参の段【一號】 1



 かかんっ! かかかんっ!


 こうして、入道長屋に新たな入居者、さくらが加わったのでございます。

 しかしながら烏合兄妹、やけに手慣れた匿いよう。

 ……素性が知れぬのは、さくらだけではございません。

 烏合兄妹もまた同じ。

 たとえ戦争帰りだとしても、手練れのツクモギヤ使いと、からくりの知識から変装の技術まで持つ妹など、そうそう市井におりますまい。

 いかなる素性の、いかなる兄妹なのか、謎は深まるばかりでございますが……。

 ……翌日。

 烏合兄妹の正体を知る男が、入道長屋を訪ねてまいります――。



 ●



 ぎゅるん、がしゃん。ぎゅるん、がしゃん。


 東饗府の道の上を、音を立てて椅子が動いている。

 ツクモギヤによって動く六脚の足がついたその椅子は、昆虫に似た姿の六脚歯車椅子である。

 座っているのは、少年のようにあどけない顔立ちの男。

 両手を揃えて膝にのせている様は、良家のお坊ちゃんのよう。

 だが、服装はぴしっと糊のきいた軍服で、頭の上に軍帽を載せている。

 軍人であった。


一號いちごう隊長ぉ。今日、お誘いするのは、どういう方なのぉ?」


 歯車椅子の傍らを歩く女が、間延びした声で問うた。

 艶やかな黒の長髪を横一文字にぱっつんと切った妙齢の女で、椅子の男と同様に軍装。

 女の問いに、椅子の男……一號と呼ばれた男が、答えた。


「三號と六號。僕と同じ部隊にいたふたりだ。いまは喜三と六華を名乗っている。姓は烏合だったかな」

「烏合ぅ? 変なお名前ねぇ」

「血のつながりがないからだろう。三號らしい、皮肉の効いた名付けだ。昔から、あいつは名前を付けるのが好きでね」

「ふぅん」


 女が唇を尖らせた。


「隊長ったら、昔の話するの、お好きよねぇ。ちなみに、その二人は何の因子を?」

「三號は鬼、六號はちょっと特殊で、一本鑪イッポンダタラだ」

「いっぽんだたら? あの、一つ目で一本足の妖怪かしら?」

「うん。戦闘力はあんまりないけれど、鍛冶が得意で、火に強く……手先の器用な妖怪でね。六號がいれば、ツクモギヤの整備から道具の作成まで、ぜんぶ任せられる」

「すごいわねぇ。……ちなみにぃ。鬼の三號さんって、お強いのかしらぁ?」

「……斬っちゃだめだからね、垓兵衛がいべえ


 眉を寄せた困り顔で、一號が女を見上げた。

 垓兵衛と呼ばれた女は、ふわふわした笑顔でうなずいた。


「もちろん、がんばって我慢するわよぅ?」

「斬りません、とは言わないんだね」


 苦笑する。


「我慢できなくなったら、言ってね。僕が相手してあげるから」


 ぱあ、と垓兵衛が童女のような笑顔になった。

 るんるんと鼻歌すら歌いだしそうな垓兵衛をよそに、一號は顔を上げて、そびえたつ建物を見上げた。


「大きいな。さすがは入道というだけはあるね」


 目の前にあるのは、二十階に建て増しされた巨大木造建築。

 入道長屋である。


「斬りがいがあるわよねぇ」

「垓兵衛、あらゆるものを斬りがいがあるかどうかで判断するのはやめて」


 一號は、がしょがしょ、と椅子を動かし、長屋を観察する。


「この大きさの建物だ、底部には相当な負荷がかかるはずだけれど……よく潰れないね」


 疑問に対して、返答は長屋のほうからあった。


「小生が私財を投じて補修、増強しておりますから」


 真っ黄色の羽織袴を着たもじゃもじゃ髪の男が、ゆるりと歩み寄ってきている。

 そっと腰の刀に触れる垓兵衛を手で制して、一號は椅子に座ったまま頭を下げた。


「はじめまして。奇縁堂恐山先生とお見受けします。ご活躍はかねがね」

「いえいえ、小生なんぞまだまだですよ」


 恐山は笑顔で六脚歯車椅子を見た。


「歯車椅子に乗った紅顔の美少年将校……昨今、うわさになっておられるお方ですな」


 一號は微笑む。


「うわさになっておりますか。美少年というのはやめていただきたいですけれどね。これでも僕、三十路を越えておりますので。年相応に見られたいものです」

「小生より年上だったとは。とんだ失礼をば。それで――」


 恐山の瞳が、すっと細くなった。


「――本日は、我が入道長屋へどのようなご用件で? 火の取り扱いには、細心の注意を払っておりますよ?」

「はは、火元の管理は火災防御隊の預かりです。我々の管轄ではありません」


 対する一號は、やはりにこやかな笑顔だ。


「住民に用があるのです。二十階に住んでいるのですが」

「ほう、二十階へ。とすると、烏合兄妹ですかな?」

「ええ。彼らとは古い仲で……あ、申し遅れました。僕は一號と申します。こちらは部下の柳生垓兵衛」

「や……柳生垓兵衛? あの……あの、柳生垓兵衛ですか」


 珍しいことに、いつも飄々としている奇縁堂恐山が、目に見えて困惑した。

 ぺこり、と垓兵衛が頭を下げる。


「どうもぉ。『人斬り』柳生垓兵衛ですぅ。すごい色の羽織ねぇ、講談師さん」


 のんびりした女に、恐山が眉をひそめる。


「……牢に入れられていると聞いておりましたが」

「垓兵衛をご存知とは、事情通なのですね、奇縁堂先生は。ご安心ください、うわさと違って、人は斬りませんから。……僕が許可を出さない限りは」


