漆の段【鉄火場の六華】 2
喜三を部屋に運んで寝かせたあと、六華は共用土間に戻ってきた。
(帷子は、直せる。それはそうなんだけど。)
砕かれた帷子の鉄輪、ひとつひとつを回収済みだ。
ツクモギヤとの接続部や動力部は壊れていないから、輪を修復して織り直せば済む。
だから、歯車帷子のほうは問題ないのだが……。
はあ、と嘆息する。
(武器は、無理だよ。そのへんの刀でいいなら、調達できるけどさあ。あの侍の居合とかち合えるような武器は、そうそう……。)
垓兵衛の戦闘は、長屋の上から見ていた。
今まで見てきた人類の中で、間違いなく最強だろう。
半妖の喜三と正面から切り結べるような傑物だ。
そんな相手と戦える武器となれば、最上級の素材で作った業物でなければならない。
「どうしようね、はぐる丸」
握りしめた歯車に呼び掛ける。修理のため、一度帷子から外したのだ。
ぷるぷると震えて、はぐる丸は言った。
『ぼく わかんない はぐるまだし』
「だよねー」
もう一度、嘆息する。
(一本鑪の能力があれば、業物を作ること自体は、不可能じゃないけど……。)
素材がない。
鉄が……それも、強力な霊力を帯びた、いわゆる霊鉄が必要なのだが、そんなものがそうそう都合よく手に入ったりはしない。
どうしたものかと悩んでいると、いつも通り共用土間で談笑していたおばちゃんが、声をかけてきた。
「どうしたの、六華ちゃん。なにか困りごと?」
おばちゃんは力強く笑った。
「さくらちゃんが行っちまったことと、なにか関係あるんだろ? おばちゃんでよければ、相談に乗るよ?」
「ありがとう。……それじゃあ、鍛冶窯と霊鉄が欲しいんだけど、伝手とかある?」
だめもとで聞いてみると、おばちゃんは目をぱちくりと瞬かせて、苦笑した。
「鍛冶はちょっと、無理だねぇ。霊鉄? ていうのは、聞いたこともない」
「だよねぇ」
そのとき、共用土間の入り口から、のっそりと袈裟姿の坊主が入ってきた。
「わ。なまぐさ坊主だ」
「なんですかな、その呼び方は……」
近所の寺の坊主は、六華を見るや否や、顔をしかめた。
「烏合六華。アンタの兄貴はどこにおりますかな」
「大怪我して部屋で寝てるよ。なんの用?」
「なんの用、ですと? こっちはアンタの兄貴のせいで大損こきそうなんですぞ」
首をかしげると、坊主は青筋を立てた。坊主の癖に怒りっぽい。
「一昨日、風呂を借りたでしょう。あのあと、風呂釜が真っ赤に錆びついちまって、新品に入れ替えなきゃならんのです。弁償していただきたい」
話を横で聞いていたおばちゃんが「はあ?」と苛立たし気な声をあげた。
「あのねえ、風呂釜なんて、普通に使ってりゃそうそう錆びるもんでもないでしょ。アンタらの管理が悪かったんじゃないのかい」
「これまで錆びていなかったのに、喜三が使ったとたんに錆びたんですぞ。理由は明白ですな。買い取って、新品と入れ替えていただく」
風呂釜ほどの大きさの金属を押し付けられそうらしい。面倒ごとが多い。
(錆びちゃった鉄なんかもらっても、武器にはできないし。)
そう、思ったのだが。はぐる丸が、ぷるり、と震えた。
『きぞう ちがう』
「はぐる丸?」
『そのふろ さくら はいった のぼせた』
「それ、ほんと?」
『きぞうが ふくきせた てれてた』
