第3話
私は地元の中学に通いながら、部活にも入らず我が道を行き、相変わらず本屋に通い詰めていたのだが、ある日の帰りがけにレジから声をかけられて死ぬほど驚いた。いつも私と紫さんの会話を傍観していたバイトの兄ちゃんがそこにいて、そういえば紫さんが来てる時は常にこの人がレジで店番やってたな、と今更ながらにそう気付いた。その兄ちゃんは、髪を茶色に染めてつんつんに逆立てており、超サイヤ人の真似でないならいかにもちゃらちゃらした外見だったが、意外に語り口は穏やかだった。
「君、いつも紫と一緒にいた娘だよね? 最近紫来ないけど、何か知ってる?」
「うーん。たぶん、学校が忙しいんだと思いますが。山川さんのお知り合いだったんですか?」
「あ、うん。お知り合いって言うか、許婚だけど」
「許婚!」
「いや、たぶん内々にそう決まってるってだけで、俺も紫も正式に言われたわけじゃないから何とも言えないんだけど。直接話したことも殆ど無いし」
「え……。じゃあ、あのお屋敷には?」
「お屋敷?」
「ごく親しい人だけが、山川さんの豪邸に招かれるんですよ」
「へえ、そうなんだ。山川さん(紫のお父さん)とも、ホテルの大ホール借し切ったなんかのパーティーで二、三度会って話したくらいだから、全然親しくないし。招かれるわけないわ」
「そんな……」
最早、何に驚けば良いのかよくわからなくなって、眩暈がした。許婚って。今日日『らんま1/2』でようやく耳にする話だぞ。親同士が子供の結婚相手決めるって、そんなの本当にあるのか。あのお屋敷に入るのを許されていない分際で(私の勝ちだ!)。だがしかし、ホールを貸し切ったパーティーって……。この兄ちゃん一体何者だ? こちらの意図を汲んだかのように、彼は店員のユニフォームであるエプロンの胸に付いたバッジを示しながら、自己紹介した。
「俺はヨコエジュウ。縦横の横に、江ノ島の江、それに拳銃の銃で横江銃。これでも一応、名門横江家の次男やらせてもらってる」
「はあ。変わった名前ですね。私は秋吉鈴桐。アキにヨシにスズにキリです。ごく一般的な秋吉家で長女やってますけど」
「あんた、中々面白いな」
バイトの兄ちゃん改め横江銃さんは、本当に面白かったのだろう、にやり、といつか見たような笑顔を浮かべたのだが、私はそこに何故か寂しげな影を感じ、少しきゅんとなった。これが恋の始まりだと気付いておけば良かった。そう後から悔やむことになるのだが、それは別段横江さんとの恋愛話が発展するという意味では決してなく、むしろその逆である。
「横江さん、失礼ながら、お幾つなんですか?」
「二一の大学四年生」
「嘘! 全然見えないです」
「あ、そう? 若く見える?」
「それもですし、フリーターかと思ってました」
「そっちか。何気に失礼だな。ここには暇な時、不定期に顔出してるだけだよ、俺は」
「不定期? 木曜の夕方はいつもいませんか?」
「大学一年のとき、木曜の午後に授業が無かったから、ここで店番しようと申し出たんだ。そしたら、決まって紫が顔見せるようになって、さらに君と二人で楽しそうにお喋りに興じるようになった。何となくそれを見ていたいと思ったから、次の年からもずっと木曜を空けてるんだ。それ以外は、ランダムだよ」
「おー。それは、愛ですね?」
「……いや違うって。つうか、違うっていっとかなきゃまずいだろ。君ら、小学生だぞ? 大学生で、小学生相手に愛だなんだって騒ぐのは、変質者に近いだろ」
「大丈夫、もう中一ですよ」
「俺からすれば、まだ中一だ」
まあ、歳の差なんて加齢と共に相対的に縮まって行くものだから何ら気にする心配はあるまい。二一歳と一二歳が二五歳と一六歳に、さらに、三三歳と二四歳に、さらにさらに、四二歳と三三歳に(二人とも厄年)、最終的に八八歳と七九歳にでもなれば、誰もその年齢差には気付かないだろう。愛があれば歳の差なんて、だ。安心して愛を語らうと良い。
「ていうか、そもそも、何で紫さんに許婚なんているんですか? 横江さんって何者なんですか?」
「横江家の次男だってば」
「だから、そんな財閥みたいなの、庶民は知らないんですよ」
「いや、財閥知らなくても、ちょっとは察してくれ。『横江リサイクルブック』の横江だよ」
「……何ですか、それ?」
「それは冗談で言ってるのかな? 君の今いる本屋さんの名前だけれども」
「あ! ここ、名前あったんですか!」
「あるに決まってるだろ」
