陸の段【会うは別れの始め】 2



「どちらでもなく、どちらでもあり、しかしどちらにもなれない半端もの。喜三……いや、三號は、やっぱりそんなことさえも教えてくれなかったんだね」


 一號が喜三を一瞥した。


「言えばよかったのに。自分もまた、花天狗と同じ、作られた存在だと。同族意識でもっと仲良くなれたんじゃないかな?」

「一號ッ! てめぇ!」


 食って掛かろうとした喜三の前に、長身の女がするりと躍り出た。


「まだお話は終わっていませんよぉ?」


 首をかしげるその女――柳生垓兵衛は、腰の刀に左手を添えている。

 いつでも抜刀できると言わんばかりに。


『おちつけ きぞう まきこむぞ』


 ぎゅるん、とはぐる丸が呟く。


(……ぐ。ここで始めりゃ、たしかにさくらを巻き込みそうだ。)


 こぶしを握り締めて、こらえる。いまは機を伺うしかない。

 奥歯を噛む喜三をよそに、一號は朗々と続けた。


「江戸幕府の置き土産、無戦無敗の御伽衆。聞いたことはあるかな? 幕末、江戸幕府は最強の忍者部隊を作り上げたけれど、時勢はすでに決していて……たった一度の作戦に駆り出されただけで、戦局を左右することなく維新戦争は終わってしまったと」


 言うな、と喜三は願った。

 その願いは叶わないだろうと、わかっているが。


「僕たちは、その哀れな部隊の一員だった。仲間だったんだ、僕たちは。なあ、三號。たった一度きり、西郷隆盛を暗殺しに行っただけで終わった、御伽衆の仲間だったのさ」


 そうだ。

 喜三は、そして六華は、御伽衆として一號の元にいた。


「だがね、部隊にはまだ秘密が……決して言えない秘密があった。隊員はそれぞれ、人外じみた能力を持つ超人兵士だったのさ。その正体は――全国津々浦々の妖怪を集め、因子を抽出し、母体の胎に仕込んで産ませた半人半妖の怪物だ」


 さくらが目を見開いた。


「……それじゃあ。まるで、花天狗と同じではないですか」

「そりゃあそうだ。大元は同じ、徳川の暗部だからね。あえて違う点を挙げるとすれば、質と境遇だね。御伽衆は、妖怪の能力を受け継いだ『人間より少し強い人間』を生み出して、超人兵士とする計画だった。鬼の頑強な肌や、一本鑪イッポンダタラの冶金能力……」


 そう。喜三の頑丈さや、六華の歯車細工の腕には、理由があったのだ。

 ……妖怪の因子を父として生み出された、半妖の子だったから。


「一方、花天狗は違う。兵士ではなく、もっと大きな――」

「一號さん、その話はけっこうです」


 言葉を断ち切って、さくらが言った。


「……約束していただけますか、一號さん」

「なんだい?」

「ぼたん姉さんと、水戸の屋敷の関係者には手を出さないと」

「ふむ。きみたちはそもそも、日ノ本政府の預かりだ。約束などする必要はない」

「ならば、自刃します。私が必要なのでしょう?」


 一號は我が意を得たりとばかりに微笑んだ。


「……よろしい。僕はそれで結構だとも。ぼたん天狗と水戸の屋敷の関係者には手を出さないと誓おう。その代わり、こちらの計画に協力してもらえるね?」


 さくらはうなずいて、自らの足で一號に歩み寄った。

 喜三、垓兵衛のにらみ合いから、距離が開く。


「いつまで睨み合っているんだい、垓兵衛。撤収だよ。さくら天狗を丁重にご案内して差し上げなければね」

「はぁい」


 柳生垓兵衛が振り向いて喜三から視線を外した――その、刹那。


「回せ、はぐる丸!」


 喜三が吼える。


『よしきた まわすぜ』


 ぎゅるんッ!

