伍の段【祭りと花火と】 2
喜三はその問いに、ただ単純に答えた。
「さあ。わからん。その妖怪がどんなやつなのか、俺ァ知らねえから。知らねえやつに『歯車ンなってくれ』とは、頼めねえだろう。いや、知ってるやつならいいのかっつうと、そうでもねえが」
「……え?」
目を丸くするさくらに、喜三は首をかしげたまま、言った。
「袖振り合うも多生の縁だが、どんな縁を結ぶかは会ってみねえとわからねえ。妖怪か人間かに関係なくな。だが、振り合ってねえ袖については、なにも言えねえ」
「そう……ですか」
さくらは微笑んだ。
「喜三さんの言う通りです。仮の話は、やめましょう」
再び歩き出す。わあわあ、と祭りの喧騒が近づいてくる。
話を変えたかったのだろう、さくらは「そういえば」と言葉を継いだ。
「縁といえば、はぐる丸さんとはどのようなご縁で?」
聞いてから、「あっ」とわざとらしく声をこぼす。
「ごめんなさい。詮索は、いけないんでした」
喜三は笑った。
「はぐる丸、いいか?」
『いいぞ ぼくは』
そうか、と喜三は呟き、首うしろの歯車を指で撫でた。
『くすぐって やめろ』
「こいつァ、維新戦争の折、幕府が作ったツクモギヤだ。量産されたうちのひとつでな。なにか特別な霊が宿っているわけじゃねえ、いわゆる汎用機ってやつだが、幕府解体の折、返し忘れた……というか、返す相手がいなくなったもんで、いまも一緒にいる」
『ざつれい というやつだ ざこざこおばけの はぐるまるさ』
「自分を下げんな、はぐる丸」
『いまは ちがうぞ つよつよおばけだ』
「増長もすんなよ」
さくらが微笑む。
「いまのはぐる丸さんなら、大きな歯車だって回せそうですね」
『まあな へへん』
ぎゅるんッ、と元気に回るはぐる丸。
「でも、雑霊がここまで強く育つだなんて、歯車というのは面白いですね」
『きぞうの せいだぞ』
「俺のせいってなんだよ。……別に特別なこたァしてねえんだが、ある日いきなり喋り始めてよ。名前つけて、話しかけて……それだけなんだがな」
「つまり、それが重要だったのではないですか?」
「それ?」
さくらはうなずいた。
「名前をつけて、呼び、話しかける。相手の存在を認め、対話する行為は、祈りのようなものでしょう?」
「……そんな深い考えはなかったんだが」
頬を掻くと、はぐる丸がぎゅるんと回った。
『そうだぞ ふかいかんがえ ないぞ あんちょくだよな はぐるまだから はぐるまる』
「悪かったな、安直で」
「かわいくて、いいじゃないですか。はぐる丸さん」
『かっこいいのが よかった いまさらだけど』
ぎゅるる、とはぐる丸が不満げに回る。
「減らず口ばっかり達者になりやがる」
『きぞうの きょういくの せいかだ』
「ほらな」
指で首うしろを示すと、
「うふ、あははっ」
こらえきれなかったらしく、さくらが笑った。
「やっぱり、とっても仲良しなのですね、おふたりとも」
「腐れ縁だよ。縁の中でもいちばん下のやつ」
『そうだぞ しかたないから いっしょにいる』
「ほら、とっても仲良しです」
さくらは三歩駆けて、喜三の前に立った。
「屋台、回ってみましょう。喜三さん、ご馳走してくださるんですよね?」
その笑顔に、やはり喜三は目を奪われて――、
『きぞう おまえ ふぬけすぎ』
「うっせ」
大股で二歩。さくらに追いついて、一緒に歩く。
大通り。祭りの喧騒に、そろって足を踏み入れた。
●
窓から祭りの様子を眺める柳生垓兵衛は、残念そうに溜息を吐いた。
「お祭り、隊長と一緒に回りたかったのにぃ」
「この椅子は人混みには向かないし、仕事もあるから、だめ」
東饗湾沿いにある軍部所蔵の西洋館、その一室に、一號と垓兵衛はいた。
(ほんと。つれないおひとよねえ、隊長ったら。)
温和で微笑みを絶やさない、親しみのない人間ではあるのだが、その本質は遊びのない
それが垓兵衛から見た一號であり、そんな一號を垓兵衛は愛しく思っていた。
「垓兵衛ひとりで行ってきなよ。僕はかまわないよ」
「一號隊長と一緒じゃなきゃ、意味ないでしょお」
垓兵衛は頬を膨らませて、童女のように拗ねた。
一號は苦笑して、垓兵衛に笑いかけてくる。
「そう怒らないでよ。花壇の世話でもしてきたら?」
「朝のうちにしちゃったわよぉ、そんなの。あーあ」
机の上の紙を手に取って、ひらひらと振る。
「こら」
「いいじゃないのぉ、どうせ中身は丸暗記しているんでしょお」
垓兵衛には無理だ。一度読んだ文章すら、片っ端から抜けていく。
(一號隊長本人から聞いたことならぁ、忘れないんだけれどねぇ。)
あと忘れないものと言えば、旨い蕎麦屋の場所と……今まで斬った相手のことくらい。
柳生垓兵衛は、そういう女だった。
「結局、急いで水戸から連れてきた花天狗じゃ、ぜんぜん動かなかったのよねぇ」
「うん。案の定だ。だめになってしまったよ。この失敗は必ず生かす」
ぎゅるん、がしょん。一號の椅子が動き、窓に寄った。