言われてみればあるに決まっているのだが、今までそれを意識したことなどなかったし、入り口のガラス張りの壁に大きく、『本、漫画、高価買い取り!』と青字で書いてあるのは憶えているが、店名を記した看板など記憶に無い。いや、軒の上に何か文字が記されていたかもしれないが、『横江リサイクルブック』と書いてあったとは知らなかった。本当に。私にとってはこの店はこの瞬間まで単なる『古本屋さん』でしかなかったのだ。ちなみに『横江リサイクルブック』は、当時はまだ書籍しか扱っていなかったが、一年後くらいに増改築し、CDやゲームの中古販売にも手を伸ばし始めることになるので、売り上げは悪くなかったのだろうと思われるが、少なくともこの時レジの横江さんが私とのお喋りに没頭するくらい暇であったことは忘れてはならない。
「つまり、本屋の息子、というわけですね?」
「ここだけ切り取ってそう思われると身も蓋もないけど、横江グループは多角経営なんだよ。しかも、コングロマリットって言って、全然関係ない分野に手広く関わって経営してるんだ。集積回路、紡績、服飾デザイン、芸能プロダクション、コンビニ、他にもまだまだあるよ。蟹カマボコ作ってる工場なんかもあったはずだし。これからはパソコン通信の時代だって言って、そっちにも参入しようとしてる」
「へえ。横江さんは、そこの社長の次男ってことですか?」
「そういうこと」
「あら凄い。いわゆる、親の七光りですね?」
「そういうこと。俺以外の人間に言ったらぶん殴られるから気をつけろよ」
そこでもう一度、例のにやりが来たので、私は横江さんの寂しげな影の理由がわかった気がした。私なんかはお金持ちの子供ってだけでもう羨ましいけど、当の横江さんは全然そんな風じゃなくて、むしろ自分の家柄を快く思っていないんだろう。まあ、誰にでもその人なりの悩みってのは絶対あって、それがいかに他の人から見たら羨ましいと思えるくらいの代物であっても、当人にとっては悩みなんだから悩んでるんだよ、と当たり前だけど理解されにくい問題が、血統や家柄の話にはどうしても付き纏う。
「山川さんの家も相当のお金持ちみたいですが、彼女の家は何をやってるんですか?」
私は、結局小学校を卒業するまで教えてもらえなかった、紫さんのお父さんの職業を、ちょっとずるい気もしたが、ここで尋ねておくことにした。横江さんは、何故か周囲の目を窺って、私にもっと近くによるよう促してから声を潜め、今にも媒図かずおのホラー漫画のあらすじでも語り出しそうな雰囲気を醸した後、ようやく口を開いた。
「これ、あんまり言わない方が良いんだろうけどさ、まあ、君は紫の親友みたいだし、君のことを信じて教えるよ。でも、絶対に他言無用にしてくれ」
「はい。わかりました。善処します」
「いや、誓え。絶対誰にも言うな。……あーでもなあ、まだ君、中学生だろ? 絶対友達に言いふらすよ」
「いえ、じゃあ、言いませんから」
「聞いて後悔するなよ?」
「はい」
「……虚構代行業」
「はい?」
「山川の家は、先祖代々続く有名な虚構代行の家柄でね。山川、裃、裏扇の御三家が今の日本の虚構を殆ど取り仕切ってる。紫の所は、山川の本家だからね。いずれ駿さんが後を継ぐことになるだろう」
「あの、ちょっと待って下さい」
私は、目の前にまで迫っていた横江さんの顔からずいと身を引き、何がなんだかわからないって顔で中学一年生らしい無知さ加減を示さねばならなかったのだが、いや、そもそもこれは幼さゆえの無知だとか何だとかそういう次元の話ですらなかろう、という思いも少なからずあって、虚構代行業なんて聞いたこともないし、少なくともメジャーな職じゃないんだし、もっとちゃんと説明して頂戴よ、と言いたくてしょうがない。
「もっとちゃんと説明して下さいよ!」
あ、言ってしまった。横江さんは、うーんとかむーんとか唸りながら、
「そうか、やっぱり知らなかったか。これなあ、漫画とか小説とか好きな人にあんまり教えたくないんだよな。夢壊すし。……うん、そうだ。やっぱり止めよう。ごめん、俺の言ったことは忘れてくれ。紫のお父さんは、富豪だ。それだけでいいじゃん」
と、あっさり翻意し、虚構代行業について口を閉ざしてしまったのだった。おいおい、そりゃないんじゃない、言わないなら最初から言わなきゃいいじゃん、そんな風に名前だけ聞いたら余計気になっちゃうよう、夜も眠れないよう、ねえお兄さーん、と余程泣き付こうかとも思ったが、古本屋のバイトの兄ちゃん如きに泣いて縋る様子は、それが財閥の次男坊だろうが何だろうが傍から見たらあまりにも見苦しそうだったのでやめておいた。
「ま、機会があったら紫に聞いてみなよ。根気良く頼めばきっと教えてくれるさ。ただ、その時何があっても俺は知らんからな」
