伍の段【祭りと花火と】 3



 祭りの醍醐味は、屋台飯にある……と、喜三は思っていた。

 普段より増えた屋台で、様々な飯を楽しむものだと。

 だが、さくらが屋台よりも興味を示したのは、踊りだった。

 十字路ごとにやぐらが組まれ、提灯が吊るされて、笛と太鼓で祭囃子が奏でられている。

 やぐらをぐるぐると回りながら、町人たちが踊りまくる光景に、さくらは目を輝かせたのだ。


「ね、ね! 踊りませんか、喜三さんっ!」


 そして、そんなことをのたまう。


「……俺、踊りがわからねえんだが」

「私も知りません」

「おい」


 さくらは花咲くように笑った。


「いいじゃないですか、知らなくたって。こうですよ、きっと」


 両手を斜めに上げて、踊りっぽい姿勢をとる。


(……まあ、見よう見まねで踊れそうな踊りではあるか。)


 喜三もさくらに続いて両手を挙げた。


「せっかくだしな。踊るか」

『おどる あほう だな』

「うっせ」


 袖をまくって、踊りの輪に入る。

 さくらが前、喜三がうしろ。並んで踊りはじめて気づくのは。


「なんだ。けっこうみんな、見よう見まねなんだな」

「そうやって、振り付けをおぼえるのでしょうね」


 一周する頃には、喜三もさくらも踊りをおぼえていた。

 祭囃子にあわせて、はぐる丸もぎゅるんッ、ぎゅるんッ、と鳴る。


『たのしいな』

「……そうだな」

「ええ、とっても!」


 振り返ったさくらの笑顔につられて、ついに喜三も微笑んだ。

 さくらが目を丸くする。


「喜三さん、そうやって微笑まれると、とってもかわいらしいのですね」

「よせやい」

『かわいいぞ きぞう』

「うっせ」


 踊る、踊る。……まるで、なにかを振り払うように。


 祭囃子がひと段落したところで、喜三とさくらは道端に寄った。

 踊りつかれたさくらは、額に軽く汗を浮かべつつ、喜三に寄り添う。


「えへへ。ちょっと、はしゃぎすぎました」

「どっか、座るか?」

「いえ。そこまででは……」


 言ったところで、さくらのそばを子供が走り抜けた。

 軽くぶつかって、「ごめん!」と叫びながら去っていく。

 ふらついたさくらを、喜三が胸板で抱き留めて支えた。至近にさくらの顔がある。


(……目もきれいだな。目の奥に、光があって。)


 光を受けて反射する金色の輝き。芯が強く、優しい光だ。


「あ、あの、喜三さん……?」

「ん? ああ、すまねえ。だいじょうぶか?」

「はい、だいじょうぶ……いえ、やっぱりだいじょうぶではないので、もう少し、このまま」

「わかった」


 肩を抱いて、しばらく。互いの鼓動が、とくん、とくん、と伝わるほどの距離。


『あますぎるな これ ……おれ みかく ないけどさ』


 はぐる丸が、よくわからないことをぼやいた。


「……そろそろ、花火の時間か。どうする、さくら。長屋に戻って見るか? それとも、川沿いに行くか」

「せっかくですから、川沿いで」

「じゃあ、行くか」


 喜三はさくらの肩から腕を離す。


「あ……」


 と、さくらが名残惜しそうな声をあげた。

 人混みが、ぞろぞろと川沿いに向かっている。


「さくら、手ェ出してくれ」


 首をかしげながら、さくらが右手を差し出す。喜三はその手をぎゅっと握った。


「はぐれねえようにな」


 言い訳するように言った喜三に、さくらが花咲くように微笑んだ。


「……はいっ」


 はぐる丸が、ぎゅるん……と回る。


『やっぱ あますぎる って』



 ●


 講談を終えた恐山は、渋い顔で寄席小屋を出た。


「ざこざこ先生っ、お疲れさまっ」


 駆け寄ってくる六華に手を挙げて応じる。


「……どうしたの? 講談、今日も面白かったから、渋い顔する必要はないと思うけど」

「六華クン。いや、楽屋でね、知り合いの将校にちょっと、話を聞いていたんだが」

「将校に? ……ってことは、一號の動向を?」


 うなずいて、嘆息する。


「口の軽い爺さんでね。いろいろと教えてくれたよ。軍部も一號クンの独断専行には困っているようだけれど、実力があるから口を出せないのだそうだ。大半は愚痴だったけれど……妙な話も聞いた」

「妙な話?」

「超人兵士だけでなく、封印された妖怪も収集しているらしい。旧水戸藩主が秘蔵していた、金色天狗の封印石も手に入れたとか。江戸幕府が秘匿していた因子抽出の秘術が記された巻物なども、だそうだ」