ふう、と物憂げにため息を吐くさまが、やけに様になる。
「……花天狗の末の妹が必要だ。どこに隠れているのやら。……例のひょっとこ男、まだ見つからないのかい?」
「証言がないもの、難しいわぁ」
「吹き飛ばされた兵士たち、意識は戻っているんだろう? 呼んでくれないか」
はぁい、と返事をして、垓兵衛は壁の伝声管を手に取った。
呼んですぐに、顔色の悪い男がふたり、部屋に入ってきた。
「ありがとう、ふたりとも。怪我が残っているのかい?」
「いえ、水に落とされたせいで、風邪気味でありましてッ!」
「お気遣い、感謝いたしますッ!」
相変わらず声がでかい。
(うるさいわねぇ。斬ろうかしらぁ。)
そう考えるが、斬らない。仲間は斬らない約束だ。
ただの約束ならば、約束ごと切ってしまえばいいが、一號との約束だ。
斬るわけにはいかない。
「例の、ひょっとこ男の件でね。報告書は上がってきているけれど、きみたちの個人的な見解を知りたい。どういう男だと思う?」
ふたりは顔を見合わせ、言った。
「気障な男、でありますな!」
「心根は良いのでしょうが、いささか格好つけすぎだと感じましたッ!」
そうか、と一號がうなずく。
(……気障で、格好つけすぎで、心根は良さそう。誉め言葉ねぇ。)
まっすぐで、うそを吐けない馬鹿な同僚たちだ。
そういうところがあるから、一號の……多脚歯車椅子に乗った超人兵士の部隊に、押し付けられたのだろうが。
子供が憧れるさむらいの精神を持ったまま大人になってしまった、愚か者たち。
一號とふたりが、さらに詳しく情報を交わしていくのを尻目に、垓兵衛は意識を窓の外に飛ばした。
遠くから祭囃子が聞こえてくる。
(小官たちってぇ、結局そういう部隊なのよねぇ。ほかに居場所がないものたちの、吹き溜まりぃ。隊長からして、そうだものぉ。)
垓兵衛は知っている。一號は、超人兵士の失敗作だと。
幕末。
徳川の暗部は、ただの人間より強い兵士を作ろうと画策し、妖怪物の怪を扱う禁忌の儀式に手を染めた。
そして生まれた最初の試作品にあたる一號は……足が不自由であった。
幕府はもはやろくな猶予を持たなかったため、最初に生まれた一號を年長者として部隊の長に据えたが、結局はあとの祭り。
御伽衆ひとつで解決できるほど、維新の流れは甘くなかったのだ。
倒幕後、一號は明機政府へとついた。
武官としても文官としても、非常に優秀であるため、日ノ本政府もむげにはできないが……疎ましく思うものが多いのは、とうぜんである。
徳川暗部の忌み子そのものなのだから。
(小官にしてもぉ、柳生家の面汚しだものねぇ。)
柳生垓兵衛だってそうだ。
『人斬り』の名は飾りではない。
……古臭い士族だけではないのだ。
本来、人の世に居場所のない獣にすら、一號は居場所をくれる。
一號が矢面に立ってくれているから、垓兵衛たちは居場所を確保できているのだ。
非道な男だと思われがちだが、
(けっこう、寂しがり屋さんよねぇ。)
微笑んで、意識を室内に戻す。
会話はまだ続いていたらしい。
ちょうど、兵士のひとりが、思いついたようにしかめっ面を天井に向けた。
「あ。そういえば、細かいことですが。『回転数上げろ、歯車』という言葉を聞いたと報告書に書きましたが……いま思うと、正確には『はぐるまる』だったような気もするのです。あの男、訛りがあるのかもしれませんな」
「……はぐるまる?」
一號が呟く。
「待て。はぐる丸、だって? 間違いないな?」
鋭い言葉を飛ばして確認する。
「は、ははあ! 間違いないでありますぞ!」
「そっか。そうか、そうか……そういうことか。不合理だな……」
なにか、得心したらしい。
しきりにうなずいて、溜息を吐いている。
垓兵衛はそっと息を吐いた。考えるのは、苦手だ。
そういうことは、一號たちに任せてしまいたい。
だから、垓兵衛の仕事は。
(居場所を守るためには、『人斬り』の刀が必要、と。そういうことよねぇ。)
一號はふたりを下がらせ、嘆息した。
「ひょっとこ男の正体が、わかった」
憮然とした表情で、椅子の背もたれに深く埋まる。
「三號だ。あいつめ、当たり前みたいな顔してうそを吐きやがった。堅気になったなんて、大うそだ。奇縁堂恐山も間違いなく、ぐるだね」
「あら。それじゃ、どうするのぉ?」
一號が、がしょん、と椅子を動かした。
「入道長屋へ行く。第一目標はさくら天狗。確実に確保しなければならない」
わかった、とうなずく。
「でも、無理に押し入れば、また逃げられてしまうわよぉ? あれは風に乗るし、喜三さんは跳び職だと聞いているわよ。歯車甲冑じゃ追いつけないわねぇ」
「いや、いいことを思いついた。向こうから出てきてもらえばいいんだ……。さっき言っただろう?」
先ほどまでの憮然とした顔は、どこへやら。
一號は表情をあどけない微笑みに戻して言った。
「だめになった個体を、生かすのさ」
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