陸の段【会うは別れの始め】 3



 がッ、いぃんッ!


 喧嘩煙管と刀の峰がぶつかり、朝もやを裂いて激音を響かせた。

 間一髪。喧嘩煙管で受けられたのは、ほとんど偶然だった。

 衝撃で大きくのけぞりながら、喜三は驚嘆した。


(なんつう威力してやがる!)


 慌てて間合いを詰める。


(ツクモギヤで鞘に仕込んだ発条を押し込み、反発で抜刀速度を上げてんだな?)


 無茶苦茶な仕組みの武器だ。

 鉄砲みたいに、刀の鞘から居合を発射しているのである。


「刀の間合いじゃねえぞ、おい!」

「そうよぉ? 小官ごと打ち出しちゃうからぁ、間合いは広いの」

「そんな無茶な使い方して、なんで鞘も刀身も砕けねえんだ!?」


 垓兵衛がにんまりと微笑んだ。

 反撃の蹴りも拳も、ひらりひらりとかわしてしまう。

 なびく長髪すらも捉えられない。喜三の動きを完全に見切っているのだ。


「小官、才能あるみたいでぇ。こういうの、得意なのよねぇ」


 喜三は目を剥いた。

 喜三が鬼の頑強さでツクモギヤの反動を耐えきっているのに対して、この女は。


(剣術と身体制御だけで……いまの歯車の威力を掌握しきってやがるのか!)


 圧倒的な、技術。

 ただそれだけ、らしい。


「どこの剣術道場で習った、そんな邪道のちゃんばらをよォ!」


 あはは、と見物客になった一號が笑う。


「逆だ、三號。垓兵衛はね。女に生まれたから、剣術を教えられなかったんだ。剣術の大家、柳生の一族に生まれたというのに。だけど――その血は、だれよりも濃かった」


 喜三の回し蹴りを、地を這うような低い後転で避けながら、かちん、と鍔の音を響かせる。


(……攻撃を避けながら納刀しやがった!)


 喜三の拳が空を切る。

 まるで捕らえられない。


「垓兵衛は道場の稽古を見ていただけだ。それだけ。なのに、一族のだれよりも強かった。……その才に恐怖をおぼえた当主が、垓兵衛を暗殺しようとするほどに」


 喜三の攻撃が止まる。距離が、開く。


「……おい、てめえ。つまり、実の父親に暗殺されかけたってのか」

「そうよぉ。お父さま……ああ、悲しい人! あれほど剣が大好きだったのにぃ……」


 にたぁ、と垓兵衛が笑った。


「一族郎党、弟子からなにから動員してもぉ……小官ひとりに、勝てなかったんだからねぇ」


 ぞ、と背筋が震える。


「まさか……斬ったのか!?」

「ちゃあんと、手加減したのよぉ? でも、それがなおさら気に入らなかったみたいでぇ。報復に、鉄砲や火薬や……歯車甲冑まで持ち出して来たわぁ」


 冷や汗をかきつつ、敵ながら呆れてしまう。


「そんなのに襲われて、なんで生きてんだ、てめえ」

「言ったでしょ? 小官、才能あるみたいでねぇ。ぜんぶ返り討ちにしちゃったぁ。でも、何度も報復されるうちに、いやになっちゃってぇ……腕と足の腱を、断ったの」

「全員の、か。剣術家の腱を、斬ったのか」

「はぁい。全員もれなくぅ」

「親も親なら、子も子だな……!」


 ぎゅるるるりりりりりり……ッ!


 垓兵衛の歯車鞘が、悲鳴をあげるように鳴き始める。


『まただ やだ あれ』

「ふんばれ、はぐる丸。避けられる速度じゃねえし、避けさせてくれる腕でもねえ。受けるしかねえ!」

『うおー』


 ぎゅるるんッ! はぐる丸が回る。

 くつくつと一號が笑った。


「命に別状はなくとも、刀は振れず、歩くこともできず。しかし、それでも父親たちは、さらなる報復を試みた。僕が留学から帰ってきて、最初に垓兵衛に会ったとき、彼女は牢にいたよ。やってもいない殺人の罪を着せられてね」

「牢の中なら襲われないと思って、捕まってあげたのよぅ。おかげで一號隊長と会えて、嬉しかったわぁ。一號隊長は、小官に居場所とぉ……斬るものを、くれたものぉ!」


 再び、軋みが解放される。


「歯車、抜刀――」


 喜三は喧嘩煙管の両端を持って構え、全身に力を込めた。

 はぐる丸も、ぎゅるるるんッ、と威勢よく回って、喜三の体に歯車力を伝達する。


(一度は止めたんだ、二度目だって無理じゃねえはず!)


