壱の段【烏合喜三】 4



 牛鍋は江戸時代の末期ごろから流行り出した、文字通り牛肉を使った鍋である。

 味付けは味噌か醤油で、野菜や豆腐などと共に炊き込むのだ。

 恐山の案内してくれた店は、醤油味だった。

 店内、一段上がったところの座敷の席に座るぼさ髪の講談師は、対面の烏合兄妹に微笑んだ。


「どうかな。軍部将校も通う店なんだ」


 道理で、と喜三はちらりと周囲を見る。

 歯車灯が照らす店内は、がやがやと活気がありつつも、どこか上品な客が多い。

 洋装の礼服を着た、髭を生やした男などは、明らかに政府の文官だ。

 自分たちが、少し浮いているような気がする。

 とはいえ、


(いい店だが、俺にはちょっと座りが悪い。)


 とは、なかなか言えない。


「とっても美味しいよ、恐山先生。ご馳走してくれて、ありがとう! ……ほら兄さまもお礼!」


 上機嫌な六華に脇を小突かれ、喜三も慌ててぺこりと頭を下げる。


「ああ、うまい。ありがとよ、先生」


 ほう、と恐山が首をかしげた。


「喜三クン、あまり食べていないじゃないか。いつもの食いっぷりはどうしたのかね」

「そうだよ、兄さま。どこか悪いの? ざこざこ兄さまは頑丈さだけが取り柄なんだから、風邪なんか引いたらざこざこを越えてざこざこざこ兄さまになっちゃうよ」

「うっせ」


 言いつつ、たしかに箸の進みが悪い喜三であった。


(……さくら。あいつ、ちゃんと逃げられたのかねぇ。)


 先ほど、ほんのひと時だけ路地裏で会話を交わした女が、どうも気になるのだ。

 六華と恐山が、物憂げな喜三を怪訝そうに見て、顔を見合わせた。


「もしかして喜三クンは牛が苦手なのかい?」

「まさか。塩振ればその辺の草でも木でも鉄でも食べるよ、このひと」

「さすがに鉄は食わねえよ」


 草と木は食うのか、と恐山が苦笑する。

 ぎゅるん、と喜三の首うしろが鳴った。


『ぼくも くいてー いいよな にんげんは べろがあって』

「おまえのベラはよく回るじゃねえか」

『まわすのは はだぜ はぐるまだもの』


 はぐる丸が楽しそうに回る。


『きぞう さっき おんなを たすけたんだ』

「おい、はぐる丸」


 喜三が咎めたが、はぐる丸は気にせず、ぎゅるるん、と話を続ける。


『そのおんな びじんだったから ずっとほうけてるの』

「えッ!? 喜三兄さまが女の子に一目惚れしたの!? この朴念仁が!?」

「ほほう。詳しく聞かせてくれないか、喜三クン」


 にわかに色めき立つ六華と恐山。

 ある意味、お似合いのふたりである。


「うっせ! 違うって、ただちょっと……気になるだけだ」


 喜三がそっぽを向くと、にまぁ、と三人が笑う。はぐる丸に笑う顔はないが。


「ざこざこ兄さまぁ、その女の子、どういう――」


 六華がさらに問い詰めようとしたところで、店の引き戸が勢いよく開いた。


「失礼するッ! 日ノ本政府陸軍、立ち入りであるッ!」


 大声で叫びながら入ってきたのは、大きな影。


(おう。また、侍軍人かよ。日にそう何度も見てえやつらじゃねえんだが。)


