捌の段【回せ】 1
かんっ、かんっ、かかんっ、かんっ!
己の恋を自覚した喜三は、新たな武器、天狗鉄の金砕棒を手に入れたのでございます。
まさに虎に翼、いやこれぞ鬼に金棒!
……と、言いたいところですが、敵は邪道の剣術家、柳生垓兵衛だけではございません。
攻め込む先は軍の基地。
歯車甲冑を着た侍軍人の兵隊たちが、うじゃうじゃ控えているだけでなく。
兵隊を越え、柳生垓兵衛を越えても、歯車椅子の少年、一號が待ち構えております。
半人半妖の忍者部隊、御伽衆を率いていた一號もまた、戦えぬわけがないのです。
……そして、なによりも最大の壁は。
すれちがったままのさくらを納得させねばならぬ、ということでございましょう――。
●
東饗湾を臨む、軍部所有の洋館。
その巨大な施設の中庭に、巨大な歯車が設置されていた。
歯車の中央、軸の部分には、金色天狗の封印石が嵌め込まれており。
その封印石には、いくつかの管と歯車、からくりなどを介して、地面に置かれた大きながらす瓶が接続されている。
その、がらす瓶の中に。
さくらは、いた。
拘束はされていない。……逃げる気も、もうない。
このがらす瓶の中で、金色天狗の封印石に命と妖気を吸い上げられのだ、と説明された。
つまり、もうじき、さくらは魂と肉体を食いつくされて……死ぬ。
(……十八年。短いようで、長いようで……。)
がらす瓶の中で、これまでの人生を振り返ってみる。
母はさくらとぼたんを生んで死んだという。
半妖を五人も生まされた上に、最後は双子だ。限界だったのだろう。
十八年余りの人生。そのほとんどすべてを、水戸藩主の隠れ屋敷の奥で過ごした。
あれは、ひとつかふたつのころ。
はじめて認識した他人は、隣で寝転がっている双子の姉だった。
くりくりとした瞳で興味深そうに見つめながら、さくらの髪を引っ張るものだから、
(泣いたのですよね、私。)
あまりに大声で泣いたから、乳母から屋敷の警備の侍からなにからなにまで、こぞって集まってきた。
たくさんの他人が集まったことにびっくりして、泣き止んでしまったのだったか。
おぼろげな記憶を掘り起こす。生活に不自由はなかった。
乳母は優しかったし、姉とは仲良しだし、ご飯は美味しかった。
庭も広くて、転げ回って遊んだものだ。護衛の侍たちも、遊び相手になってくれた。
ただ、屋敷の外へはまず出られなかった。
付喪歯車……ツクモギヤも、屋敷にひとつもなかった。
いま思えば、あれはきっと。
(私を隠した水戸藩主は恐ろしかったのでしょうね。私やぼたんが、歯車に触れるのが。)
実際、触れたところでどうなるものでもない。
金色天狗歯車の部品として、いけにえのために生み出された花天狗だが、部品として扱われない限りは、強い妖力を持つだけの人間だ。
……それでも怖かったのだろう。
花天狗は、巫女であり、
起こるはずのない『なにか』が起こってしまうことすらも、怖かったのだ。
(……五つになる頃から、姫として教育され、妖術師として鍛えられて……。)
さくらは、己のことを知らなかったけれど、想像しなかったわけではない。
水戸藩有力者の不義の子かなにかで……それゆえに、屋敷に封じられているのだと、そんな推理をぼたんに披露した。
そういう暇つぶしが、楽しかった。
屋敷に閉じ込められてはいたが、外の話を聞かないわけではない。
ごくまれに、年に一度か二度程度だが、水戸の街を護衛付きで散策する程度は、許された。
姉とよく話したものだ。
(もっと遠くを見に行きたいね、と。逃げ出したいね、と。)
さくらは何度か抜け出そうと画策したが、そのたびに、ぼたんに引き留められた。
(屋敷のひとたちに迷惑をかけてしまうよ、と。……その通りでしたね、ぼたん。)
逃げれば、他人に迷惑をかける。
屋敷からでも、どこからでも……だ。
(先月、一號さんが来て、ぼたんと私を屋敷ごと接収して。)
その場で、金色天狗の封印石に触れさせられた。
体に流れ込む邪気に、ぼたんは耐えられず、倒れてしまった。
だが、さくらは耐えた。耐えられてしまった。
(金色天狗が、私を贄として認めてしまった。)
そして、さくらだけが東饗へ連れてこられた。
花天狗の真実を知り、さくらは歯車の部品なのだと知らされ……隙を見て、逃げ出した。
