壱の段【烏合喜三】 2



 入道長屋の前に、喜三が跳んでいく姿を眺めるものがいた。


「ほほう。明機の鳶職は跳び職だ、なんていうけれど、喜三クンはまさに跳ねるようだねぇ。しかし、仕事には少し早い時間……となれば、また六華クンにお小言でもこぼされたかな」


 鼻の上にちょこんと丸眼鏡をのせて、うさんくさい微笑みを湛えた、ぼさぼさの黒髪の男だ。

 仕立ての良い袴の上に、見ているだけで目が痛くなりそうな、黄色い羽織を身にまとっている。


「兄に無視されて傷心の六華クンは、小生が慰めてやらねばなるまい」

「だれが傷心だっていうの。さては、理由をつけてあたしに近づこうって魂胆でしょ、恐山おそれざん先生のすけべ」

「おや?」


 恐山先生、と呼ばれた男が振り返ると、当の烏合六華が立っていた。


「わざわざ下りて来たのかい」

「歯車式昇降機のおかげで、二十階でも上り下りがとっても楽になったの。ま、取り付けたの、あたしなんだけどさ」


 六華はにまっと笑い、手に下げた笹の包みを持ち上げて示す。


「兄さま、弁当を忘れちゃって。届けてくるの」

「はは、喜三クンらしいな」


 恐山は目を細めて、喜三の跳んで行った方向を眺める。


「しかし、ああして跳ね回る喜三クンを見ると、小生も付喪歯車つくもはぐるま甲冑が欲しくなるねぇ」

「あっても、ざこざこ先生に使いこなせるわけないじゃん」


 六華のつんとした物言いに、あらら、と恐山が手で己の頭を叩いておどける。


「付喪神や妖怪、祖霊や土地神を憑かせ、使用者の気力を糧にして自律回転する付喪歯車。それを動力源にした、着用者に百人力を与えるからくり鎧、歯車甲冑。身に着ければ、小生もさながら五条大橋の牛若丸のごとく舞えるかと思ったのだけれど、だめかい」


 六華が「だめだめ」と首を横に振った。


「兄さまのは付喪歯車甲冑の動力部だけで組み上げた、付喪歯車帷子だから。装甲がないぶん身軽に動けるけど、ふつうの人間が使えば、からだが歯車力に耐えきれなくて、ねじ曲がっちゃうよ。喜三兄さまは人並み外れて頑丈だから、ああいう猿みたいな動きができるの」

「猿みたい、とはまた言いようが悪いねぇ、六華クン。兄に向かって」


 恐山が呆れ顔を見せるが、六華はどこ吹く風である。


「牛若丸というツラじゃないでしょう、あの筋肉だるまの兄さまは。どちらかといえば、武蔵坊弁慶って感じじゃない? ……あと、言いようが悪いのは恐山先生も同じだよ、ざこざこせんせっ」

「ほう? この東饗でいっとう人気の講談師、新進気鋭の奇縁堂恐山きえんどうおそれざんを捕まえて『言いようが悪い』とは、なかなかじゃないか。どこが悪いというのかね?」


 恐山が、明らかにおもしろがっている顔で問うと、少女は指を一本立てて胸を張った。


「古いよ、付喪歯車なんて呼び方。最近は付喪神以外にも、それこそ名のある妖怪から神霊まで九十九つくもの霊を憑かせているじゃない。だから――」


 ふふん、と六華は得意げに笑う。


「――最近は西洋風に、ツクモギヤ、って。そう呼ぶのがハイカラなんだよ」



 ●



 喜三の仕事は日によって変わるが、主に大工の手伝いだ。

 といっても、名のある親方の下について職人をやっているわけではない。

 はぐる丸と歯車帷子を持つ喜三だから、仕事の声がかかるのだ。

 幕末、西洋から霊によって自律回転する動力歯車『ポルターガイスト・ギヤ』が……つまりツクモギヤがもたらされ、日ノ本内で独自の発展を始めて以来、歯車はあらゆる面で必須の道具となった。

 特に、工事といくさでは重要だ。

 ツクモギヤ仕掛けの重機は大工仕事の作業効率を大幅に向上させるし、歯車甲冑は凡百の侍を一騎当千のつわものに変える。

 だが、すべての大工やとび職が歯車重機や歯車甲冑を持ち合わせているわけではない。

 幕末、侍や兵士には相当量の歯車武装が配布されたが、個人所有する平民はそう多くない。

 それなりに高価な品だし、使いこなすにも熟練が必要だからだ。


「……結果、東饗府じゃあ、ツクモギヤを個人所有している、気力に満ちた若くて健康な肉体労働者の募集には事欠かないってわけだ」

『きゅうに どうした』

「今日も仕事があってありがてえな、つう話だよ」


 そんな都合のいい人材がいるか、と言われれば、いる。

 元侍の、浪人くずれたち。

 往々にして金のない彼らが、当時の主から下賜されるも維新で返す先を失った歯車甲冑を戦場から持ち帰り、勝手に己のものとして日雇い仕事にありついている姿をよく見かける。