丁度その時、ごっそりと漫画本を持ってきた人がレジに並んで横江さんはそちらにかかりきりになってしまい、虚構代行のことを聞き出せぬまま話は終わってしまった。何だよ、もう! 紫さんには中学入ってから一度も逢ってない。わざわざ家まで訪ねて行って訊くのも気が引けるし、ふらっと『横江リサイクルブック』に立ち寄ってくれないと逢い難いよ。ていうか、私立中学ってそんなに忙しいのかな、まあ家から遠いから通学時間がかかるってのもあるだろうけど、せっかくまだ許婚の横江さんは同じ木曜日の午後を空けてバイトしてくれてるんだから、紫さんも来れば良いのに……。
そう言えば、紫さんがわざわざ横江さんに逢う為に毎週木曜この古本屋に来ていたってのは間違いないだろうけど、彼と直接話はしないでも顔を見るだけで満足っていうような甘酸っぱいやり方で良かったんだろうか。いや、まあ、小学校高学年の時分に恋愛観も何もあったもんじゃないだろうが、紫さんと横江さんは許婚なわけで、将来結婚しなきゃいけないわけだから、相手がどんな人かちゃんと見極めるためにとにかく話すべきだろうし、そもそもそのために親に内緒でここに来たんじゃないのか? まあ、彼女の性格なら、奥手で恥ずかしくて話し掛けられなかったのだと言われても納得しそうだが、せっかくここまで来たのに勿体無いなあ、とは思わなかったのだろうか。ああ、いや、思わなかったんだろう、だって私という素敵な話し相手が出来たんだから、とここで自画自賛してみるものの、だったら尚更、中学に入ってから逢いに来てくれないことがもどかしい。何だよ、もう。横江さんもいるし私もいるのに、どうして来てくれないんだよ!
家に帰ってから小学校時代の連絡網を漁って紫さんの家の電話番号を調べ、番号をプッシュしたものの、受話器から聞こえてきたのは「この電話番号はただいま使われておりません」という解せない返事であり、何度かけみても一向に連絡が取れない。電話番号変えたのかなあ、だとしても何故、と訝しみ、おうちの都合でもしかしたら引っ越してしまったのかもしれない、……私には何にも言わずに、と思い至り、ぐう、と胸を締め付けられるような切なさに悶え、ベッドに倒れ込んでその日は不貞寝してしまった。
で、次の日、電話が通じなかったから心配になったという大義名分を引っさげて、放課後直接山川邸に乗り込んだ私は、そこで驚くべき光景を目の当たりにする。なんと、屋敷があった場所には変電所が立っており、豪奢な建物も青い芝も池も噴水も何もかもが消え失せており、かろうじて高いコンクリート壁と門扉の辺りに面影が偲ばれるものの、ここが民家だったことなど微塵も窺わせない無機質な有り様に転変していたのだ。『山川』という表札は、でかでかと高圧電流に注意を促す張り紙になっていて、当然ながら鉄柵の扉には堅く錠がかかっていた。もしかしたら曲がり角を一つ間違えたのかしらん、と馬鹿げた疑惑を自分に投げかけて、念のために周囲をうろうろ散策してみたが、当然ながらあれほどの豪邸が他に見つかることはなかった。ぽかーんとしながら変電施設を見上げ、スーパーの袋を四つも両手に抱えてふうふう言いながら歩いていた通りすがりのおばさんに、この辺りに山川さんっていうお宅ありませんか、と尋ねたが、この辺には無いと思うよ、三丁目のお豆腐屋さんが山川さんだったと思うけど、との返事で、礼を言ってわざわざその豆腐屋まで足を伸ばしたものの、全然セレブじゃない商店街のおじさんが豆腐を売っていただけだった。閉店直前、余り物ということで試食させてもらったがんもどきは滅茶苦茶おいしかったが、当然フレンチシェフが如何ですか、と感想を求めても来ないし、二次元の裸婦がじっと背中を見つめて来たりもしない。うむむ、狐に化かされたか。『ちびまるこちゃん』に似たようなエピソードがあったことを何となく思い出しながら、私は唯一の手掛かりである『横江リサイクルブック』に走り、入り口前の通路に紫さんがいないことに落胆し、続いてレジカウンターの中に横江銃さんの姿を探したが、残念、そこには心底ちゃらちゃらした、女子高生だからかろうじて社会的に許容されている容貌の人間が、気だるそうに番をしているだけだった。なけなしの勇気を振り絞り、横江銃さんは今日来てないんですか、と尋ねると、あー来てないみたいねーいつ来るかわかんないしあの人、と殺意を覚えそうになるくらい適当な相槌が返って来た。私がケンシロウだったらお前はもう死んでいると言うところだけど、私は秋吉鈴桐なのでそうですかありがとうございました、と等閑に言い放って、そのまま店を後にして家まで突っ走ろうと不用意に車道に飛び出し、原チャリ即ち原動機付き自転車所謂スクーターに思いっきり跳ねられて意識を失った。
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