壱の段【烏合喜三】 3



 一日の仕事を終えて、喜三は荒川河口方面へと向かう。

 東饗府の大通りは歯車街灯のおかげで夜でも明るく、賑やかであった。

 屋台も出ていて活気がある。

 江戸時代から、屋台というのは毎日どこにでも出ているものだったのだが、今日はいつもより数が多く見受けられた。


(そうか。もうすぐ、春だもんな。大江戸歯車祭に向けて、普段は別の仕事してるやつらも、屋台を出し始めてんだな。)


 と、得心する。


「祭りが近いな、はぐる丸。うどん、そば、うなぎ……より取り見取りだ」

『ぼく くち ないけど』

「拗ねんなよ。……ん?」


 ふと目に着いたものに惹かれて、ふらりと屋台に立ち寄る。


「喜三じゃねえか。どうでえ、手伝ってくかい」


 屋台の主らしきひげ面のおじさんが、喜三に笑いかけてきた。


(やっぱり、三階のおやっさんか。)


 同じ入道長屋の住人がやっている屋台だった。

 木彫りの面に、筆で色を塗ったものを売っているらしい。


「懲りねえなあ、おやっさん。こないだも変な仕事に手を出して、大損こいたって聞いたけどよ。今度は、お面屋なんか始めたのかい。きつねに虎に……」


 視線を向けた先にあるのは、唇を尖らせたひょうきんな顔のお面だ。

 ひょっとこ面だ。

 ずらりと一列に並んでいる。


「お、ひょっとこ面が気になるか。人気あるんだぜ。強そうだっつってな」


 喜三は首をかしげた。


「ひょっとこが? どう考えても虎のほうが強そうだろ」

「いやいや。知らねえのか、幕末にいた忍者部隊の話」

「……御伽衆おとぎしゅうのことかい」

「なんでえ。知ってんのかい」

「おうよ」


 喜三は腕を組み、うなずいた。


「幕府軍の最終兵器、妖術呪術道術に陰陽術まで使って作り上げられた、強化人間の忍者部隊がいた……ってェ、ほら話だろ」

「それが、ほら話じゃねえのよ。実際にいたんだよ、最強の忍者部隊、御伽衆は。西郷隆盛の暗殺も、そいつらの仕業なんだってよ。どんなときもひょっとこ面をかぶって顔を隠してたっちゅう話でな、どうだ、ひょっとこ面が格好良く見えてきただろう?」

「御伽衆がひょっとこ面をかぶってた、なんて。はじめて聞いたぞ。ていうかよォ」


 呆れ顔で、喜三が指摘する。


「ひょっとこ面なんて目立つもん、かぶる忍者がいるわけねえだろ。だいたい、ほんとうに最強の部隊がいたんなら幕府軍は負けてねえ。いなかったんだよ、御伽衆は」


 無粋なつっこみに、へっへっへ、と三階のおやじは笑った。


「実はな、去年の祭りで大量に余らせた屋台から、安値で買い取ったんだ。だがよ、ひょっとこ面なんて、そうそう売れるもんじゃねえ。だから、御伽衆は実在した、やつらはひょっとこ面つけてたって話を一緒に語ったら……どうでえ。売れそうだろ?」

「真実なんざ、どうでもいいってか」

「金になるなら、どんな突拍子のないうわさばなしでもくっつけるのが商売ってもんよ」

「詐欺でしょっぴかれても、俺ァ知らねえからな」


 苦笑する喜三に、おやじがひょっとこ面をひとつ差し出した。


「やるよ、喜三」

「いらねえんだけど」

「おめえがそれ着けて跳ね回れば、子供が欲しがってうちの屋台に来る。宣伝だよ、宣伝」


 生臭いおやじだ、とぼやきながら、面を受け取る。

 ただ、着けたまま歩き回るのは嫌だったので、ふところにしまった。


「気が向いたらつけてやるよ」

「気を向かせろよ、喜三。駄賃はやらねえけど」


 へえへえ、とてきとうに返事をしながら、がしがしと頭を掻く。

 屋台に背を向けて、今度こそ牛鍋屋へ向かう。

 ぎゅるんっ、と今まで押し黙っていたはぐる丸が、ない口を開いた。


『しんじつなんて どうでもいいのか きぞう』


 からかうような声音に、喜三は、はん、と鼻を鳴らした。


「都合のいいうわさなら、勝手に流させておけばいいさ。ンなことより、大事なのはいまから食う牛鍋だぜ、はぐる丸。牛鍋食わぬは開化進まぬ奴、ってな」

『だから ぼく あじわかんないんだって』


 はぐる丸は不満げに言ってから、くすくすと笑った。


『でも そうだな りっかから だいじなおはなしが あるかもしれないな』

「ああ? ……ああ!? そうか、その可能性は……考えちゃいなかったな」


 一瞬考えてから、喜三は腕を組んで唸った。


(いや、もしそうだったら……どうする?)


