伍の段【祭りと花火と】 4
水戸。
東饗府から北へいったところにある土地だ。納豆が名物だったか。
さくらはどんどんと打ち上がる花火から目を逸らして、喜三の横顔を見上げた。
「水戸のどのあたりか、聞かないのですか?」
「聞いてもいいのか?」
「喜三さんのお気持ち次第です」
喜三は少しだけ逡巡し、結局聞いた。
「水戸の、どのあたりだ? 山奥か?」
「なかば確信して聞いておられますよね、喜三さんは」
さくらは「そうです」とうなずいて、また花火に目を向けた。
(そうか。光を反射すると、金色に見えるんだな、さくらの瞳は。)
そんなことに、気づく。
「……喜三さんは、私のことを知りたがりますよね。詮索はご法度なのに」
言われた言葉に、喜三はがしがしと頭を掻く。
「そうだよな。わりい」
「いえ、悪い気はしません。けれど、理由は知りたく思います。なぜ、私のことを知りたいのです?」
なぜ。
問われて、少し悩み……喜三は首を横に振った。
「すまん。わからねえ。自分でも妙なんだが、つい聞いちまうんだ。なんでだろうな」
「……そうですか」
さくらは寂しそうに唇を尖らせ、そして、言った。
「私、水戸で生まれたのですけれど……本来、生まれるべき子ではなかったらしく。山奥の屋敷に隠されたのです」
隣に立つ喜三にしか聞こえないような、小さな声。
それは、事情だ。さくらが喜三に言わなかった、事情。
「さくら……」
「これは詮索ではなく、私が自ら語ることです」
そう言われると、喜三にできることはもう、話を聞くことだけだ。
「双子の姉と一緒に、屋敷から出ることなく育てられました。なに不自由なく……いえ、街に出たりはできなかったので、それはそれで不自由だったのでしょうけれど」
でも、とさくらが呟く。
「先の戦、維新戦争で、私たちの……親、と呼べばいいのでしょうか。彼らは失脚してしまったのです」
「政府に財産を接収されて、屋敷を隠し通せなくなったか。だが、それがどうして東饗へ?」
「喜三さんが言ったとおりですよ。財産が接収されたのです。……私たちもまた、財産の一部だとされていました」
喜三は顔をしかめた。
「……娘、ふたりがか。あんまり聞こえのいい話じゃなさそうだな」
「はい。私もそう思います」
どん、と空に花火が咲く。
さくらは、その花火から目を逸らし、喜三を見て……決心した顔で、言った。
「私は天狗です。実は妖怪なのです、私」
「……天狗? 実は妖怪、だと?」
驚く喜三に、さくらは微笑んだ。
「厳密には、違うのですけれど。私の母は、金色天狗の因子を与えられて、私を生んだのです。わかりにくいお話だと思いますが……」
喜三は少しだけ目を見開いて、視線を落とした。
「いや、わかる。母体の胎に妖怪の因子を埋め込んで、半妖の子を産ませる技術だろ。幕末、江戸幕府側がそういう技術を持っていたのは、知っている。超人兵士を作るためにな」
「信じてくださるのですか?」
「ああ。アンタの妖術が強力なのは、半妖の天狗だからか」
「そうです。……とはいえ、私たちがそういう存在だと教えられたのは、軍の所有物になってから、ですけれど」
納得した、と喜三はうなずく。
「だが、妖怪が強ければ強いほど、因子を宿した時点で母体に悪い影響が出て……出産前には命を落とすはずだ。金色天狗みてえな強い妖怪の因子を宿せる適合者が、そうそういるとは思えねえ」
「私の母は、どういう経緯か、それができたのです。金色天狗の因子を孕むことができる、稀有な存在だったと。母は五人の娘を授かりました。私は末子、末の娘で……上の三人は、幼くして亡くなりました。いまは、双子の姉と私だけ」
喜三は少し間を空けてから、問う。
「それじゃあ、さくらも維新戦争に幕府側で参戦したのか? いや、違う。それならツクモギヤを知らねえはずがねぇ。超人兵士はツクモギヤとの併用が前提だ。てことは――」
さくらは神妙にうなずく。
「私たちは天狗として生み出され、しかし、秘匿されました。私たちを作った水戸の藩主は私たちを山奥の屋敷に保護して、幕府には引き渡さなかったのです。逆に、徹底的にツクモギヤから遠ざけられて育ちました。……おかげで、東饗に来てから驚きばかりです」
「なぜだ? なぜ、水戸藩主はアンタを隠した? 水戸といやあ、徳川家直系の藩主だろう。水戸黄門さまが、徳川光圀って名前だったはずだ。幕府側の勢力だろ」
「正確なところは、わかりません。幕府に嫌気がさしたのか、戦争の悪化を疎んだのか。あるいはもっと別の理由だったのかもしれませんけれど、いまやわからずじまいです」
どん、どん。花火が空に咲く。
「でも、秘匿されたまま戦を終えた私たちの存在を、どこかで聞きつけた将校がいたのです。彼によって、私たちは接収されました。つい先日の話です」
「……超人兵士を収集する部隊の、か。さくら、姉さんは、いま――」
さくらは微笑んだ。
「姉さんは私ほど天狗の力が強くないから、目的にそぐわないと……水戸の屋敷に残されました。使用人たちもそのまま残っていますから、生活もできるはずです。私だけが、東饗に連れてこられました」
「なら、水戸に帰れば家族が……ダメだな。姉さんに迷惑をかけちまう」
「そう思います。ですから、私はもう、どこにも居場所がないのです」
どん、とひときわ大きな花火が咲いた。
寂しそうなさくらの横顔を、明るく照らす。
「……ンなこたァねえだろ。アンタの居場所は、入道長屋だ」
「喜三さんのお隣の部屋、ですか?」
「そうだ」
さくらは花火から目を逸らして、喜三を見た。
金色の光が、瞳の中に揺蕩っている。
「喜三さんは、どうして私にそこまでしてくれるのですか?」
「袖振り合うも多生の縁っていうからな。家訓だ」
「それでは、私じゃなくても、同じように助けたのですか?」
「……ああ。助けた」
首うしろで、はぐる丸が震えた。嘘つけ、とでもいうように。
「さすがは喜三さんです。そういうお優しいところが素敵で……私は大好きです」
さくらは儚く笑って、また花火を見る。
しばらく、無言の時間が続いて。
そのまま、花火の打ち上げが終わった。
さくらを抱えて江戸城を飛び降り、入道長屋へと戻ると、人混みがあった。
長屋の前で、ざわざわと人々が喧騒を生み出している。
「なにか、あったのでしょうか」
「なんだろうな。酔っ払いでも倒れたか?」
何気なく近寄っていく喜三とさくらに、鋭く声をかけるものがいた。六華だ。
「――喜三兄さま! さくらさんも! どこにいたのッ、探してたんだからねッ!」
喜三の義妹はひどく慌てた様子でふたりに駆け寄り、言った。
「こっち来て! はやく!」
人混みを掻き分けて、長屋の一階、共用土間へとたどり着く。
一段上がった畳の間には、多くのひとがいた。医者のような恰好の者もいる。
恐山も、険しい顔つきで正座していた。
(なんだ? だれか、倒れたのか?)
