陸の段【会うは別れの始め】 1
かんっ!
……さて。
さくらの居場所は、すでに一號に知られております。
姉のぼたんは傷つき、次は水戸屋敷の使用人が……傷付けられるやも、しれません。
箱入り娘のさくらではございますが、決して、ものを知らぬわけではございません。
もしも、このままさくらが隠れ潜み続ければどうなるか。
故郷のものたちに、入道長屋に住まうものたちに、どれほどの迷惑をかけることになるか。
それがわからぬほど愚かではないのでございます。
ゆえに、さくらはある決心を固めるのでございました――。
●
床に臥すぼたんのそばで、四半刻ほど泣いたさくらは、涙をぬぐって立ち上がった。
「喜三さん。私、少し疲れてしまって。しばらく、部屋で休みますね」
「おう。送るぞ」
「いえ、昇降機に乗るだけですから」
さくらは真っ赤な目じりを曲げて微笑んだ。
「ぼたんを……姉さんを、頼めますか」
「……おう」
共用土間を出て、恐山と六華に頭を下げる。
ふたりは心配そうに声をかけてくれたが、さくらは弱々しく首を横に振って、歯車昇降機に乗った。ほかに乗客はいない。
ぎゅるん、ごうん。歯車昇降機が唸る。
「私じゃなくても……同じように助けてくれるのですよね」
ぽつりとこぼす。
昇降機が二十階に辿り着く。廊下を歩いて、自室へ入った。
草履を脱いで、畳に上がる。
室内には、六華が用意してくれた布団や、歯車動力で光る提灯などがある。
たった二日過ごしただけの部屋だが、すでに愛着が湧いてしまって、惜しくて仕方がない。
(あ……。この服も、六華さんが作ってくれたのですよね。軍服を仕立て直して。)
喜三同様、さくらのためにいろいろと心を尽くしてくれた。
かわいい女の子だ。
さくらは微笑んで、ぎゅっと小袖の胸元を握りしめた。
「ごめんね」
小袖を脱いで枕元に置き、半着で布団に横になる。
(ちょっとだけ、眠りましょう。)
少し眠って、そうしたら。
そうしたら……。
……行くべきところへ、行こう。
●
翌朝、まだ陽が昇るより前。
喜三はのっそりと布団から起き上がって、壁に吊るした歯車帷子を手に取り、素早く纏った。
『……んお? はやすぎるぞ きぞう』
「ああ、そうだな」
喜三はぶっきらぼうに言った。
まだ眠っている六華を横目に部屋を出て、隣室の扉を一瞥した。
しっかりと閉まっていて、外から中の様子をうかがうことはできないが。
がしがしと頭を掻いて、喜三は手すりを乗り越えた。
『まわすか?』
「いい。下りるだけだ」
『あしが いたいぞ』
「……それでいいんだ」
びゅうびゅうと耳を斬る風音に顔をしかめながら、喜三は地面に激突するようにして、どずん、と着地した。
びりびりとした振動が足に伝わる。
痛みで、しっかりと目を覚ます。
喜三の着地に、目を丸くして驚く人影があった。軍服を加工した小袖を着て、なにも持たずに去ろうとしている人影。
「どこ行く、さくら」
問うと、染め色を落とした深紅の赤毛を揺らして、さくらが困ったように微笑んだ。
「気づかれてしまいましたか」
「俺ァ、寝起きがいいんだ」
「そうでしたね。できるだけ静かに出たつもりだったのですけれど」
微笑むさくらに対して、喜三は笑わなかった。
「行くな、さくら」
「私がどこへ行くか、お分かりなのですね」
「出頭する気だろ」
さくらはうなずいた。
「喜三さん。これ以上は、やめましょう。私は去ります。喜三さんたちは、以前の生活に戻るだけ。それでいいでしょう?」
「よかねえよ。袖振り合った仲だ、ほっとけねえ」
「……それだけ、ですか?」
さくらの問いに、喜三は目を背けた。
「わかんねえことがある。それが、どうにも気になる」
「昨日もおっしゃっておられましたね。わからない、と」