 六華が目を伏せた。


「……どうして、いまさら」

「わからない。だが彼のことを『夢見がちな子供』と称していたよ。ほんものの大妖怪、金色天狗を手に入れて、どうしようというのだろうね。なんにせよ、少し厄介な臭いがする。……喜三クンたちは、祭りだね?」

「嬉しそうに出かけて行ったよ」

「ふぅむ。できる限りはやく伝えたいが、帰ってくるのを待つしかないか。……六華クン、晩ご飯だけれど、屋台でいろいろと買って帰ろう」

「はい、先生。……今日はさ、兄さまもさくらさんもいないし、二十階で花火を見ながら、ふたりっきりで……ね?」


 ぎゅ、と羽織の袖を掴まれ、上目遣いで見つめられる。

 目がくらむような感覚をおぼえた。


(はっはっは、これは小生の理性、試されていますね……?)


 小さな手をぎゅっと握り返して、微笑む。


「まだ、だめだよ。六華クンがちゃんと大人になってからにしよう」

「ざこざこ先生のへたれー」


 返す言葉もない。



 ●


 どん、どん、と花火が上がりはじめる……が。

 喜三とさくらに、それらをゆっくり見る余裕はなかった。


「ひとが……多いですね……!」


 大量の人混みに流されて、川沿いの道はまともに歩けなそうになかったのだ。


「さくら、手ェ離すなよ」


 ぐい、と引っ張って、人混みから抜ける。

 細い路地裏には、さすがに人は少なかった。

 だが、建物に囲まれているせいで、花火は見られそうにない。


「……難しいのですね、お祭りって」


 しゅん、とさくらが肩を落とす。

 喜三はがしがしと頭を掻いて、少し悩んでから……唇の端を歪めて笑った。


「せっかくの祭り、楽しみにしてた花火が見れねえってのは、寂しいよなァ。なあ、はぐる丸」

『おう ぼくも そうおもうぜ』


 喜三は、唐突にさくらを横抱きに抱え上げた。


「きゃっ……って、あのう。この体勢は、もしかして……」

「回せ、はぐる丸!」

『おー まわすぜ まわすぜ』


 さくらの悲鳴は、幸いなことに花火の轟音にかき消され、あまり気づかれなかった。

 喜三が跳んで、向かう先は千代田のあたり。

 ぴょんぴょんと家屋の屋根の上を跳び、壁を蹴り、城壁を蹴り登って、瓦の上に着地する。


「ついたぜ」


 目をつむっていたさくらに声をかけると、喜三にしがみついていたさくらがゆっくりとまぶたを開いた。


「……瓦の上? あの、ここはどこの建物の上なのでしょうか」


 喜三はにやりと笑った。


「江戸城だ」

「江戸城!? そ、そんな……将軍家の方々に怒られるのでは!?」

「だいじょうぶだ。江戸城……いまは東饗城って名前だがな、神皇の預かりになっててよ。怒るとしたら将軍家じゃねえ」

「そういう問題じゃありません! いえ、もっと悪いです!」


 ぷんぷん怒るさくらに、喜三は片目をつむってみせる。


「ハイカラでいいだろ? それに、実は神皇が住んでるわけでもねえし。いま、東饗城は大江戸歯車から動力を汲み上げるための、巨大からくりになってるからな。中に入るならいざ知らず、外壁に座って花火見た程度じゃ、バレやしねえよ」

「喜三さんたら! だめですよ、いけませ――」


 小言を続けようとしたさくらだが、どん、という花火の音に、言葉を止める。

 視線を川に向ければ、船の上から打ち上げられた巨大な花火が、夜空に煌々と花開いていた。

 眼下には東饗の街が広がっていて、規則正しく並ぶ歯車街灯や、組まれたやぐらの提灯の灯りが星空のように美しく広がっている。

 美しい花火と、夜景。

 さくらは呼吸すら止めて、しばらくその光景に見入った。

 ややあって、はあ、と息を吐く。


「……もう。なんて言おうとしていたのか、忘れてしまったじゃありませんか」

「どうだ。きれいか?」


 さくらが目を輝かせ、微笑む。


「はい、とても。私、花火って初めて見ました」

「花火も、初めてだったのかい」


 うなずくさくら。


「てことは、東饗府……江戸の出身じゃねえのか」

「詮索はご法度では?」


 微笑まれ、あ、と口に手を当てる。


「わりぃ、つい」


 さくらは微笑んだ。


「別に、いいですよ。……ご察しの通り、私の出身は江戸じゃありません。水戸です」

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