言い出したため、ただでさえ手掛かりの少なかったところに報告の機会すら減って、私の日常に色々あったことも手伝い、山川一家失踪事件は急速に焦点を失い、ぼんやりと遠い存在になってしまったのだった。一応言っておくと、美優子さんによって一家の捜索願が警察に提出されていたらしい(その際、全員の住所はあの変電所でなく、紫さんのお母さんの実家だったことにしたそうだ)が、勿論、優秀なる日本の警察は虚構の世界を相手にしていないので進展があろうはずも無かった。私に関して言えば、紫さんを探すために何もしなかったのかと言えば当然そんなわけは無く、むしろ彼女のためにどれほど私が献身したかについて後々述べることになると思うが、そんな努力も空しく、形式的には何の進展も無いままで、私はあっと言う間に進級して健全な中学二年生になる。ちなみに横江さんは無事大学を卒業して一見無職の青年になった。

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