 喜三は鋭く視線を飛ばしつつ、何気ない風を装って牛鍋に箸を伸ばした。


「付喪歯車甲冑……!」「侍軍人か!」「店長の横領がバレたんか?」「不倫のほうかもしれん」


 にわかに店内が騒がしくなる。

 六華が不安そうに目を伏せ、恐山がぐびりと茶を飲んだ。


「ご安心なされいッ! 我ら、罪人を探しておるのみッ! しばし時間をいただくッ!」


 侍軍人はのしのしと店内を歩き回り、客の顔をじろじろ見たり、厨房を覗き込んだりして探し回る。

 やがて座敷の席にやってきた。

 奇縁堂恐山の黄色い羽織袴には、一瞬ぎょっとした様子だったが、


「これはこれは、奇縁堂先生ッ! このような場所でお会いできるとはッ!」


 すぐに人気の講談師だと気づいたらしい。


「はて、知り合いだったかな。兜の下の顔を見せてくれるかい」


 ぎゅるん、がしょん、と兜の頬当てが下がって開いた。

 生真面目そうな侍軍人の顔が覗く。


「拙者、一介の客ゆえ、おそらく顔を見ても……」

「ああ、こないだ『日ノ本三大妖怪』を演ったあと、話しかけてくれた方だね」

「なんとッ! おぼえていただいているとは、感激の至り……!」

「金色天狗の話を、熱心に聞いてくれたからね。よくおぼえているとも」

「ははぁっ! 金色天狗は解釈が様々で、我が隊の隊長もよく話を……と、いまはやめておきましょう。講談の話は、また後日、寄席にて」


 恐山が微笑む。


「そうしよう。いまはお仕事をがんばってくれたまえ。……しかし、罪人だって? 小生、これでも顔が広いんだ。なにか知っているかもしれない。どんな罪人なのかな」


 侍軍人は喜三と六華を、ちらり、と見た。


「その、ですな……」

「ああ、彼らは小生の長屋で面倒を見ている子たちだ。気にしなくていい」

「そうですか。いや、実はですな。派手な赤毛の女で、軍服を着ているのです」


 声を潜めて言われた言葉に、


(やっぱりか。)


 と、喜三はもぐもぐ牛肉を噛みつつ、内心で納得する。

 まだ、追われているらしい。


「小生に心当たりはないな。知っているかい、ふたりとも」

「知らなーい。ごめんなさいね、侍軍人さん」

「俺も知らねえ。だが、さっき、荒川沿いに歯車甲冑が何人か走ってんのを見た。みんな、その罪人ってのを追ってるのかい」


 侍軍人はうなずいた。


「そうだ。その歯車甲冑たちは、我が隊の仲間だな」

「へえ。なにをしたのか知らねえが、恐ろしい話だ。何人もの侍軍人さんが追いかけなきゃならねえほど、危ない罪人が逃げてるなんてな」

「うむ。凄腕の妖術師だ。気を付けるがよい。……では、奇縁堂先生! これにてッ!」


 名残惜しそうにしつつ、侍軍人はがしゃがしゃと店から出ていった。

 ほう、と店内に弛緩した空気が漂う。

 悪いことをしてなくても、高圧的な歯車甲冑と同じ場所にいるのは、気疲れするものだ。

 厨房のほうから「あんたッ横領だの不倫だのってどういうことだいッ」と声が漏れてきて、別の意味で騒がしくなりつつはあるが。

 店内にひとまずの平穏が戻ったことを確認した恐山は、楽しそうに首をかしげた。


「で、喜三クン。ほんとうに何も知らないのかい? 赤毛の女で、軍人だそうだが。きみが今日助けたという女性は、どんな格好だったのかな?」


 喜三はふんと鼻を鳴らし、なにも言わずに茶を飲んだ。

 恐山は「そうかいそうかい」とやはり楽しそうに言って、声を小さくした。


「実はね。聞いた話だけれど、軍部の内でもいろいろあるらしい。富国強兵政策にのっかって、超人兵士を集めようとする派閥が、最近いろいろと無茶をやっているそうだ。ほうぼうから凄腕の侍やら、江戸幕府の秘密兵器やらを収集しているんだと」


 江戸幕府の秘密兵器、という言葉に、六華が片眉をあげた。


「相変わらず軍の事情に詳しいね、恐山先生」

「小生の講談、お偉いさんも見に来るんだ。みんな口が軽いのなんの。それとなく、話は集めるようにしているんだ。ああ、でも安心しなよ、ふたりとも。軍部も、わざわざ徳川幕府の遺産を回収しには来ないだろうからさ」

「はて、なんのことだかわからんなァ」

「さっぱりわかんなぁい。ざこざこ先生ったら、なに言ってるのぉ?」

『ぼく わるいはぐるまじゃないよ ぎゅるんぎゅるん』


 息ぴったりな烏合兄妹とはぐる丸に、恐山が苦笑する。


「そういうわけだ。しばらく、派手な行動はやめたほうがいいかもしれないよ、喜三クン」

「アンタに派手だの言われたくねえなァ、恐山先生。真っ黄色な羽織を着ているわけでもなし」


 喜三は白米を掻っ込んで立ち上がり、座敷を下りて下駄をつっかけた。


「ごっそさん」

「ちょっと喜三兄さま、どこ行くの? まだ鍋残ってるよ?」

「用事だ。先、帰ってろ。おまえも先生とふたりきりのがいいだろ?」

「な!? ちょ、ちょっと兄さま!?」


 手をひらひら振る喜三の背中に、恐山がゆるりと言葉を投げかける。


「気を付けてね、喜三クン。はぐる丸クンも」

「……おうよ」

『ありがと ざこざこせんせ』


 店を出ると、もう月の照らす時間になっていた。

 大通りは歯車街灯で照らされているが、小道に入れば歩くのも不安になるほど暗いだろう。

 いかに東饗が都会といえど、明るい場所ばかりではない。


『で どこいくんだ きぞう』

「そうだなァ」


 喜三が何の気なしに懐に手を入れると、入れっぱなしだったお面に手が触れる。

 取り出してみると、滑稽な顔のひょっとこが喜三を見つめ返してきた。


「おやっさんに頼まれたし、いっちょう宣伝の手伝いでもするかい」

『お いいな それ』


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