弐の段【袖振り合うも他生の縁】 2



 うるさい侍軍人からさくらを助け、入道長屋の烏合兄妹の部屋に連れ帰ったはいいが、今度は六華がうるさかった。


「やーん! 喜三兄さまったら、どこでこんな美人さん捕まえて来たの!? かわいー! 顔きれー! で、結納はいつ?」

「飛躍しすぎだ、六華。ただの客だよ。事情は……わからん。そういやアンタ、なんで追われてんだ?」

『いきおいで こうどうしすぎだぞ ばか』

「うっせ」


 ごもっともなツッコミではある。

 当のさくらは六華の勢いにたじたじで、軍帽を胸に抱いて目を白黒させている。


「私は、あの、さくらと申します」

「あたしは烏合六華! ざこざこ兄さまの妹!」

「六華さんというのですね。よろしくお願いいたします。……ざこざこ?」

「うん! ざこだもん!」

「でも、喜三さん、とっても強かったですよ? 歯車甲冑をふたりも倒して」

「戦闘力ばっかり高くたって仕方ないでしょ。優しさと心遣いが大事なの!」


 さくらは首をかしげた。


「喜三さん、優しくて、心遣いもできる方だと思うのですけれど……」

「まあ! まあまあ! 兄さまが女の子に気遣いを!?」


 ぐるんッ、と六華が首を回して喜三を見た。

 歯車もかくやという勢いである。


「やっぱり嫁にするつもりね!?」

「うっせえよ。違うって。軍人に追われてた……ていうか、ほとんど襲われてたから助けたんだ。昼に一回会ってたから、ほら。袖振り合うも多生の縁、だろ?」


 喜三の言葉に、六華が目を丸くして、ふっと微笑んだ。


「……うん。あたしら、烏合の衆だもんね。そういう縁こそ大事にしないとね」

「そうだ。烏合の姓を名乗る以上はな」

「でも、多生の縁から発展する色恋もあるよね?」

「しつけえぞ、六華」


 喜三は妹の顔を押しやって、扉のほうへ向けた。


「なによう」

「恐山先生にナシつけてきてくんねえか。隣、空き部屋だろ。匿ってやりてえ」

「家賃はどうすんの?」

「俺が出す」


 今度こそ六華が唖然とした顔になった。


「え、なに、兄さま。いつになく本気じゃん……」

「あの、そこまでしていただくわけには……」

「いいんだ」


 目配せすると、妹は嬉しそうににまにまと笑って「そんじゃ行ってくる!」と飛び出していった。


(なんか、勘違いしてやがるな。)


 まあいいか、と嘆息する。


「さくら、座ってくれ。茶も出せなくて悪いが。二十階は火を焚けなくてな」

「いえ、お構いなく」


 縦に増築した巨大な木造建築である入道長屋では、火事を防ぐため、煮炊きができるのは一階の共有土間だけと決まっている。

 部屋を照らす歯車提灯の下、畳にちょこんと正座するさくらの前にどっかりと座り込み、喜三はがしがしと頭を掻いた。

 さくらが表情を少し硬くして、問う。


「それで……喜三さん。あなたは何者なのですか? 歯車甲冑を相手取って戦う実力の高さ、すさまじいものがりました。もしや、名のあるお侍さま?」

「俺? 俺ァ、越後のちりめん問屋だ」


 喜三がおどけて言うと、さくらが目を見開いた。


「え、越後のちりめん問屋なのですか? それがなぜ東饗の長屋に……?」


 江戸時代、越後は一大商業地帯であった。

 ちりめんとは織物の一種で、高級な呉服などに使われる。

 越後のちりめん問屋となれば、大金持ちに違いないのだ。

 驚愕するさくらに、喜三はぽりぽりと頬を掻いた。


「いや……その、ただの冗談だ。さくら、アンタ、講談は聞かねえのか。水戸黄門の演目なんだが」

「徳川光圀公を題材にした講談が? それがどうして、越後のちりめん問屋の話に?」

「水戸藩主が隠居後に身分を隠して旅してまわったときの話を描いた講談でな、仮の身分を『越後のちりめん問屋』って偽るんだ。この講談がおもしろおかしく、なにより仁義があってな……」

