弐の段【袖振り合うも他生の縁】 1



 かかんっ! かんっ!


 その頃、荒川から引かれた水路沿い、歯車街灯もまばらな暗い道で、ひとりの女が必死に駆けておりました。

 そう、みなさま察しの通り、さくらと名乗った軍服の娘でございます。

 追いかけるのは歯車甲冑を身に纏った侍軍人の捕縛隊。

 素手で虎を屠る膂力を持つ、ほんものの兵でございます――。



 ●



 さくらは走っていた。

 走って、逃げていた。

 慣れない洋装で、必死に。


(せっかく、逃がしてもらえたのに……。)


 親切な町人に一度は助けられたが、あえなく見つかってしまった。

 土地勘もなく、頼るあてもない。

 東饗に慣れた軍人に見つけられるのは、当然と言えば当然だ。

 ……いや、頼るあてならば、ひとつだけ、あるにはあるのだが。


(入道長屋に住んでいる……烏合喜三さん。)


 そう名乗った、親切な町人。

 わざわざ住む場所まで告げて、頼りたければ頼れと、そう言ってくれた。

 どれが入道長屋なのかは、だれに聞かずともわかった。

 大入道みたいに巨大な長屋が、荒川からも見えていた。

 縦長の長屋は明機維新以降ずいぶんと増えたが、ひときわ大きい一棟で、間違いなくあれが入道長屋なのだろうと見て取れた。

 行けば、助けてくれるかもしれない。

 けれど、所詮は他人だ。

 巻き込むわけにはいかない。頼るなんてもってのほかだ。


(かといって、水戸には……帰れません。)


 故郷には帰れない。帰る場所は、もうない。

 寄る辺のないさくらが、頼る気はなくとも、そちらに吸い寄せられてしまうのは……致し方のないことだった。


「いたぞッ、こっちだッ!」

「待てッ! 待たれいッ!」


 背後で声が響く。がしゃん、がしゃん、と鎧の擦れる音も。

 歯車甲冑が本気で駆動すれば、さくらなんてあっという間に捕縛されてしまう。

 ひときわ大きな駆動音が鳴って、どずんッ、とさくらの目の前に歯車甲冑が落下してきた。

 からくり頬面のすき間から、ぎらりと青い歯車光が覗く。


(うそ。後ろから跳んで……。)


 回り込まれてしまった。


「暴れなさるな。大人しく捕まってくだされば、乱暴はせん」


 そう告げる侍軍人に、さくらは覚悟を決める。


(こうなったら……!)


 軍帽の下に隠したさくらの赤髪がぶわりと広がり、瞳に金色の輝きが宿った。

 甲冑ふたりが、がしょん、と両腕を構える。


「気をつけろ、妖術が来る!」

「暴れなさるなと言ったぞ! お怨みなさいますなよ!」


 侍軍人たちに取り押さえられるより早く、さくらが両腕を掲げ、振り下ろした。

 ごう、と両腕から風が吹く。さくらの軍帽が、高く飛ぶ。


「ぐっ」「むむっ」


 突然の突風に、たたらを踏む侍軍人ふたり。だが、


「呪言なしで、なんという妖術! さすがは隊長が目をかけただけはある」

「歯車甲冑の重みがなければ、飛ばされていたであろうな。やはりテクノロジヰの時代よ」


 数歩、後ずさりをさせただけで、終わった。

 歯噛みするさくらに、甲冑たちが近寄る。

 まさに絶体絶命――そのときだ。


「みっともねえ。ああ、みっともねえなあ、お侍さんよォ」


 声が響く。さくらには、聞いた覚えのある声が。

 はっと見上げると、近くの歯車街灯の上に、人影が立っていた。

 ひょっとこ面をかぶっているため、顔は判別できないが……引き締まった体の男であることは、見て取れた。

 服装は小袖で、頭の上には軍帽を斜めにかぶっている。


(あ……。私が飛ばしてしまった帽子……。)


 拾ってくれたらしい。

 侍軍人たちが、警戒心をあらわにして腰の日本刀に手をやる。


「なんだ、貴様!」

「邪魔立てする気か!」

「邪魔立て、ねぇ。いや、いつもはこんなことしねえんだが、袖振り合うも多生の縁っていうだろう。……一度は助けた女が捕まるのは、あと味が悪いだろ。それによォ」


 ひょっとこ面の男は首を曲げ、ぐぎりと鳴らした。


「女ひとりに追手がふたり。しかも妖術使いとはいえ無手の相手に、歯車甲冑まで持ち出しちまって。幕末、維新戦争のころならいざ知らず、明機の時代にゃ剣呑すぎる雰囲気じゃねえか。口も手も出るってもんだ」