 喜三は歩きながら顎に手を当てて、むっつりと黙り込んだ。


(恐山先生が「六華を嫁にくれ」つったら、俺ァ断る理由はねえが。)


 しかし、妹だ。

 血は繋がっていないが、いちおう喜三は兄貴を名乗っているし、兄であろうと思っている。


「なあ、はぐる丸。俺ァ……恐山先生を、一発殴るべきか? 兄貴ってのは、妹が結婚するとき、そういうことするんだろう? でも、俺が殴ったら、恐山先生は死んじまうかもしれん」

『ほんと ばかだな おまえ』


 はぐる丸が呆れ声を出した。


『からかったんだよ けっこんのもうしでを ぎゅうなべやで するかよ』

「あ」


 言われてみれば、そうである。

 正装で……いつもの黄色い羽織袴ではなく、紋付袴で家に来るのが正道であろう。

 烏合兄妹の後見人は奇縁堂恐山本人だから、そうした挨拶が必要な間柄ではないかもしれないが、あの講談師は礼節を重んじる男だ。


「……てめ、はぐる丸! たちの悪いからかい方をすんじゃあねえ! つまんねえうそで、焦っちまったじゃねえか!」

『きづかない きぞうが わるい にぶちん』

「ンだとォ!?」


 そんな風に騒いでいたから、喜三にしては珍しく、周囲への注意を欠いた。

 街角を曲がったとき、とっさのことで避けきれず……どん、とだれかにぶつかってしまった。


「おっと」

「きゃ」


 小さく悲鳴を上げた相手の肩を、とっさに支える。小さく、丸い肩だ。

 六華ほどではないが、喜三より頭一つ分は背が低い。

 加えて、特徴的な服装を着ていた。


「すまねえ、ぶつかっちまった」


 軽く頭を下げつつ、喜三の視線が素早く女の全身を観察する。


(……軍服? 女だな。軍人か? いや、服の大きさが合ってねえ。自分の服じゃねえな。……貸与される軍服の大きさがあわねえことなんか、あるか?)


 ちらりと、通りの向こうにも目を向ける。

 町人の群れの中に、頭ひとつぶんは高い影が、見えていた。


(はん。ありゃ、日ノ本政府軍の汎用歯車甲冑だ。侍軍人じゃねえか。……はぁん、なるほどな。ご事情持ちってわけかい。)


 なにかしら、めんどうな事情を抱えているのだろう、とあたりを付ける。


「あ……え、ええと……」


 ぶつかった女は弱々しい声を上げて、目深にかぶった軍帽の下から喜三を見上げた。

 しっかりとその顔を見た喜三は、思わず息を呑んだ。

 軍帽の下に隠した鮮やかな赤毛と、歯車街灯の光を跳ね返して、きらきら黄金色に輝く瞳。


(きれいな、女だな――。)


 目を、奪われた。


「ごめんなさい。私こそ、ぶつかってしまって。では」


 だから、ついつい腕を掴んでしまった。

 横をすり抜けていこうとする女の腕を。


「おい、ちょっと待ってくれ」

「ごめんなさい、私、急いで――」

「違う。こっちだ」


 ぐい、と腕を引いて、路地裏に女を引っ張り込む。

 家屋の壁に女を押し付け、喜三の体で覆って隠す。

 樽や木箱が雑然と置かれた薄暗い路地裏だ。

 近づいてよく見なければ、女の顔や服装はわからないだろう。


「わりぃ。嫌かもしれねえが、少しだけじっとしてくれ。静かにな。追われてんだろ?」


 女はぎゅっと口を引き結んで、こくこくうなずいた。

 すぐに、がしゃがしゃと音を立てて、歯車甲冑を着込んだ侍軍人たちがやってきた。

 明機維新以降、士族として取り立てられ、揃いの歯車甲冑を支給された、気力溢れる歯車使いの兵卒である。

 甲冑を着ているから、侍。それでいて士族で軍人だから、侍軍人。

 喜三の歯車帷子と違い、全身を装甲で完全に覆う、欠けたところのないぴかぴかの歯車甲冑を纏っている。

 装甲のせいで身体が一回り大きくなるため、長身の喜三よりもさらに頭ひとつぶんは高い位置に兜があって、非常に目立つ。

 それがふたり。虎を素手で捻り殺せる出力を持つ歯車甲冑兵が、ふたり。


(女ひとりを追いかける装備じゃあねえ。)