『きぞう ほんだい』


 ごほん。咳払いして、話を戻す。


「俺ァ侍じゃねえ。浪人でもねえ。六華ともども、ただの孤児だ。従軍経験はあるがな」


 さくらが表情を曇らせた。


「……維新戦争ですか」

「ああ。幕府側でな。幕府軍が崩壊するどさくさに紛れて、六華とはぐる丸連れて脱走した。喧嘩の腕は、その時の杵柄だ」

「少年兵とはいえ、ただの孤児が歯車甲冑ふたりを伸せるほど強いとは思えぬのですが」


 いぶかし気なさくらの視線に、はぐる丸が答えた。


『きぞう ばかだから がんじょうで つよい』

「うっせ! 馬鹿は余計だ! ……まあ、アレだ。才能があったんだよ、喧嘩の」


 怪訝そうなさくらだが、それ以上は深く聞いてこなかった。

 空気は読めるらしい。

 喜三はあぐらの膝に肘をついて、さくらをじっと見る。


「何者かっつうなら、アンタこそだ、さくら。次はアンタの事情を聞かせてくれ。巻き込まれる覚悟はできてるし、アンタが拒否しても首突っ込むつもりではいるんだが」

「でも、やはり危険ですから……」


 逡巡するさくらに、喜三は言う。


「さくら。アンタ、軍服なんか着ちゃいるが、軍人じゃあねえだろう」

「……わかるのですか?」

「服の大きさがあってねえ。ぶかぶかだ。帯刀もしてねえし。大方、軍の施設かなにかから逃げる際に、仕方なくありもので変装したってとこだろう。軍帽もでかすぎる。髪と目を隠すにゃちょうどいいだろうが」


 目を逸らすさくらに、喜三は嘆息した。


「言いたくないなら、言わんでいいさ。ただ、見るだけで読み取れる情報ってのは、アンタが思うより多いんだ。袖振り合った以上、俺ァもうとっくに巻き込まれてるからよ。諦めて、勝手に助けられてくれ」


 さくらは目をぱちくりしてから、微笑んだ。


「私が言わずとも事情を推し量れるし、私が断っても勝手に助けるから意味がない……と。そういうことですね?」


 うなずくと、さくらが胸を張った。


「ならば、やはり事情は申し上げられませんけれど、好きなだけ、存分に推し量ってください。喜三さんには二度も助けていただいておりますし、これからも助けていただけるのであれば、見るな、考えるな、などとはとても言えません」

「アンタ、度胸あるな」


 呆れつつ、喜三は笑った。


「かっこいいぜ。ハイカラだ」

「お褒めいただき、ありがとうございます」


 そういうことならば、存分に観察するとしよう。

 正座する軍服のさくらを上から下まで見て、喜三は今日のことを思い出す。


(なんらかの事情で軍部に捕らえられていたが、隙を見て逃げ出したってとこだろ。大掛かりな包囲網を張ってないあたり、一部隊、一将校の独断専行っぽいな。所作を見る限りは育ちもいい。どこぞの将校の娘の家出か、とも思ったが。)


 顎をさすって、考える。


(それなら事情を『罪人が逃げた』なんて言わねえだろうし、歯車甲冑まで持ち出さねえよな。妖術使って逃げられるのを恐れている。だとすれば、例の……超人収集部隊か。)


 恐山の言っていた部隊だ。さくらの妖術、突風を起こした力は、喜三も目撃している。


(妖術師やら祈祷師やらってのは何人か見たが、呪言も祝詞もなく風を起こすってのは、はじめて見た。あと、はぐる丸がしゃべるのを見て驚いてたな。ツクモギヤには疎い……流行りの講談も知らねえ。相当な田舎の出だ。山奥の高名な妖術師の一族。そこの若姫だな。)


 顔を、もう一度見る。


(美人だな……。ほんとうに、美人だ。芯のある顔だ。)