「……義侠の徒か。ふん、心根の悪い男ではなさそうだ。だが、拙者らも任務でここにいる。理解し、疾く去るがよい」

「任務がどうとか、そういう話をしてるわけじゃあねえんだよ」


 ひょっとこ面の下でにやりと笑う。


「アンタら、ハイカラじゃねえなァ、おい! 祭りも近いってのに、しかめっ面でよ」


 ひょいと飛び降り、下駄を鳴らして着地する。


「回せ」

『おー まわすぜ まわすぜ』


 ひょっとこ男の首うしろが金色に輝きだした。

 途端、歯車甲冑をがしゃがしゃと鳴らし、侍軍人たちが腰の刀を抜き放つ。


「野良のツクモギヤ使いか!」

「大方、甲冑を売り払って付喪歯車の駆動系部しか残らなかった貧乏浪人だろう。装甲無しだ、ろくに動けるわけもなし。はったりに決まって――」


 ぎらりと輝く刀を構えて笑う侍軍人の面頬に、ひょっとこ面の拳が突き刺さった。

 速攻だった。


「――ぐべばッ!?」


 歯車甲冑を着た大柄な侍軍人の肉体が吹き飛び、地面で一度跳ねて、どぼんと川に落ちる。


「ぬ!? 貴様、よくも仲間を!」

「なンだ、ふんばりが足りねえぞ。いいか、こうやってだな」

「ちぇあああああああああああああッ!」


 裂ぱくの気合いと共に振り下ろされた刀を、ひょっとこ男は懐から取り出した得物で受け止めた。

 ぎん、と硬質な音が響き、刀が止まる。

 ぎゃるるるんッ! と侍軍人の歯車甲冑が出力を上げ、大型のヒグマもかくやという力を籠めるが、


「ぬ、ぬぬぬッ! 煙管キセルだと!?」

「いいだろ。蚤の市で買ったんだ、この喧嘩煙管。稀代の傾奇者、ねずみ小僧が使ったっつう名物でよ。ほんものだぜ、ほんもの」


 ひょっとこ男は一歩も退かず、汗ひとつ流さない。


「馬鹿者! 偽物を売りつけるときの常套句であろうが! ほんもののわけがなかろう! というか……その歯車で、なぜ動ける!?」

「言っただろうが。ふんばりだよ。出力がちげえっての。てめえら、歯車に振り回されすぎだ。かといって、振り回すのもよくねえけどよォ。歯車と使い手、ふたつの歯と歯ががっちり噛み合ってだな」

『ながいぞ きぞ ……ひょっとこ』

「うっせ」


 侍軍人の額に冷や汗が浮かぶ。


「ぬぅ! 手練れであったか!」

「気づくのがおせえっての」


 ひょっとこ男は笑って、強く煙管を押し込んだ。ずしんずしんとたたらを踏んで、侍軍人が数歩、下がる。


「さて。アンタは川に落ちたのと違って、多少は骨がありそうだが。女を襲うような下郎にゃ違いねえ。悪いが、気ィ失うくらいは覚悟してくれよ?」

「……笑止! どれほどの手練れか知らぬが、返り討ちにしてくれる!」


 侍軍人が、再び刀を大上段に構えた。ぎゃるるん、と歯車甲冑が鳴く。


「ちぇえええええええッ! すとォオオオオオオッ!」


 振り下ろしに対して、ひょっとこ面は短く呟いた。


「回転数上げろ、はぐる丸」

『いいぜー』


 ぎゅるるるんッ! 首うしろの歯車が一層強く光り輝き、ひょっとこ男の一挙手一投足に動力が伝達される。

 純鉄製の喧嘩煙管が、月光を反射してぎらりと輝いた。

 ばぎんっ!

 ひょっとこ面の煙管が雷光のように閃き、刀を叩き折る。


「なんとぉッ!?」

「気合いと声のでかさだけは合格だ!」


 ごんッ! と甲冑の腹にひょっとこ面の前蹴りが突き刺さり、装甲板を下駄の形に凹ませながら、侍軍人を吹き飛ばした。


「ぐ、おおおおッ!」


 またしても地面をはねて転がり、川にばちゃんと落下する。

 ひょっとこ面はもったいぶって振り返り、さくらを見た。


「と、まあ。こんな具合だ。どうだい、お嬢さん」


 目を丸くして事態を見守っていたさくらは、ふ、と小さく噴き出した。

 ひょっとこ面の下で男が唇を尖らせる。


「なんだ、笑うこっちゃねえだろ」

「いえ、その……格好つけているのに、お面がひょっとこだから、締まらなくて。喜三さん、ひょっとこ、お好きなんですか?」

「喜三ってだれだい。通りがかりの町人だぜ、俺ァ」

『ぼくも とおりすがりの はぐるまさ』


 さて、とひょっとこ面……を、かぶった喜三が周囲を見回す。

 夜とはいえ、日ノ本一の大都会、東饗府だ。騒ぎに気付いた町人たちが、建物から首を突き出し始めていた。


「さくら。アンタ、乗り物酔いには強いかい? 船とか、馬車とか」

「え? いえ、わかりません。どちらも乗ったことがなくて」

「へえ。そんじゃま、初体験だな」


 喜三は軍帽を脱いでさくらの頭に載せ、腰にするりと右手を回し、左手で足をすくい上げた。


「わ。え、ええと、あの……なぜ、横抱きに?」

「跳ぶぞ。俺の首にしっかり手ェ回して、落ちねえようにしがみついといてくれ」

「と、とぶ……ですか? はい?」

「回せ、はぐる丸!」

『ぐるぐる いくぜー』


 ぎゅるるるんッ! 歯車がひときわ大きく鳴り響く。



 すぐに現場に駆け付けた、別の侍軍人による聞き取りの結果……起き出してきた町人たちは、月夜を引き裂く女の悲鳴を聞いたという。

 ツクモギヤの一般化によって、妖怪もののけに対する恐怖がやわらいでいる明機時代ではあるが。


「ありゃ、天狗が女でもさらったんだろうねぇ。くわばらくわばら」


 と、みな一様に背筋を震わせて、突き出した首を家に引っ込ませたため、ひょっとこ面の飛び去った方向に関する目撃者はおらず。

 侍軍人たちは、またしてもさくらを見失ったのである。


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