捌の段【回せ】 3



 相手は、昨日負けた女さむらいだ。

 大怪我を負って、満身創痍で……勝てる相手ではないと、頭ではそう思う。

 だが、喜三はにやりと笑った。


(なんでだろうな。不思議と……負ける気がしねえや。)


 金砕棒を持っているおかげだろうか。

 心根からじわりと気力があふれ出て、全身に広がっていくような感覚。

 腹にもどこにも、痛みはない。

 割れたはずの臓腑すら、あっという間に治ってしまったように感じる。


(大怪我過ぎて、体がどうかしちまったのかもしれねえな。)


 だとすれば、かなり無理をしていることになるが。


(今日、これから。さくらを取り返すまでだけ立っていられりゃ……それでいい!)


 金砕棒を持ち上げ、


「おらァ!」


 まずは様子見。とびかかっての振り下ろし。

 当たり前のような顔で避けられる。がちん、と納刀の音。

 つまり……次の歯車抜刀が、来る。

 ぎゅりりりり……と軋む音を聞きながら、喜三は金砕棒をめちゃくちゃに振り回した。

 風を裂く音が連続する。すべて避けられる。

 そうなることも、わかっていた。


「歯車、抜刀――」


 抜刀が、飛ぶ。


(計るんだ。もう、都合三度は見たわざだぞ、俺……!)


 がぎぃんッ! と、金砕棒で受け止める。


「うっふふぅ」

「笑いながら命取りに来るんじゃあねえよッ!」


 弾き飛ばし、また距離を空ける。

 がちん、と納刀の音。


(間合い、速度、狙いの癖、力のかけ方……どんな達人でも、ぜったいに癖ってもんがある。)


 実力では、勝てない。

 喜三は垓兵衛という侍が、己よりはるかに格上の存在であるとわかっていた。


「歯車、抜刀――」


 次の一撃は、金砕棒で逸らすも、受け損ねた。

 ぶしゅうぅ、と喜三の肩から血が噴き出す。

 斜めに弾き飛ばした居合が、肩を裂いたのだ。


「――ふんッ!」


 ぎゅ、と肩に力を入れて、筋肉を締める。

 噴き出していた血が、止まった。


『うわ いたそー』

「ハ。ンなもん、屁でもねえよ」


 がちん、とまた納刀。

 垓兵衛は首をかしげた。


「あらぁ? 何度でも受け止められるんじゃなかったのぉ? 途中で急に力が抜けたわよぉ?」

「だれかさんのせいで、実は大怪我してんだよ」


 軽口をたたきながら、喜三は思う。


(次だ。次で、合わせる。)


 垓兵衛のほうも、喜三の防御に慣れつつある。

 いずれ、金砕棒を潜り抜けて、居合が喜三の体に届くだろう。

 だから、次が勝負だ。


「まあいいわぁ。次は首狙い、行くわよぉ」


 垓兵衛が、構えた。

 喜三もまた、金砕棒を構える。


「歯車、抜刀――」


 居合が、疾走する――。


(ここだ!)


 喜三は確信のもと、金砕棒を両手で掲げる。

 がッぎぃんッ! と、またしても激音を響かせて、金砕棒と歯車刀がかち合った。

 ただし――今回も、喜三が力を抜いた。

 ぐん、と刀が押し込まれる。

 押される勢いを利用して、姿勢を変える。

 足を軸にして、半身を引くように、一回転。同時に、肩の上に金砕棒を担げば。


「……なっ!?」


 刀を振り抜いたまま、射出の勢いですぐには姿勢を戻せない垓兵衛と。

 金砕棒を担いで、すぐに振り抜ける姿勢の喜三が、残る。


「アンタのよォ。歯車抜刀っての、格好いいよな。ちょっと真似させてもらうぜ」


 驚愕で目を見開く垓兵衛を、狙いすます。


(びっくりするよなァ。俺ァ案外、技巧派なんだぜ……!)


 大抵の相手には力押しで勝ててしまうがゆえに、技巧を活かすことが少なかっただけだ。


「回せ、はぐる丸」

『いくぜー おうおう おーう』


 ぎゅるるるるんッ!

 渾身の力で、金砕棒を振り回す。


「……甘いわよぉ!」


 ぐにゃり、と垓兵衛の関節が柔らかくしなって、肢体を折りたたむように地面に伏せた。

 回避される。


(それでいい!)


