肆の段【入道長屋】 3
さくらは、は、と目を覚ました。
記憶が飛んでいる。
(ここは……。)
自分は畳の上に寝かされていて、視界には喜三の顔があった。
「おう、起きたか。さくら、アンタのぼせて脱衣所で倒れてたんだよ。だいじょうぶか?」
「あ、はい。少し熱っぽいですけれど、それだけで……」
ゆっくり上体を起こすと、喜三の部屋だとわかる。
己の体を見れば、ちゃんと小袖に着替えさせられていた。
体を起こしてから気づいたが、喜三の膝に頭をのせていたらしい。
(ええと……もう少し頭を載せていればよかったです……。)
違う。そうじゃない。
(……私、のぼせてしまってから、どうしたのですっけ。)
脱衣場で倒れたことはおぼろげながらおぼえているが、服を着た記憶はない。
「喜三さん。私の服は、その……どうやって?」
おそるおそる問うと、
「あー、なんだ。すまねえ。六華を呼べりゃあよかったんだが、あいつ、市場にいたからよ」
喜三が顔をそむけた。
横顔の頬が、真っ赤に染まっている。
「なるべく見ねえように着付けたから、その、なんだ。許してくれ」
『ぼく みてたけど へんなこと してないぞ ほんとだ』
つまり、さくらの体を拭いて、小袖を着付けて、背負って跳んで戻ってきたと。
だから、この赤面は、さくらの裸を思い出して赤面しているわけだ。
さくらも、尋常ではない恥ずかしさが心の奥底から湧き上がってきて、顔を真っ赤に染めてしまっているが。
「……ふふ」
と、思わず微笑んでしまった。
いつも気障なせりふをさらりと告げる喜三が、顔を背けて赤面してしまっている。
己の破廉恥さを自覚するが、それでもさくらは微笑みを抑えきれなかった。
意識しているのが自分だけではないと思えて、嬉しくなってしまう。
「……裸を見られたのは恥ずかしいですけれど、赤面する喜三さんを見られたので、許します」
「なんだい、そりゃあ」
喜三が首をかしげて、がしがしと頭を掻く。
その仕草のひとつですら、なんだか愛おしい。
(ああ、やはり……私、流されやすいのかもしれません。)
えい、と気合を入れて、もう一度、横になる。
驚く喜三の膝に頭をのせて、赤面する顔で見上げてみる。
「もう少し、休ませていただきたいのですけれど……膝を貸してくださいますか?」
「……おう」
『おおう だいたん』
はぐる丸の茶化す声を聞きながら、目をつむる。
●
そして、買い物から帰ってきた六華が、膝枕で寝るさくらと膝を貸す喜三を見て、両手から風呂敷を落っことした。
「……なんであたしが見てないところで進展するのっ!?」
「なんで怒られてんだ、俺ァ」
ぼやきつつ、喜三は膝の上で微笑むさくらの顔を見下ろした。
「そろそろ起きるかい、さくら」
「ええ。名残惜しいですけれど、夕ご飯の時間ですね」
頭の重みが離れていく。
「六華さん。晩ご飯のしたく、お手伝いします」
「ありがと! 支度しながら、ふたりでなにしてたのか、根掘り葉掘り聞くからね! でも先にこの荷物、さくらさんの部屋においてこよっか」
落とした風呂敷を持ち上げ、六華とさくらが喜三の部屋を出て行く。
引き戸を締める前に、六華が喜三に振り返った。
「あ、兄さまも夕ご飯のしたく手伝ってね!」
「あいよ。……て、返事聞く前に閉めやがった」
ぴしゃりと閉められた引き戸を見て、がしがしと頭を掻く。
立ち上がると、足にしびれを感じた。
(膝枕、ちょっと長めだったからか。半刻くらい、さくらの頭が載ってたもんな。)
のぼせていたから、体がしんどかったのだろう。
眠るさくらの顔は、やはり美しかった。
『なに にやにやしてんだ きぞう』
言われて、両手で頬を揉む。