『きぞう』


 はぐる丸に呼ばれて、はっとする。つい、見惚れていた。かぶりを振って邪念を振り払う。


「ま、安心しろ。俺が推し量ったことも、見聞きしたことも、他人に言うつもりはねえ」

「ご配慮、痛み入ります」

「で、俺が勝手に助けるってのは、確定だとして」


 喜三は喧嘩煙管を取り出し、肩にゴリゴリと押し当てた。

 硬くてちょうどいいのだ。


「さくら。アンタ、どこまで逃げたい? 逃げる先、どっかにあてはあんのかい」

「逃げられるならば、どこへでも。ただ、故郷には帰れませんから、あては……」

「親類縁者もいねえのか」

「……はい。頼れるものは、ひとりも」


 なるほどな、と喜三は相槌を打つ。


(没落した旧家か。幕末から維新にかけて、古い家ほど潰れたって聞くしな。)


 その若姫が、軍部に徴発され、身柄を軍部のものにされたのだろう。

 ならば、逃亡自体が罪となる……捕縛部隊が苛烈な行動に出るのも、わからない話ではない。


「どちらにせよ、東饗府から逃げるのは、当分はやめときな。俺が追う側なら、府境と港、関所には真っ先に見張りを置く」

「隠れ潜むほうがよい、と?」


 喜三はうなずく。


「見張りの目が緩むまではな。ひとまず髪だ。目立ちすぎる。外国からの旅行客や役人でも、アンタみたいな見事な赤毛はそういねえ」

「……やはり、切ったり剃ったりするべきなのでしょうか」

「それはだめだ」


 きっぱりと言い切る喜三に、さくらが首をかしげた。


「なぜです?」

「もったいねえだろ、きれいな赤髪なのに」

「あら」


 さくらが困ったように眉を寄せて、片手を頬に当てた。


「お上手なのですね、喜三さん」

「アンタの髪を見りゃ、だれだってそう言うさ。まあ、任せな。うちの六華はそういうのが得意で――おう、ちょうどいいな」


 表からどたどた音がする。六華が戻ってきたらしい。


「兄さま! 恐山先生に許可貰ってきた!」


 六華はにまっと笑った。


「好きなだけいていいって。兄さまが女の子連れて来たっていったら、二つ返事で許可出たよ。家賃も、つけといてくれるってさ」

「あの講談師め、おもしろがりやがって。ありがてえけどよ」


 喜三はさくらを手で示した。


「六華、さくらの髪の色、目立たなくできるか。服も見繕ってほしい」

「いいけど、ちょっと赤すぎるから自然な黒に染めるのは難しいかも。茶色っぽくはできると思う。服は……あたしのじゃ丈が短いね。その軍服、縫い直して使おうか」

「軍服なんて使ったら、ばれちまうんじゃねえか」

「ざこざこ兄さまは知らないだろうけど、最近は洋装の意匠を和装に取り入れるのが最先端なの。田舎娘丸出しな小袖よりは、よっぽど街に紛れられる」


 へえ、と納得する。服の流行はとんとわからぬ喜三であった。


「今日は夜なべして作っちゃお! 採寸するから、隣の部屋まで一緒に来て!」

「あ、はい。それじゃあ……」


 六華がさくらを引っ張って立ち上がらせた。

 ここから先、喜三にはわからぬ服の話があるのだろう。


「じゃ、俺ァ先に寝てるから。あと頼んだ」


 気づけば、はぐる丸もすっかり大人しくなっている。寝てしまったらしい。

 大あくびをする喜三を見て、六華が目を斜めに吊り上げた。


「兄さま、明日から祭りが終わるまで、仕事お休みでしょ! 土間でお湯沸かして持ってきて、たらい三つ分ね! 髪染めるの、たいへんなんだから!」

「あの、私が運びましょうか。私のためにしてくださることですし……」


 おそるおそる言うさくらに、喜三は苦笑して立ち上がる。


「言ったろ。一階でしか湯を沸かせねえんだ。俺が運ぶよ」

「力仕事は兄さまに任せちゃって! さ、いこ!」


 ぱたぱたと音を立てて、ふたりが部屋を出た。

 喜三も続いて廊下に出ると、明るい月が入道長屋を照らしている。


(こいつァ、俺も徹夜かねェ)


 なんにしても、いい夜だな、と喜三は微笑んだ。


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