捌の段【回せ】 4
さくらは中庭のがらす瓶の中から、その光景を見た。
屋敷の壁をぶち抜いて、なにかが中庭に突っ込んできたのだ。
それがなにかは、すぐに分かった。
傷だらけの女――柳生垓兵衛だ。
垓兵衛は砕け散った日本刀の柄だけを握りしめ、全身から血をだらだらと流しつつ、しかし。
「……あはぁ」
にたぁり、と笑って、折れ曲がった四肢で這うように立ち上がった。
(なんて……壮絶な。)
続いて、壁の大穴から、金砕棒を担いだ男がのっそりと現れた。
垓兵衛同様に全身から血を流しているが、垓兵衛ほど満身創痍には見えない。
その姿を見た技術者たちが、ぎゃあ、と悲鳴をあげて屋敷の反対側へと逃げ出す。
(喜三さん……!)
さくらが心底来てほしくなかった、烏合喜三そのひとであった。
「いっつ……。傷が開いちまった。柳生垓兵衛、なんだアンタ。なんで立てるんだ、その傷で」
「譲れないものが……あるのよぉ」
ずり、と足を引きずりながら、折れた柄を振り上げる。
まだ戦える、と言わんばかりに。
その手をそっと横から押さえた者がいた。
「垓兵衛、よくやった。もう無理をするな」
六脚歯車椅子に乗った美少年将校、一號は柳生垓兵衛に微笑みかける。
「隊、長ぉ……」
「垓兵衛。きみを失いたくはない。もう休みたまえ」
垓兵衛の手から、柄が滑り落ちた。
力なく崩れ落ちる体を、車いすを動かして膝で受け止める。
「さくら天狗。僕は垓兵衛を安全なところまで運んでくる。……わかっているね?」
「……はい」
さくらはうなずいて、がらす瓶の中で居住まいを正した。
一號は、喜三を横目で睨む。
「喜三。さくら天狗は己の意思でここにいるんだ。最期に話くらいはさせてあげるけれど、無理強いはよくないと思うよ?」
「俺はハイカラな人間だ」
意味不明な返しに、一號が眉を顰めた。
「……はあ? それがなに?」
「柳生垓兵衛の覚悟に免じて、黙ってさくらを奪い取るような真似はしねえと誓おう」
「……理解しがたいね、まったく」
ぎゅるん、がしょん。ぎゅるん、がしょん。
一號の椅子が、屋敷の奥側へと消えていった。
中庭に残るのは、さくらと喜三だけ。
すたすたと歩いて近寄った喜三が、がらす瓶の前で足を止める。
「よう、さくら。迎えに来たぜ」
笑う喜三に、さくらは唇を横一文字に引き結んで、言った。
「結構です。お帰りください」
「つれねえな。もうちょっと話そうぜ」
「追いかけてこないでと、言ったはずです」
さくらはぎゅっと目を閉じた。
(来てくれて嬉しい、なんて。思ってはいけないのです。)
喜三を見ると、心臓が早鐘のようになってしまうから。
そんな己をあさましいと呪いながら、さくらはもう一度言った。
「お帰りください、喜三さん。私はもう、ここで果てると覚悟を決めております」
●
言われた喜三は、がしがしと頭を掻いた。
(取り付く島もねえ、とはこのことだな。)
だが、喜三だって退くつもりはない。もう、二度と。
「おぼえてるか。三日前の夜、アンタを入道長屋に連れ帰ったあとのこと」
たった三日前なのに、もうずいぶん昔のことのように感じる。
「俺ァ言ったよな、勝手に助けるって。アンタも納得した、勝手に助けられるって」
さくらは目を閉じたまま、うなずきもしない。
もう、答えることなどない、というように。
(……そうだよな。答えなきゃいけないことがあるのは、俺のほうだ。)
どうして、と。何度も、いくつも疑問された。
そのすべてに、喜三は答えていないのだ。
正面から。本心から。
なにも、答えられちゃいないのだ。
「……答えるぜ、さくら。アンタの問いに、ちゃんと答える。口は開かなくていい。ただ――聞いていてくれ」
喜三は、すう、と息を吸った。
(言うぞ。)