 電光石火。

 稲妻のごとく身をひるがえした喜三の当て身が、垓兵衛に……当たらなかった。


「あはぁ」


 ふわりと浮くように、垓兵衛の体が一歩ぶんずれた。躱したのだ。


(避けられた!? 剣術の歩法か?)


 脳内で疑問した直後、喜三の脳天に鋭い突きが繰り出された。

 鞘付きの日本刀が喜三に迫る。


「ふんッ」


 ごッ、と鈍い音を立て、喜三の頭突きが突きと激突し、押し返した。


「……すごぉいお力。ツクモギヤの扱いがお上手ぅ。それに、鞘付きとはいえ突かれて血も出ないなんてぇ、よっぽど強靭なお体なのねぇ」


 垓兵衛は嬉しそうに言って、舌なめずりした。


「一號隊長ぉ。手を出さないのは、水戸の屋敷と天狗の姉妹だけよねぇ」

「そうだよ、垓兵衛。……ああ、そうだ。三號、きみ、僕らの誘いを蹴っただけでなく、さくら天狗を匿っていたね?」

「ンだよ、一號。もうてめえの部下じゃねえんだ、好きにやってなにが悪い」


 ぎらりと一號を睨みつける喜三。

 だが、眼光はさらりと受け流されてしまう。


「そうかい。それじゃ、ただの町人が軍部に盾突くとどうなるかを教えてやってよ、垓兵衛」

「それはつまりぃ?」

「許可は出さない。いちおう、元とはいえ仲間だ。痛めつける程度でね」

「了解よぉ……!」


 垓兵衛がのほほんとそう言った直後、ぞくり、と喜三の背筋が震えた。

 思わず跳び退って、垓兵衛から距離を空けてしまうほどに。


『うわー なんつー さっきだ』

「あの殺気で殺す気じゃねえって、本気かこの女! はぐる丸、出力上げろ。最大でいい」

『おまえでも からだ いためるぞ』

「構わねえ、相手も超人兵士だろ。なんの妖怪だ、てめえ!」

「妖怪? 小官はどこにでもいる普通の女の子よぉ?」

「ハ! 女の子っつう歳にも見えねえがな」


 垓兵衛の笑顔が、引きつった。


「うふふ。だぁれが……行き遅れですってぇ?」

「そこまでは言ってねえだろ」


 垓兵衛が腰を落とし、左手で鞘を持ち、右手を柄に載せた。居合の構えだ。


(……歯車甲冑は着てねぇ。たぶん、帷子もだ。だが……鞘に、歯車がついてんな。)


 刀の鞘に装着された一基が、回転を始めている。


(どういう仕組みの武器だ、ありゃあ。まあ、なんにしても……。)


 喜三は毒づく。


「アンタみてえな細い体じゃ、たとえ歯車仕込みの刀でも俺の体は斬れねぇよ。鬼の因子は皮膚の固さ、筋肉の頑丈さを向上させる。せめて歯車甲冑は着てくるべきだったぞ」


 垓兵衛が薄く笑った。


「そう思うぅ? たしかにツクモギヤの全身鎧は膂力をあげるけれどぉ、精密性と軽さは失ってしまうからぁ……」


 ぎゅるるりりりりりり………ッ!

 刀の鞘の一基。その一基が回転し、しかし、ぎりぎり、と軋みながら動きを止めた。

 相対、五歩の距離。歯車帷子を着た喜三にとっては、一足の距離だ。


『あれ いやだ』


 ふいに、はぐる丸が言った。


「はぐる丸?」

『まわりたいのに まわれてない あのはぐるま いやがってる』

「……なんか、やばそうだな、それ」


 警戒して喧嘩煙管を取り出した喜三に対し、垓兵衛は居合の構えのまま、顔をあげた。


「安心しなさいな。一號隊長の命令はぜったいだものぉ」


 にたぁり、と笑った。


「――峰打ちよぉ」


 溜め込んだ歯車の軋みが、解放される。


「歯車、抜刀――」


 まったくもって、驚いたことに。

 鞘から射出された刀の速度は、音すら置き去りにした。

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