 耐える。耐えられる。

 その後、反撃に転じればいいだけのこと。

 ……だが、喜三は見落としていた。

 ひびだ。

 最初の居合で、喧嘩煙管にひびが入っていることに、気づかなかった。

 喧嘩煙管は、鉄の棒だ。折れるわけがないと、無意識に高をくくっていた。

 ゆえに。

 がきぃん! と、激音を響かせて受け止めると同時に。

 ばきり、と。

 喧嘩煙管は、その中ほどで砕けてしまった。


「がッ」


 垓兵衛の振るう歯車刀、その峰が。

 喧嘩煙管を砕いた勢いそのままに、喜三の腹に叩き込まれた。

 鎖帷子が砕け、弾け飛ぶほどの威力で、横薙ぎの一刀が喜三を吹き飛ばす。


「あはぁ」


 入道長屋の一階、共有土間の引き戸をぶち破って、喜三はごろごろと土間を転がり、ならんだ歯車かまどの一基に頭を打ち付けて止まった。

 ごぽ、と口から血の塊があふれ出す。


「ご、ぺ……」

『きぞう! いきてるか!?』


 返事をする余裕はない。


(……あばら、何本かイッた。内臓も弾けてンなァ、こりゃ。)


 朦朧としつつ、どこか冷静に自分の状況を分析してしまう。

 常人なら体が上下に弾け飛ぶような威力だ。

 鬼の因子を持つ喜三でなければ、死んでいた。


(なにが峰打ちだ、あの女さむらいめ。)


 手を付いて、震える膝で立ち上がる。


「まだ立てるなんて、すてきぃ。ね、ね、隊長。許可、くださらないかしらぁ?」

「だーめ。さあ、行こうか、さくら天狗。……さくら天狗?」

「あらぁ。さくらさんたら、腰を抜かしてしまって。だいじょうぶよぉ、赤い血が流れているうちは生きているから」


 耳に届く言葉の意味が、まるで脳に届いてこなかった。

 一瞬でも気を抜けば、気絶する。そういう嫌な確信があった。


『きぞう とまれ しぬぞ』

「止まれるわきゃねえだろ、ごぷ、おぇ……」


 びしゃびしゃと赤いものを口からまき散らし、しかし、それでも喜三は、ぎん、と砕け散った引き戸の向こうを睨みつける。

 椅子に座る一號。刀を納刀し、笑っている垓兵衛。へたり込んださくら。


(俺が死んだと思って、腰抜かしたか。)


 小さく笑う。血がこぼれた。


「おい、こら。一號こら。てめえの部下、峰打ちの意味知らねえぞ」

「三號が頑丈だと知っているからこそ、だよ。でも、まさかまだ立てるとはね」

「たりめえだ。こっちは、まだまだ余裕だっての」

「めんどうだなぁ、三號。いささか飽きてきた」


 一號が微笑み、垓兵衛を見た。

 がしょん、と椅子の足の一本が喜三を指さす。


「垓兵衛。やっぱり、斬っても――」

「待ってください!」


 さくらの声が、またしても一號の言葉を止めた。

 さくらの手が、地面に転がっていた引き戸の残骸を掴んでいる。

 そのまま、砕けた木の先端を己の首に突き付けた。


「……さくら天狗、そんなことをしたら危ないよ?」

「先ほどの条件に加えて、もうひとつ! 入道長屋の住民には手を出さないと、お約束ください。そうしなければ、この首、いますぐ突きます! ……赤い血が、流れなくなるまで!」


 本気の目だった。さくらは本気でそう言っている。


「さくら! やめろ!」


 喜三は叫ぶが、さくらは木片を下ろさない。


「ははあ、いや、すばらしい。まるで演劇を見ているようだ。作り物同士の恋物語、しかも悲恋と来た。この話をやれば、寄席は大入り満員だろう。なあ、奇縁堂先生」


 一號が視線を横にやる。

 そこには、新たな人影があった。


「……あいにく、昨今は悲劇が流行っておりませんな。喜劇のほうが、ずっといい」

「現実は喜劇ばかりじゃないからね、仕方ない」


 すたすたと長屋から歩み出たのは、黄色い羽織の男……奇縁堂恐山。

 少し青ざめつつ、恐山は一號たちのそばを通って土間に入り、仁王立ちする喜三に近寄った。


「……起きてたのか、先生」

「こうも騒がれちゃ、起きるなというほうが難しい。喜三クン、六華クンも起きている。上からこちらを伺ってくれている。……ふたりいれば、勝てるかい?」

「無理だ」


 ごぽり、と口から血の塊を吹き出しつつ、喜三は即答した。


「六華は戦闘できねえわけじゃねえが、向いてるわけでもねえ。俺ァ……まあ、この有様だ」

「そうかい。だったら……潮時だね」


 喜三は恐山を睨む。


「……潮時って、さくらはどうすんだ、恐山先生」

「死んだら、そこまでだよ。きみの後見人は小生だ。守る責任がある」

「おい」

「悪いね」


 恐山が喜三の肩に手を置いて、そのまま押した。


「ぐ……ッ」


 ただの人間。ただの講談師。大した力もない男の一押しで、喜三は崩れ落ちた。


(だめだ……!)


 意識が、遠のいていく。


「いく、な。さくら……」


 かすむ視界の中。

 土間の出入り口で、朝日の逆光に照らされた人影が、一礼した。


「喜三さん。ありがとうございました」

「さ、くら……」

「私は、私の意思で長屋を出るんです。だから」


 さくらの笑顔が、見える。

 今までのどの笑顔とも違う、痛々しくて、泣き顔みたいな笑顔。

 手を伸ばしても、届かない。砕け散った土間の引き戸。外と内。

 区切りの向こうに、さくらはいる。


「だから、追わないでくださいね、喜三さん」


 ひどい笑顔を脳裏に焼き付け――喜三は、意識を手放した。



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