「……俺、にやにやしてたか? なんでだ?」
『かー おまえ じかくねーのかよ』
首をかしげる喜三であった。
ともあれ、飯を作るために共用土間に降りると、ちょうど恐山が笹の包みを提げて帰ってきたところだった。
「おかえり、ざこざこ先生っ。それなに?」
「ただいま、六華クン。うなぎだよ。寄席の帰りに、普段見ない屋台が出ていたものでね。銀座の名店だそうだ。おかずに一品、どうかと思って」
「やった! あたし、うなぎだいすき!」
もともと、江戸は湿地を埋めて作られた街だ。
水路ではうなぎが大量に獲れるため、東饗では安くて手軽に手に入る、定番の食材である。
「……でも、なんで銀座の店がわざわざこっちにほうに?」
六華の疑問に、笹の包みを解いて皿に移し替えつつ、喜三が答えた。
「大江戸歯車祭だろ。この辺は縦積みの長屋が多くて、花火が見やすいからな。屋台を出すにはうってつけだ」
ああ、と六華が相槌を打った。
「そっか、もう明日から大江戸歯車祭なんだね」
「寄席の客が増えるから、小生も稼ぎ時だ」
「……ちなみにだけど、ざこざこ先生、一緒に回る時間、ある?」
「夜は花火に客を取られるからね、席数は多いけど、いつもより早く終わるんだ。時間は取れるよ、六華クン」
「にひひ」
『おーおー おあついね』
「はぐる丸、茶化すんじゃねえよ」
和気あいあいと飯の準備をする中で、味噌汁を椀に注いでいたさくらが首をかしげた。
「大江戸歯車祭って……なんですか?」
ほか三人が黙ってさくらを見る。
「……な、なんですか?」
「さくらさん。大江戸歯車祭、聞いたことないの? どんなに田舎からでも、お客が来るお祭りなんだけど……」
「え、ええ。その、ほかのことについてもそうなのですけれど、特に歯車については、ほとんど聞かされずに育ったもので……」
「ははあ。さては、よほど歯車がお嫌いなご両親のもとで育ったと見えるね、さくらクン。小生が説明してもいいけれど……」
恐山がちらりと喜三を見た。喜三は三秒ほど考えてから、うなずいた。
「さくら、一緒に行くか。話で聞くより、見て回ったほうがわかりやすいだろ」
「はいっ、ぜひご一緒させてくださいっ」
花開くように微笑むさくらを見て、六華と恐山が顔を見合わせる。
「ちなみにあたしは恐山先生の講談聞いてから、ふたりで回るつもりだから。邪魔しないでね」
「小生も仕事がどれくらい長引くかわからんし、祭りの人混みでは合流するのも難しかろう」
喜三が首をかしげる。
「つまり、なにが言いたい?」
「そっちはふたり、あたしたち抜きで楽しんできなよ、てこと」
「祭りの時期は工事の仕事もないだろう? 存分に楽しんでくるといいさ。なんなら、昼間からでも」
ふむ、と喜三が顎を撫でる。
(まあ、屋台も出るし。いくらでも時間は潰せるわな。)
買い食いの軍資金は……まあ、それくらいはなんとか捻り出せばいい。
「俺ァ、何時から行ってもかまわねえ。さくらは、どうしたい?」
「お昼から回ってみたいです」
「じゃあ、そうすっか」
さくらが、ぱあ、と嬉しそうに笑う。喜三はその笑顔を眩しそうに見つめた。
……ぎゅるん、とはぐる丸が不機嫌そうに小さく回った。
『ぼくもいるんだけどな まあいいけど ぼくは くうきのよめる はぐるまさ るすばんくらい よゆうなのさ』
「おい、なに拗ねてんだ。一緒に行くだろ」
「はぐる丸さんも、ね?」
『……へへ まあ そこまでいうなら いってやらんこともない』
「素直じゃねえなあ」
と、喜三が言うと、はぐる丸は元気にぎゅるんぎゅるんと回った。
『うっせ』
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