「うわ。なにそれ、あたしらなんかよりよっぽど進んでるじゃん、ざこざこ兄さまめ」
恨み言を言いつつ、六華はおじさんたちに頭を下げた。
「ちょっと見てくる。もしかしたら、ほんとうに兄さまが悪いかもしれないし」
「だがよ……」
「いいって」
にひひ、と笑って、六華は坊主の背中を押して共用土間を出た。
「……ずいぶん素直ですな。なにか悪だくみを?」
「そんなわけないじゃないですかぁ、やだなぁお坊さんたら。あたし、こんなに純真で純粋でかわいい女の子なのにぃ」
「こわ」
「おい」
ともあれ、寺に行く。
風呂小屋を確認すると、坊主が言う通り、風呂釜が真っ赤に染まっていた。
真っ赤も真っ赤だ。
「うわ、すご……」
「でしょう。擦っても落ちないんですよ。錆の根が深いんでしょうな。困ったもんですよ」
六華はこっそりと笑った。
(……なまぐさ坊主にゃ、わかんないかぁ。妖気がすっごく染み込んでる。のぼせて、調節が効かなかくなって、垂れ流したんだ。金色天狗由来の、神の血を引く上質な妖気をさ。)
これは、最上級の霊鉄だ。
「弁償するよ。いくら? あと、このだめになった風呂釜ももらっていく」
幸い、六華は烏合家の財布を握っているし、貯金もある。
風呂釜の弁償代くらいは、なんとか支払うことができた。
六華は赤い釜……。
(……霊鉄、天狗鉄って呼ぼう。)
天狗鉄の塊を荷車に載せて入道長屋の土間まで持ち帰った。
重かったが、長屋の住民に手伝ってもらって、がんばった。
となれば、次は鍛冶窯が必要なのだが。
「こればっかりは、どこかで借りるしかないけど。あたしみたいな小娘に窯貸してくれる鍛冶屋はないよねぇ」
荷車を押してくれたおっちゃんが、額の汗をぬぐいながら歯車かまどを指さした。
「アレじゃあ、だめなのかい。気力を込めれば込めるほど、高い火力になるんだろ」
「むりむり。料理とは違うんだよ。あたしでも兄さまでも、鉄を熔かせるほどの気力をツクモギヤには渡せない」
おっちゃんが「だめか」とかぶりを振った。
六華の手の中で、はぐる丸が震えた。
『てつを とかせれば いいんだな』
「なに、はぐる丸。あてがあるの?」
『あるよ』
ぷる、と歯車が振動する。
『かまどくんたち ちから かして』
はぐる丸が言った。
(……歯車かまどへの呼びかけ? かわいい……けど、どうしようもないよね)
そう、思っていたのだが。
『さくら つれていかれた』
ぎゅるん、と歯車かまどの一基が回った。いちばん端のかまどだ。
六華が目を見開く。
(気力の供給なしで回ってる!?)
歯車かまどに憑りつく雑霊たちが、はぐる丸の呼びかけに応じている……らしい。
『そう ぼくらの こえ とどく さくら』
「すご……!」
『みんなを なおしてくれた このりっかも こまってる』
ぎゅるんっ、と別のかまどで歯車が回る。
ふいごが上下して、かまどの炎が燃え盛る。
ただの炎ではない。ツクモギヤに宿った雑霊が、気持ちを込めた、妖力の炎だ。
『みんなに よく きりょく いっぱいくれる きぞうも』
ぎゅるるんっ、とまた別のかまどで歯車が回る。
『みんな こまってる だから かまどくんたち』
ぎゅるるるんっ! また、回る。共鳴するように、回る、回る、回る――。
『たすけて おねがい』
ぎゅるるるるるるるんッ!