「ああ。……さくら、アンタの妖術は強力だが、それだけじゃ理由がわからん。超人兵士を収集する部隊が、なぜさくらを求めたのか」
加えて、もうひとつ。
「……なぜ、部隊から逃げたのか。それすら聞いてねえんだ。超人兵士なら、それなりの扱いを受けるはずだろう」
礼儀正しいさくらが逃げるほどのなにかがあったと、そう考えるのが自然だ。
(一號は、俺を誘ったとき、言葉こそ曲がっちゃあいたが、敬意はあった。)
喜三の問いに、しかし、さくらは悲し気に目を伏せた。
「喜三さんこそ、わからないおひとですね」
「……どういう意味だ?」
眉を顰める喜三に、さくらは首を横に振る。
「……詮索はなし。それが入道長屋の決まりでしょう?」
「そうだ。だが、知りたい。俺ァ、アンタのことが知りたいんだ」
「どうしてです?」
「……どうして? どうしてって、そりゃあ……」
問われて、言いよどむ。
「昨夜も、お聞きしました。喜三さん……教えてください」
口の止まった喜三に、さくらが問う。
「どうして私と踊りを踊ったのですか」
次いで、問う。
「どうして私を祭りに誘ったのですか」
重ねて、問う。
「どうして入道長屋に住むよう仕向けたのですか」
続けて、問う。
「初めて会った日、どうして二度も私を助けたのですか」
最後に、問う。
「どうして――どうして、そんなに私を知りたがるのですか」
喜三はなにかを答えようとして、しかし、言葉にはできず。
ややあって、がしがしと頭を掻き、嘆息した。
「……それはよ。それは……」
答えが、続かない。
(わからねえ。)
それが、喜三の答えだった。
わからない。ただ、気になるから。助けたくなったから。
自分自身で理解しきれていない本心を、喜三は言葉にできなかった。
どうやって言葉にすればいいのか、わからなかった。
どうしたものか、と悩む中で、しかし、喜三ではない声が答えを発した。
「同じだからだよ、さくら天狗」
ぎゅるん、がしょん。ぎゅるん、がしょん。
はっと視線を向ければ、朝霧の中、道の向こうからゆっくりと多脚の椅子が近づいてきていた。
軍服の少年が、いつも通り、虫も殺さぬような慈母の微笑みを湛えている。
そばには刀を携えた柳生垓兵衛も控えていた。
「己と同じものを感じたんだ。そうだろう、喜三」
「一號……! てめえ、なにしに来やがった!」
喜三の怒声を無視して、一號はさくらを見た。
「さくら天狗。ぼたん天狗の容体はどうかな? きみの代わりに金色天狗の依り代にしようとしたのだけれど、うまくいかなくてね」
「よくも、姉さんを……!」
さくらは一瞬、怒気をあらわにした。ぱりぱりと妖気が毛先から流れ出る。
だが、
「……いえ。失礼しました、一號さん」
すぐに収めた。怒気は感じるが、食って掛かろうという態度ではない。
いま襲い掛かって、事態が好転するわけではないとわかっているからだろう。
さくらは一呼吸入れて息を整え、喜三を――睨みつけた。
「ところで喜三さん。どうして一號さんの名前を知っているのですか?」
「……それは」
「それも答えられませんか? 私には何でも聞いたのに」
「違う、俺にもその、事情があってだな。なんていうか――」
言い訳なんか聞きたくない、とばかりにさくらは視線を外す。
「同じものを感じたからだ、と。そう言いましたね、一號さん」
一號は面白そうに微笑んだ。
「そう。喜三ときみは……より正確にいうならば、僕らときみは、同じなんだ」
「同じ……?」
首をかしげるさくらに、一號は告げる。
「作り物なのさ。人間のまがい物で、妖怪のまがい物だ」
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