肆の段【入道長屋】 1



 かんかんかんっ! かかんっ!


 入道長屋の住人、烏合喜三。

 喜三の血のつながらない妹、烏合六華。

 軍部から兵器を持って逃げた妖術師の女、さくら。

 超人兵士を集める部隊の隊長、一號。

 一號に付き従う女さむらい、柳生垓兵衛。

 これにて五名、役者が出そろった、というわけでございます。

 同時にいくつかの謎も。

 三號、六號と呼ばれた喜三と六華の正体は?

 一號との関係は?

 さくらが持って逃げた兵器とはなにか?

 いまだ知られざる事情を抱えたまま、さくらの新しい生活が始まりました。

 しかし、さくらはなかなかの箱入り娘。

 長屋での日常生活も、一筋縄にはいかないもの――。



 ●



「喜三さん。起きてください。お昼ごはんですよ」

「んー……」


 喜三が寝返りを打ってまぶたを上げると、髪を茶に染めたさくらが布団の横に正座している。

 ばっちりと目が合った。


「……なんで俺の部屋にいる?」


 隣の部屋で寝泊まりするよう決まったはずなのだが。

 ふふ、とさくらが笑った。


「寝起きがいい、というのはほんとうなのですね。六華さんから聞いた通りです」

「あいつか。起こしてこいって頼まれたんだな」


 がしがしと頭を掻いて、喜三が上体を起こす。

 さくらは微笑んでうなずいた。


「そうです。自分はごはんの用意があるから、と」

「起こしてから行きゃいいだろうに。あいつめ……」


 にこにこするさくらから、そっと目を逸らす。


(……俺が、さくらに気があると思っていやがる。)


 口を開けばケッコンケッコンと口うるさい妹のことだ。

 なんにでも理由をつけて、さくらをけしかけてくるだろう。

 さくらはさくらで育ちが良いらしく、他人を疑わない性質だ。

 ほんの一日の付き合いだが、それくらいは理解した。

 喜三はさくらにもう一度目を向けて、気づく。


「服、できたのか」


 さくらがぱっと顔を華やかせた。


「ええ、そうなんです! 六華さんが、とってもかわいらしく作ってくださって!」


 洋装、軍服風の小袖……とでも言えばいいのだろうか。

 六華が夜なべして作った、軍服を大胆に切って布を当て、縫い直した小袖だ。

 さくらは立ち上がり、その場で一回転。全身を喜三に見せた。


「どうですか? 似合っておりますか?」

「いや」


 すぐさまそう言うと、さくらが顔をうつむけ、しゅんとした。


「似合って……ないですか」

「すまん、わからん。俺そういうの疎いんだ。流行とか、服とか」

『ばか おもったまま いえばいいんだ』


 壁から声がした。鎖帷子が、そこに吊るしてある。


「はぐる丸。起きてたか」

『おきらいでか きぞう さくらを みろ』


 言われた通り、見る。


『どうおもう? きれいか?』

「おう。きれいだ。だれがどう見てもきれいだろう。仕方ないとはいえ、赤髪を茶に染めちまったのが残念だ」


 ぱあ、とさくらの顔色が再び華やぎ、壁にかけた鎖帷子にぺこりと礼をした。


「ありがとう、はぐる丸さん」

『いいってことよ』


 いまので良かったらしい。


(……女ってのは、むずかしいな。)


 喜三は内心で嘆息し、またがしがしと頭を掻く。


「さくら。着替えるから、下に行っといてくれ」

「お待ちします。あ、お着替え、お手伝いしましょうか」


 にこにことそんなことをのたまう。喜三は気まずく嘆息した。


「アンタ、俺の裸体、見てえのか」

「え? ……へぁっ!? い、いえ、そういうことではなくてですねっ!」


 顔を真っ赤に染めて、わたわたと手を振るさくら。


「ちち、違うんですっ! その、いつも姉さまのお着替えを手伝っていたので、つい! し、失礼いたしますっ!」


 言い訳をしながら部屋の外に出ていくさくらを見送り、喜三は布団から出た。


(姉がいる、と。ふいに出るな、こういう話が。素直すぎる。)