気合いを入れる。
「最初に会った日、街角でぶつかって一目見たとき、きれいなひとだなって思った! 助けたのは弾みだが、助けてよかったと思ってる!」
まず、ひとつ。
「二度めも助けたのは、一目惚れしてたからだ! アンタを忘れられなくて、まだ追われてるって聞いて……街中走り回って探したんだ、実は!」
次いで、ふたつ。
「入道長屋で隣に住むよう言ったのは、近くに居たかったからだ! 高え場所で不便なのに、ごめんな! ちょっと我がままだった!」
重ねて、みっつ。
「祭りに行ったのは、アンタと花火を見たかったからだ! きれいなアンタと、きれいな花火を見上げたかった! これも俺の我がままだ!」
続けて、よっつ。
「アンタと踊ったのは、アンタと手を重ねたかったからだ! アンタの鼓動と体温を、俺のものと重ねてみたかったからだ! そして――」
最後に、いつつ。
「そして――そして! 俺がアンタのことを知りたいのは、知りたいからだ」
わからない、とは。
もう言わない。
喜三はもう、この言い表せない感情をなんと呼ぶか、知っている。
「知りたいんだ。もっと、知りたい。アンタが好きなもの。アンタの嫌いなもの。アンタの見てきたもの。アンタが見ていくもの。アンタの知ってきたもの。アンタが知っていくもの。俺ァ、その、なんだ。恐山先生みたいに、言葉がうまくはねぇけどよ」
喜三は告げる。緊張を押し流すように、無理やりに笑う。
(好きって、言うんだ。六華に言われたように。)
気合いを入れて、叫ぶ。
「――俺と夫婦ンなってくれ、さくら!」
言ってから、気づく。
(……気合い入れすぎて、一足飛ばしたな、俺!?)
●
さくらはもはや、目を閉じたままでいることなんて、できなかった。
だって、こんなにも。
(こんなにも、鼓動が激しくて。胸が張り裂けてしまいそうで。)
目も口も開かないと、感情という感情があふれ出し、弾けてしまいそうだった。
だから、おそるおそる目を開ける。
がらす瓶の内側には、うっすらと自分の顔が映っている。
真っ赤に染まった、己の顔が。
そして、がらす瓶の向こう側には、喜三の顔があった。
不安と緊張がないまぜになった、なんとも言えない顔で、
(……喜三さんも、お顔が真っ赤です。)
さくらは思わず、笑ってしまった。
喜三は子供みたいに唇を尖らせた。
「なんだよ、さくら。一世一代の告白だぜ、笑うなよォ」
「だって、喜三さん……いきなり求婚してくるのですもの。いつも気障なのに、そんなにうぶな表情で」
『かっこわる』
「うっせ! ああもう、うまくいかねえな」
喜三はがしがしと頭を掻いて、それから吹っ切れた笑顔で、にかッと笑った。
「ようするに、俺ァ、アンタが好きなんだ、さくら! だから、知りたい! そして――教えてくれ、さくら! アンタがどうありたいのかを!」
その笑顔に、さくらもがらす瓶の中で微笑んだ。目じりに涙がにじむ。
(こんなこと、望むのは……あさましいかも、しれないけれど!)
それでいい。構わない。
「はい、私も……!」
ただ、胸の内に正直に行こう。
「私も……お慕いしております、喜三さん……!」
ふたりは顔を見合わせて、笑い合い――そして、うなずいた。
「生きよう。歯車になんて、なるな」
「はい。生きます。喜三さん、あなたと一緒に」
がらす瓶越しに、ふたりはたしかに通じ合った。
しばし、見つめ合い、心を通わせ……しかし、長くは続かなかった。
ぱちぱち、と軽い音が、中庭に響いたからだ。拍手の音だ。
ぎゅるん、がしょん、と椅子の動く音もする。
「感動的な場面だけれど……約束が違うなぁ、さくら天狗」
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