 避けられることなんて、織り込み済みだ。

 相手の技術は、喜三のはるか格上。ならば。


「赤・鬼・金・棒……!」


 格好つけて技名なんか叫んでいるが、ただの振り抜きである。

 当たるはずもなく、当てる気もない全力の振り抜き。

 ただし――喜三の頑強さと、はぐる丸の歯車力、そして天狗鉄の金砕棒に込められた妖気が組み合わさった、最大の一撃だ。

 ひと振りで、天狗が大うちわでも振り回したかのような豪風が、前庭に吹き荒れた。


(できると思った! やっぱりだ! この金砕棒には、さくらの力がこもってる!)


 金砕棒の直撃を避けた垓兵衛の体が、余波だけで、ぶわりと浮き上がる。


「まず……っ!」


 喜三の、狙い通りに。


「いくら無双の剣術家でも……空中じゃ、避けられねえだろッ!」


 振り抜いた金砕棒を、もう一度構えなおす。


「アンタ、昨日は峰打ちで済ませてくれたからな。お返しだ――峰打ちにしてやる」

『かなぼうに みねもくそも あるか』


 垓兵衛が空中で姿勢を制御し、刀を構えるが、もう遅い。


(防御の上からぶち抜く……!)


 だんッ、と力強く踏み込んで、跳びあがる。

 明機のとび職は、跳び職。空中は喜三の領域だ。

 たとえ相手が剣術の天才であろうと、地の利ならぬ空の利があれば。

 話は、変わる。

 大上段で金砕棒を振りかぶり、


「赤・鬼・金・棒……!」


 振り下ろす。


 どッ、ごぉんッ!


 まるで隕石のように、垓兵衛が地面に叩きつけられた。

 洋館前の道、石畳を砕き、土煙が巻き上がる。


『おいおい しんだぞ』


 はぐる丸ののんびりした焦り声に、喜三は落ち着いて返す。


「……いや、はぐる丸。よく見ろ」

『ぼく め ないけど』

「うっせ」


 土煙の中で、ゆらりと人影が起き上がった。


「う、ふふぅ。死ぬかと思ったわぁ」

「さすが。防御の腕前も、超一流ってか。あんたのが、よっぽど妖怪じみてるぜ」


 軍服はずたぼろに裂け、口からは血の塊をこぼし、左腕は妙な方向にねじ曲がっているが、垓兵衛は当たり前のように生存していた。

 喜三は呆れて、金砕棒を下ろした。


「そんな左腕じゃ、歯車仕込みの鞘を扱えねぇ。居合を扱えないアンタじゃ、鬼の肌は抜けねえよ。もう俺の勝ちだ。退きな、柳生垓兵衛」

「いひ。左手がないからなんなのぉ?」


 垓兵衛は鞘を蹴り上げて、器用に右腕だけで納刀した。

 がちん、と固定音が響く。


「いいわよねぇ。烏合喜三さん。あなたには、自分の居場所があって。素敵なおうちよねぇ、入道長屋。斬りがいがありそうな、大きな建物で」

「……あァ?」


 眉を顰める喜三に、垓兵衛は言った。

 ……どこか、寂しそうな微笑みで。


「でもねぇ。みんなが居場所を持っているわけじゃないのよぉ。小官の居場所は、一號隊長のお隣なの。……そして、あのひとの居場所は、小官が作ってあげるの」

「そのためなら、さくらを殺してもいいってのか」

「ええ、殺すわよぉ」


 垓兵衛は、びしゃびしゃと血をまき散らしながら、鞘付きの歯車刀で喜三を差した。


「だって、そうしないと居場所を作れないっていうんだもの! 血も涙もない怪物剣士にだってなるわ! 一號隊長の居場所はッ! 小官が守るのよぉ!」


 喜三は唇をゆがめて笑った。


「いいねえ、鬼気迫るって形相だ。だがよォ、こっちはほんものの鬼だぜ、おい」

『はんぶん だけな』


 金砕棒を両手で持って、肩に担ぐように振りかぶる。


「ぶっとばす」


 垓兵衛は返事をしない。口で鞘を咥えこんだから、返事ができないのだ。

 がっちりと歯で鞘を噛みしめている。左腕の代わりを、口でやるつもりらしかった。


(歯ァぜんぶ吹き飛ぶぞ、なんつー気迫だよ。一號め、こんな部下がいて、列強諸国なんかの、なにが怖いってんだ。)


 なんにせよ、最後の一合になるのは、間違いがない。


「回せ、はぐる丸。限界までぶん回せ」

『おうともよ』


 ぎゅるるるるんッ!

 はぐる丸が回る。


 ぎゅりりりりりりりりりりりりり――……!

 鞘が泣く。


 そして。


「歯車、抜刀――」

「赤・鬼・金・棒……!」


 今までで一番の轟音が、屋敷の正門前に響き渡った。



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