 寝間着を脱ぐと、その全身の傷があらわになる。切り傷、擦り傷、弾痕と思しきものまで。


『みせられない からだじゃ ないとおもうぜ』

「うっせ」


 鎖帷子を手に取り、身にまとう。上からいつもの小袖を着て、部屋を出た。

 まだ少し顔の赤いさくらが、引き戸のすぐ前で待っていた。照れ顔で微笑んでいる。

 喜三は改めてさくらの全身をまじまじと見た。


「あ、あの、なにか……?」

「うん。やっぱり、俺ァきれいだと思う」


 照れ顔が、さらに照れた。



 廊下の端、歯車式昇降機に乗り込む。

 ぎゅるんぎゅるん、ごうん、と昇降機が降りていく。


「上下に動くかごは、初めて見ました」


 手すりにつかまり、さくらが言った。

 昇降機は四方に手すりのついた四角いかごを、ツクモギヤで上下させる仕組みだ。

 風が吹きすさび、それなりに揺れる。乗り心地がいいとは言い難い。

 てすりをしっかり掴んでいないと不安なのだろう。


「喜三さんは怖がられないのですね。六華さんも、先ほど一緒に乗ったのですけれど、怖がった様子はなくて」

「慣れだ、こういうのは。六華にいたっては、これを作った張本人だしな」

「六華さん、すごいですね」

『りっか すごい ちいさいはぐるまで おおきいはぐるま まわす』

「……ええと」


 なんの話か分からなかったのだろう、さくらが困り顔を喜三に向けた。


「六華の作った変換機構の話だな。出力の低いツクモギヤでも、まわりのからくり次第じゃ、体以上のことができる……ていうやつ」

『しくみ おしえてもらった かっこいいんだぞ このしょうこうきにも つかわれてる』

「かごの下にくっついてるからな、覗き込めば、ちょっと見えるぞ」

「そ、そういうことなら……」


 さくらはおそるおそる、手すりからほんの少しだけ顔を覗かせて、


「やっぱり、怖いです」


 すぐに戻った。喜三は苦笑する。


「怖がるくらいでちょうどいい。慣れすぎると危ないからな」

『きぞう おちたこと ある けいけんだん』

「えっ!?」


 さくらが驚愕で口を丸くする。喜三は目を逸らした。


「まあ、なんだ。ちいと強い風が吹いた日でな」

『かご ゆれて おそれざん おちそうになった』

「んで、俺がとっさに引っ張ったんだが、ちょっと力入れすぎてよォ」

『はんどう で ごろん』

「落ちた……と。そういうわけだ」


 さくらは安堵の息を吐いた。


「ははあ。はぐる丸さんもいたから、ご無事だったのですね」

「いや、歯車帷子を着てなかったんだよな、そのとき」

『ぼく せいびちゅう だった りっかがもってて したからみてた』

「そんな……喜三さん、大怪我をなされたのでは?」


 目を丸くするさくらに、はぐる丸がぎゅるんッと元気に回る。


『しんぱいするな きぞうは がんじょう』

「受け身取ったんだよ、阿呆。頑丈なだけじゃねえ、技術があるってんだ」

「この高さから、受け身で……。喜三さん、従軍経験があるということでしたけれど、やはりただの農兵ではありませんね? 元士族ですか?」

「農兵じゃねえし、士族でもねえ。俺も六華も孤児で、最初から兵士として育てられたんだ。少年兵ってやつだな。寝る時間より多くの時間を訓練に使ってた」


 あっけらかんと言う。


「それは……」


 顔を曇らせたさくらに、喜三は笑った。


「気にすんな。おかげで俺ァ、六華と会えた」

「……もしや、血がつながっていないのですか」

「おう。ていうか、気づいてなかったのか」

「ええ。お二人とも、よく似ていらっしゃるので」

「……それは初めて言われたな。俺と六華じゃ、山猿と野菊ほど違うだろうに」


 はぐる丸が楽しそうにぎゅるんッと回った。


『りっか きいたら おこるぞ にてない』

「うっせ」


 さくらが微笑む。


「お優しいところが、そっくりです」


 顔の話ではなかったらしい。

 そこでちょうど、がこん、と籠が一階に到着した。

 入道長屋一階の大部分を占めている共同土間へとおもむく。

 いくつもの歯車かまどが横一列に並び、大きな水がめには東饗上水道から引かれた水がなみなみと溜められており、減れば補充される仕組みだ。

 昼飯の時間特有の活気があった。

 入道長屋の住民が、それぞれの家族や連れ合いと共に、かまどに火を焚いて汁を煮たり、七輪で魚を焼いたりしている。


「喜三兄さま、こっち!」


 六華に呼ばれて、喜三とさくらは端のかまどに向かった。

 ぎゅるんぎゅるん、と歯車かまどの歯車が元気に回って、ごうごうと炎を上げている。