歯車になんてなりたくなかった。
そんなわけのわからないもののために生み出されただなんて、知りたくなかった。
だから、その場にあった軍服を引っ掴んで変装し、東饗の街へ走り出て……出会った。
出会ってしまった。
つい、と顔をあげる。泣いてしまいそうだ。
(喜三さん……。)
ぶっきらぼうだけれど気障で、優しいけれど鈍くて。
まるで絵巻物で描かれる恋物語のように、さくらを助けてくれた。
一緒に風呂に行った。ご飯を食べた。祭りにも、行った。
笑いあって、通じ合って……さくらの事情を、話した。
けれど。
(喜三さんも、鬼の因子から生まれた、半妖だったのですね。)
さくらと同じで、けれど、まるで違う。
部品として作られたさくらと、兵士として生み出された喜三。
きっと、さくらの裏事情を、詳細はわからずとも察してはいたのだろう。
己と同じような事情を抱えたものだと。
昨日の様子から見て、一號と敵対的な関係にあるのは間違いない。
喜三がいろいろ聞いて来たのも、きっと、軍の情報を得たいとか、そういうことだったのだろう。
それに……喜三は優しいが、さくらだけに優しいわけでは、ない。
(流されやすいですね、私。)
運命的な出会いに浮かれていたのは、さくらだけ。
喜三はただ、だれにでもそうするように、さくらに親切にしただけ。
彼の事情もあったようだが、あれだけの大怪我だ。
もう、巻き込むわけにはいかない。
……きっと、巻き込まれにも、来ない。
さくらと喜三の歯車はもう、噛み合わないのだ。
(……でも、いい思い出になりました。)
がらす瓶の中で、微笑む。
たとえ一方通行のものであったとしても、最期に……胸に抱いて、逝くならば。
この淡くて苦しくて、けれど温かくて甘い想いがいいと。
さくらは思った。
自分が歯車になることで、烏合兄妹が、入道長屋が、水戸の屋敷の人々が守られるならば。
それで、いい。
息を吸って、吐く。
視線をがらすの外へ向ける。ぎゅるん、がしゃん、と椅子が近づいてきていた。
座っているのは、幼い顔立ちの、虫も殺さぬような笑顔を浮かべた男。
「始めようか、さくら天狗」
「……はい。覚悟は、できております」
●
一號は、がらす瓶の中の女に笑いかけた。
「恐ろしがる必要はない。きみは本来の用途で扱われるだけだ。きみが供物となってゴールデンテングギヤは完成する。そうなれば、日ノ本はさらなる発展を遂げるだろう」
「そうですか」
「金色天狗の妖力を使った歯車だ。街の生活だけじゃない。研究はどんどん進むだろう。兵器も、超人兵士も、これまでのものよりはるかに強力になる。列強諸国と渡り合う力の礎になれるんだよ、きみは。誇っていい」
「……そうですか」
唇を尖らせて、一號はがらす瓶の表面を叩いた。
「反応が薄いなぁ。なんだろう。もっとこう、喜ぶとか、悲しむとか、しないのかい?」
「覚悟はできておりますと、申し上げました」
「そっか。それじゃあ、いいや」
くい、と指を振って、周囲の技術者たちに指示を出す。
「始めてしまおう。歯車が出来上がったら、この洋館は東饗城と並ぶ重要な場所になるぞ。僕らの部隊はもう、除け者の吹き溜まりじゃなくなる。軍部でいちばん大事な部隊になれる。もうすぐ、もうすぐだ――」
楽しそうに計画を夢想して――ふいに、一號は屋敷に目を向けた。
入口あたりから、喧騒が聞こえる。
「――来たか」
「……なにが、来たのですか?」
がらす瓶の中で首をかしげる花天狗に、一號は笑いかけた。
「向こうからちょっかいをかけてくる限りにおいては……例の約束も、守りきれるものではない。その点については、事後承諾になるけれど、了承していただく」
はっ、と気づく。
「……まさか! だめです、おやめください!」
一號はさくらを無視して、傍らに侍る女さむらいの腕を叩いた。
「一度目はうそ。二度目は敵対。三度目は襲撃だ――仏の顔も三度までというからね。さあ、垓兵衛。行ってきなさい」
「あらぁ。許可を出してくださるのぉ?」
「もちろん。――好きなだけ斬っていいよ」
にたぁり、と垓兵衛が笑って、疾風のように中庭を駆け抜けた。
向かう先は、喧騒の大元……正門だ。
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