 恐山は怯えをおくびにも出さず、首を横に振った。


「人を斬らぬとはいえ、帯剣した女さむらいを引きつれて、喜三たちにどのようなご用件ですかな。それを聞かねば、お通しできかねます」

「なぜ?」

「小生、彼らの後見人でして。多少は事情を知っているつもりです」


 す、と恐山が頭を下げる。


「無理やり連れ戻しに来たというのであれば、お引き取りを。小生には彼らを守る義務がありますゆえ」

「噂通り、若いのに立派な方ですね、奇縁堂先生。軍部相手に、それも垓兵衛のことを知りながら、僕にそういうことを言えるとは。ご安心ください、奇縁堂先生」


 一號は虫も殺さぬような笑顔で告げた。


「無理やりなんて、とんでもない。僕は、誘いに来ただけですよ」

「誘い? では、最近、軍部で超人兵士を集めているというのは――」

「あらぁ? なにか、降ってくるわねぇ」


 恐山の言葉に割って入るように、垓兵衛が空を見上げた。

 つられて恐山が上を見ると、ぎゅるんッ、という音と共に、若者が降ってきた。

 どすん、と踏み固められた土の地面に両足で着地する。


「……喜三クン。せっかく小生が温和に話し合おうとしているのに、どうして出てくるんだい」


 恐山が渋い顔でなじるが、飛び降りてきた喜三は意に介さずだ。


「懐かしい気配がしたもんでな。肌にぴりぴりくるやつだ。やっぱりアンタか、一號」


 ぎらりと喜三が一號を睨みつける。獣のような敵意に、柳生垓兵衛が刀の柄を握りしめた。


「隊長、斬っていいわよねぇ?」

「だめ。垓兵衛、刀から手を離しなさい。三號も、そう警戒するものじゃない。戦争は終わったし、同じ部隊の仲間だっただろう、僕らは」


 喜三は唾を吐き捨て、ふところに片手を入れた。いつでも喧嘩煙管を抜ける構えだ。


「同じ部隊の仲間だったから、警戒しているんだ。なにしにきた。今さらなんの用だ」

「またずいぶんな言いようだね、三號……いまは烏合喜三と名乗っているのだったね」


 歯車で動く車輪つきの椅子に座る一號は、苦笑した。


「少し前から居場所を掴んではいたんだ。市井に、えらく頑丈なツクモギヤ使いがいると聞いてね。平穏に暮らすきみたちの邪魔をするのは悪いから、あえて会いには来なかったけれど」

「泳がせてたっていうのか。いけすかねえなァ」

「そうだ。と、言いたいところだけれど、理由の半分は単純に余裕がなかったからだよ。機を図っているうちに、ずるずると時間が過ぎてしまった」


 余裕がなかったと聞いて、喜三が少し顔をうつむけた。

 相変わらず甘い男だね、と一號は微笑む。


「……アンタ、あれからどうしてたんだ」

「あれから、とは?」


 笑顔で疑問し返すと、喜三はなおさら嫌そうな顔になった。

 周囲を軽く見回す。時刻は昼前。入道長屋の住民の多くは仕事に出かけ、道には人影がない。

 それでも喜三は、声音を低く、小さくした。


「……幕府が倒れて、俺たちの部隊が行き場を失ったあと、だ」

「明機維新のあとだね。もう五年も前になる。きみたちこそ、どうしていたんだい?」


 虫すら殺さぬような微笑みで、一號は言った。

 そちらが言わない限りは、こちらも言わない――そういう意思表示。

 喜三はがしがしと頭を掻き、土の上にしゃがみ込んだ。


「大した話じゃねえよ。俺と六華はさっさと市井に紛れて……恐山先生と知り合って、匿ってもらった。それだけの話だよ。幕府軍の兵士だったなんて知れたら、日ノ本政府軍になにされるか、わかんなかったからな」


 奇縁堂恐山が笑顔でうなずいた。


「我が入道長屋は、講談になりそうな面白い住人には門戸が広いのです」

「奇特なお方ですね、奇縁堂先生は」


 苦笑する。三號と六號は、奇妙な男のところに転がり込んだらしい。


「だが、なにがどうなって、アンタは軍服なんて着てやがるんだ」

「あの頃はまだ二十代も半ばで、僕は働き盛りだった。日ノ本政府も力を欲しているのはわかっていたから、早々に出頭して、役人に取り入り、軍役について……この通り、出世した」


 一號の堂々とした「幕府から政府に寝返りました」発言に、喜三が顔をしかめた。


「とんとん拍子な人生だなァ、おい。将軍さまに忠義とかねえのか」

「逃げたきみに言われたくはないな。忠義がないのはお互い様だろう。……僕らはみんな、幕府に忠義なんてなかった。あったのはただ、義務と徒労感だけだ。作り上げられ、訓練され、編成され……けれど、たった一度の任務で仕事を終えてしまった」


 喜三はなにも言わず、顎をしゃくった。

 昔のことはいいから、お前の話をしろ、ということだろう。


「日ノ本政府は先進的でね。ありがたいことに、維新政府の留学生として外国にも留学できた。西洋は面白いところだったよ。帰ってきたのは去年で、部隊をひとつ任せられた」

「地位も高くなって、余裕もできたってわけか。はん。そんなお偉いさんが、俺らになんの用だ。幕府軍の亡霊を仕留めに来たってか?」


 一號は微笑んだ。


「だから、違うってば。誘いに来たんだ」

「誘い?」


 歯車椅子の上で、一號は真面目な顔を作る。


「日ノ本政府陸軍に来ないか、三號。六號も一緒に」

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