背伸びして覗き込むと、畳の上で、ひとりの女が寝かされているのが見えた。
鮮やかな深紅の髪を持つ、女だ。さくらによく似ている。
(顔も、背丈もそっくりだ。それじゃ、あれが……姉か?)
違うとすれば、その土気色を通り過ぎて蒼白といっていい顔色だ。
まるで死蝋のようで、生気を感じさせない。
喜三と同時に、さくらも気づいたのだろう。
「ぼたん!」
駆け寄り、布団の横に膝を付いて顔をよせる。
「どうして……!?」
「お嬢さん、治療中だよ。離れて」
「やはり、さくらクンのご親族か。顔で分かったよ。長屋の前に倒れていたんだ。気持ちはわかるが、抑えて。お医者がなんとか――」
恐山の制止を遮って、さくらの瞳に金色の輝きが宿った。
栗色の髪がぶわりと広がって、染め直すがごとく、赤くなる。
寝かされている双子の姉、ぼたんと同じ色に。
着色を弾き飛ばして、元の色を取り戻しているのだ。
周囲の医者たちも、妖気と共に巻き起こった暴風に押されて畳の上に転がる。
「さくら!」
喜三が叫んでも、さくらは止まらない。
高まった妖気が、ごうごうと風になって共用土間に吹き荒れる。
喜三ですらたたらを踏む豪風は、ぎゅっと細い一本の風に凝縮されて、寝かされた赤毛の女の口を目掛けて流れ込んだ。
(……なんだ? なんのわざだ、いまのは。)
風がおさまる。からん、と風で飛んだ鍋が土間を転がった。
「……妖気を、分けました。以前も一度だけ、ぼたんがこうなったことがあって」
さくらが細い声で言う。
喜三が畳に上がって見てみれば、さくらの姉、ぼたんの顔色は血の色を取り戻していた。
転がっていた医者が這いよって、脈やら呼吸やらを確かめる。
「……信じられん。さっきまで危篤だったのに。だが、これならば……」
恐山がすっくと立ち上がった。
「見物客を散らしてくる。どうやら、小生が思うより、もっと大変な事情があるらしい」
「恐山先生、俺ァ……」
「さくらクンのそばにいなさい。いいね? 決して目を離してはいけない」
「……わかった」
さくらの横にあぐらを掻いて座る。
医者がぶつぶつ呟きながら薬草を磨り潰すのを眺めながら、喜三は言った。
「さくら。アンタの姉さんだな」
「……はい」
「水戸にいるんじゃあ、なかったか」
「そのはず、でした」
さくらが両手で顔を覆った。喜三は唇を真横に引き結んで、なにも言わなかった。
なにを言えばいいのか、わからなかった。
(水戸にいるはずの姉。目的にそぐわないと、屋敷に残されたはずの半人半妖。その姉が、入道長屋の前で倒れてたってんならよ。)
だれが絡んでいるかは、すぐにわかった。
「……以前、ぼたんがこうなったのは……超人部隊の隊長が、ぼたんに石を持たせたときです」
「石?」
「妖力を封じ込められた石です。……おそらくは、金色天狗の封印石でしょう」
封印石。それはたしか、ある部隊が回収していたのではなかったか。
喜三は唇を噛んだ。
「ぼたんは石の力に耐えられず、気力を吸いつくされて、こうなってしまったのです。そのときも、私の妖気を分けました」
さくらなら救えると知っていた。
(……くそ。あいつめ。)
間違いなく、一號の仕業だ。
(一號に、さくらが入道長屋にいるって、バレてる!)
これはつまり、手紙だ。
『逃げるな』と。『逃げれば、知り合いがこうなるぞ』と。
ただ捕まえるのではない。さくらに思い知らせるために、水戸から姉を連れてきた。
ぎり、と奥歯を噛む。
(あの野郎……!)
ぽろぽろと涙をこぼして、さくらは言った。
「……私のせいです。私が、逃げてしまったから」
「ちげえよ。さくら、アンタのせいじゃねえ」
とっさに投げかけた慰めの言葉は、けれど、喜三本人でもわかるくらいに寒々しく。
首うしろで、はぐる丸が寂しそうに、ぎゅる、と小さく回った。
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