 ひとりが路地裏を覗き込んで、「おい」と声をかけてきた。


「なんだい、軍人さん」


 喜三はにへらぁ、とだらしなく笑って見せた。普段はしない顔だ。


「女が来なかったか。軍服を着た、赤毛の女だ」

「そいつァ目立ちそうな見た目だが、知らねえなァ」

「そうか。いや、待て。だれか、一緒にいるな? だれだ」

「いるよォ。嫁なんだ。こいつがスキモノでねえ、外でするのがいいんだと。どうだい軍人さん。一緒に楽しむかい」


 軍人は明らかに顔をしかめた。


(ま、そうだわな。陸軍の甲冑組は志が高くて扱いやすいぜ。)


 どういう返しをしてくるか、予想をつけやすいのだ。


「……色狂いの酔っ払いが。任務中ゆえ見逃すが、そうでなければしょっ引いてやったところだ」

「そうかい、残念だなァ。牢の中で、ってェのも楽しそうなのに」


 軍人は軽蔑したように鼻を鳴らして、路地裏を覗き込むのをやめた。

 がしゃがしゃ、がしゃがしゃ……と、鎧の擦れる音が遠ざかっていく。

 しばらく軽薄そうににやにやと笑っていた喜三だが、にやにや笑いのまま通りに顔を出して周囲を見渡し、ひっこめてから真面目な顔に戻す。


「まだ通りの向こうにいる。もうしばらくは隠れていたほうがいいな」

「あ、ありがとうございます」


 女は、ほう、と息を吐いた。

 そして、首を、こてん、とかしげて、喜三を見上げる。


「あの……スキモノ、ってなんですか?」

「引っかかるとこ、そこかい……」


 喜三はがしがしと頭を掻く。

 答えあぐねていると、ぎゅるんッ、とはぐる丸が回った。


『きぞう いいしばいだったぜ ふだんから あのかおでいいんじゃないか』

「うるせえぞ、はぐる丸」


 女が目を丸くして、喜三の背中を覗き込んだ。


「歯車が、喋った……?」

『しゃべるさ はぐるまだもの』

「喋らねえだろ、歯車は」


 もちろん、ふつうの歯車は人語を発したりしないが、ツクモギヤなら別だ。


「始めて見るのかい。そう珍しいもんでもねえが……ほら、付喪歯車ってのは人間と契約した付喪神、妖怪もののけ精霊祖霊、そういうもんだ。少しは力のある妖怪にまで育てば、人語を話すようにもなるんだよ」

「それじゃ、この歯車……さんは、お強いのですね」

『ぼく はぐるまる つよいぞ』

「こいつァ、維新戦争で使い込んだからな。そんじょそこらの歯車に遅れは取らねえ」


 喜三は答えつつ、もう一度、通りに視線を飛ばした。


「向こうの角、曲がっていったみてえだな。なあ、アンタ。助けはいるかい? ただの軍規違反や脱走じゃ、侍軍人に追われはしねえだろう。わけありと見受けるが」

「え? ……いえ、お構いなく」


 女は目を丸くして、しかし、すぐに首を横に振った。


「すでに助けていただきました。これ以上はいけません。あなたを巻き込んでしまいます」

「このツクモギヤ時代、巻き込まれてもうまく嚙み合って回ってみせるのが、ハイカラってなもんだろう」


 軽口で返した喜三の瞳に、正面から女の視線が突き刺さる。


「私の事情は、あまりにも巨大な歯車です。噛み合うなんて、とんでもありません。巻き込んで、歯で磨り潰してしまうのは、本意ではございませんから」


 軽口で応じるような話ではなかったらしい。

 喜三が答えに詰まってしまうと、女は儚く微笑んだ。


「では。私はこれにて」


 女は喜三の脇をするりとすり抜け、通りに踏み出す。


「なあ。それじゃあよ、名前だけ教えてくれねえか。アンタ、なんて名だ?」

「名前……ですか」


 女は逡巡してから、ちらりと喜三を見上げた。


「さくら。さくら、です」

「さくら」


 繰り返すように言って、喜三は首をかしげる。


「それだけかい? 姓はねえのか」

「ええ。名乗っておりません。さくら、とだけ」


 そうかい、とつぶやいて、喜三は通りを顎でしゃくった。


「俺ァ喜三だ。烏合喜三。入道長屋に住んでる。頼りたくなったら、来な」

「お心遣い、感謝します」


 それでは、と言って、さくらは通りを駆けて行った。

 喜三はしばし、軍服の背中を見送って……。


「さくら、か」

『めずらしいな きぞうの こういう おせっかい』

「うっせ。そういう日もあるだろ」


 かぶりを振って、喜三も通りへ足を踏み出した。

 牛鍋屋までの道のりが、ひどく長く感じた。



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