燃え盛る妖力の炎が、いくつものかまどの口から蛇のように伸びあがり、絡み合う。
一匹の大蛇となった炎が大口を開けて、土間に顕現した。
「うひゃあ」とおっちゃんたちが腰を抜かす。
蛇はそのまま、六華の用意した天狗鉄を呑み込み、一体化した。
真っ赤に赤熱する鉄塊が三和土の上に転がっている。
歯車かまどたちの想いが、鉄を加工可能な状態に保っている。
『りっか かまどくんたち ちから つかいはたした』
あれほど元気だった歯車たちが、もう回っていない。
『しばらく うごかない じかん すくない あと おねがい』
少年のような声に、はっとする。
神秘的な現象に、つい目を奪われてしまっていた。
「任せて、はぐる丸。みんなの想い、ぜったい無駄にしないから!」
そして、思う。
(かまどくんたち、みんなの意識が戻ったら……一基一基に、名前をつけて、感謝しなきゃね!)
六華は小袖の袖をまくり上げ、たすきがけにして両腕を露出した。
白い肌の両腕を、煙をあげる天狗鉄に突っ込む。
今度は「うぎゃあ」とおばさんたちが悲鳴をあげた。
「六華ちゃんッ、なにしてるんだいッ!」
「だいじょうぶ! あたし、炎には強いから」
受け継いだイッポンダタラの能力だ。
いかなる炎でも傷つかない肌。
鉄を自在に変形させる、鍛冶精練の能力。
粘土をこねるように、あるいはうどん生地を伸ばすみたいに、六華が天狗鉄を練り上げる。
伸ばし、折り曲げ、畳んで、また伸ばし。
何度も繰り返して、練り上げた鉄に――拳を、叩き落す。
六華の、細く、小さな拳だ。
けれど、一本鑪の拳だ。
いかなる妖力か、赤熱した霊鉄を幾度も叩くほどに、姿かたちを変えていく。
(ざこざこ兄さまが全力で振っても壊れなくて、どんな攻撃でも受け止められる武器――。)
刀ではない。
同じ土俵で戦って勝てる相手ではない。
垓兵衛という女さむらいに勝ち、生き残り、さくらを迎えに行けるようなものでなければ。
無心で鉄を叩き上げて作り上げるのは、色気もへったくれもない、無骨な輪郭。
「――鬼の武器といえば、これだよね」
六華は出来上がった鉄塊を水瓶に沈めた。
ぼしゅうッ、と白い蒸気が土間を埋め尽くす。
「り、六華ちゃん? 完成かい?」
おそるおそる問いかけてきたおばちゃんに、微笑み返す。
六華が返事代わりに水瓶から取り出したのは、一本の
長さは六華の身の丈ほど、太さに至っては六華の太ももよりも太い。
練り上げられた天狗鉄は、叩かれ、冷やされてなお、鮮やかな赤色だ。
「上出来!」
満足げにうなずく六華に、土間の入り口から声がかかった。
「……なんでえ、六華。立派な武器じゃねえか」
振り向くと、包帯だらけの男が突っ立っている。
「兄さま。まだ起きちゃだめだよ。ていうか、なんで起きれるの?」
「おう。寝るのも、拗ねるのも、飽きたもんでな」
唇の端をひん曲げて、にやり、と兄妹そろってそっくりに笑う。
「そんじゃま、さっそく。さくらを取り返しに行くと――」
ぐう、と。喜三の腹が鳴った。
釣られたように、六華の腹も小さく唸った。
ぱんぱん、とおばちゃんが手を叩く。
「……その前に飯だねぇ、おふたりさん。仕方ない、おばちゃんたちがやってあげようじゃないか。ほら野郎ども、ぼさっとしなさんな! 歯車かまどは休憩中だよ、火を熾しな!」
「あいよ! そうだ、いま表にも屋台が増えてんだぜ、精の付きそうなもんも買ってきてやんよ!」
おっちゃんとおばちゃんが、途端に動き出す。
喜三は静かに頭を下げた。
「面目ねえ。恩に着るよ、みんな」
「ありがと、おばちゃん。おっちゃんも」
「いいのよ」「んだんだ」
長屋の仲間たちは、にっかりと笑った。
「烏合兄妹にゃ、世話ンなってるからよ。これくらいは、させてくれや」
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