「かまどにも歯車がついているですね。驚きです」


 やはり物珍しそうなさくらに、六華が呆れた目を向けた。


「最近、歯車がついてないものを探すほうが難しいよ。……まあ、この子は昨日、あたしが直したんだけど」

『お かまどくん おはおは』


 ぎゅるんッ、とはぐる丸が回ると、かまどの歯車もぎゅるんと鳴った。

 さくらは興味深そうにかまどを見て、少し待ち、


「うふふ、かまどさん、お元気な方ですね」


 微笑んだ。喜三が片眉をあげ、六華が首をかしげる。


『さくら かまどのこえ きこえるのか』

「え? いえ、はぐる丸さんほどはっきりは聞こえないですけれど、なんとなくは」

「さくらは妖術使いだから、霊的感応能力が強いのかもしれねえな」


 喜三は呟いて、かまどにかけられた鍋の蓋を開けた。

 何種類かの野菜とぶつ切りの魚が味噌で煮込まれている。


「麦飯は?」

「三階のおやっさんが朝炊いたの、もらった。兄さまとさくらさんは配膳して」

「うい」


 喜三とさくらは米を茶碗に盛って、土間から一段上がった畳の間の一画へ運ぶ。

 別の一画では、すでに食事を終えた住人たちが、座ったり寝転んだり、自由な格好でくつろいでいたが、喜三の横のさくらを見つけると皆一様に唇の端を釣り上げた。


「おう、喜三。そっちが話題の嫁かい?」

「ちがわい。六華め、余計なこと言いふらしてやがるな……。隣の部屋に入った、さくらだ」

「あ、はい。このたび入居をお許しいただいた、さくらと申します。なにとぞよろしくお願いいたします」


 老齢の女性が嬉しそうに顔をほころばせた。


「あらまあ、お上品な子だねぇ。喜三にゃもったいないよ」

「だから、ちがわい」

「そうですよ。私が喜三さんのお嫁だなんて、そんな……」


 頬を染めるさくらに、住人たちが顔を見合わせる。


「……喜三、アンタ、どうやってこの子たぶらかしたんだい、悪い男だねぇ」

「ちげえって。困ってるとこを助けただけだ」

「あ、はい。助けていただきました」


 頬に手を当てて、上品に微笑むさくら。ほう、と住人たちが息を吐いた。


「所作がいいねぇ。どっか良家の子かい?」

「おい、余計な詮索はするなよ。入道長屋にいる意味を考えろ」


 へーい、とみんなが返事をする。

 机に茶碗を並べながら、さくらがこっそりと喜三の耳に口を寄せた。


「あの、入道長屋にいる意味とは、どういう意味でしょうか」


 耳元で話されると、こそばゆい。

 喜三はそれとなく耳を離して、ふつうに答える。


「大家の奇縁堂恐山つう講談師は変わり者でな、厄介事抱えた人間ばっか入居させんのさ。詮索されたくないことは黙ってな。互いに踏み込みすぎないって、暗黙の了解がある」

「はい、わかりました。……あれ? でも、喜三さん、昨日の夜は、私にけっこう質問したような……」


 さくらの疑問を断ち切るように、ふたりの背後にぬっと人影が現れた。


「変わり者とは、言うじゃないか、喜三クン」


 黄色い羽織の男、奇縁堂恐山そのひとである。


「小生はね、現代講談や創作講談もやるから。面白い話を収集するのも仕事のうちなんだよ」

「家賃は安いかわりに、このうさんくさい男の話のネタにされるんだよ」


 さくらは丁寧に頭を下げる。


「ええと、あの、はじめまして。さくらと申します。このたびは入居をお許しいただき、誠にありがとうございます。家賃もつけだなんて」

「いや、いや。堅苦しいのは無用だ、さくらクン。昼餉、同席させていただくよ」

「あら、恐山先生たら。さくらさんにでれでれしちゃって」


 半目の六華が椀を両手に持ってやってきて、喜三とさくらの前に置いた。


「あれ、六華クン、小生のぶんは……」

「ふーんだ。知らなーい」

「許しておくれよ、六華クン」


 つんけんと歯車かまどに戻る六華と、情けなく許しを請いながらついていく恐山を見て、さくらはうなずいた。


「仲がよろしいのですね、お二人は。好き合っていらっしゃるようで」


 喜三は目を見張った。


(おお……! 鋭いな!)


 一緒に暮らしていた喜三は、まったく気づかなかったというのに。


「アンタ、歯車だけじゃなくて、人間の感情も読めんのか?」

「多少は。けれど、これに関しては読めなくてもわかりますよ」

『わからないの きぞう おまえだけ』

「……俺が鈍いだけか?」

『そうだぞ にぶちん にぶちん』


 楽しそうなはぐる丸に嘆息し、喜三はがしがしと頭を掻いて……少し、笑った。


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