 喜三はそういう、浪人くずれと同じだった。

 今日の現場でもそうだ。


「……はぐる丸、もうちょい出力下げろ。回しすぎだ」

『こまかいな いいけど』


 言い合いつつ、木材をまとめて持ち上げ、運ぶ。

 一見すると甲冑を着ていないように見えるため、その怪力ぶりに目を丸くするものも多いが、


「あれが烏合喜三だよ」

「ああ、あの体力自慢の。牛車に轢かれても無傷だったんだろ? 元はどこぞの若武者で、ごろつきとは鍛え方が違うとかなんとか」

「本人はそんな身分じゃないと言っているがね」

「あのツクモギヤも、歯車甲冑から剥がしたものなんだろ。甲冑は売っぱらっちまったって」

「……なんぞ、事情があるんだろうねぇ」


 と、うわさ話で勝手に納得してくれる。


(ほんとうに武者なんかじゃねえんだけどな、俺ァ。)


 内心で否定するが、うわさはうわさだ。

 喜三にとっても都合がいいうわさなら、勝手に流させておけばよい。

 無心で四半刻ほど黙々と作業をしていると、頭にかんざしをじゃらじゃら挿した六華がやって来て、喜三に笹の葉の包みを押し付けた。


「はい! おべんと! じゃ、あたし帰るから」

「せっかく来たのに、もう帰るのかい。つめてえ妹だな」


 唇を尖らせると、六華はにんまり笑った。


「恐山先生が、共用土間の歯車かまどのからくりが調子悪いから、直してくれってさ。お代がわりに、晩ご飯を御馳走してくれるよ」

「へえ、いいじゃねえか。……ちなみに、なに奢ってくれるんだ?」

「牛鍋! もちろん兄さまも一緒に、って。荒川河口のあたりの店ね! 仕事終わったらすぐ来ること!」


 あいよ、と応じる。

 妹は嬉しそうに体を左右に揺らして帰っていった。


「まったく。恐山先生は、六華に甘えなァ」


 甘やかしすぎは良くないのではないか、と兄として思う。

 純粋に、六華の在り方が気に入っているのだ、と以前に聞いたことはあるが。


(ま、恐山先生には世話になってるからな。)


 講談師という立場ながら、あの巨大な入道長屋の大家でもあり、長屋の住民たちの相談役も担っている人だ。

 喜三と六華、身寄りのないふたりの後見人を務めてくれているのも、奇縁堂恐山そのひとである。

 名乗る名前の通り、奇縁を大事にする人間なのだ。


(ありがてえ話だ。)


 残された笹の葉の包みを解くと、大きな握り飯がふたつ入っていた。

 昼にはまだ早いが、そういえば朝も食っていない。急いで出てきたし。

 ひとつを手づかみで頬張る。

 塩っ気が濃くて、汗をかく肉体労働者好みの味付けである。


『きぞう おまえ さっさとけっこんしてやれよ』


 ふいに、はぐる丸が言った。

 あまりの唐突さに、喜三は少しむせてしまう。


「けほ。なんだなんだ、いきなり」

『りっか おまえがよめもらわないと よめにいけない』

「ああ? 俺が結婚しないからって、六華が結婚しない理由にはなんねえだろ。ていうか、あいつも相手いねえし」


 はあ、とはぐる丸が大きなため息を吐いた。

 歯車に憑りついた妖怪のくせに。


『きづいてないのか りっか かんざし ふえてた』

「ん? いや、まあ今日は一段と多かったな。朝より増えてた。それがどうかしたか?」

『おそれざんと いっしょだからだろ おしゃれしたんだ かわいくみせたくて』


 かわいく、見せたくて……?

 数秒してから、ぴしゃーん、と喜三の脳内で雷が落ちた。

 仮に、六華が恐山を好いていて……厄介になっている烏合家ふたりのうち、妹は嫁に入るとすれば。

 独身の兄がそのまま義弟(いや、恐山は年上ではあるのだが)が大野党止める入道長屋でぼんくらの生活を続けるのは、なるほど、たしかに外聞が悪い。


「い、いやいや。ちょっと待てよ、はぐる丸。六華はいつも恐山先生のことを『ざこざこ先生』って馬鹿にしてんだぜ」

『りっか ざこざこいうの きぞうとおそれざんだけ』


 心底呆れたように、はぐる丸が、ぎゅるんッ、と回った。


『すきなあいて だけ きづけよ ばーか』

「……は、は。なるほどなァ。そういうことかい」


 喜三は目元をひくひくさせつつ、無言で握り飯を食べきった。

 笹の葉からもうひとつの握り飯も手に取る。

 これを食べてしまうと、昼飯抜きになるのだが……。

 喜三は拳大の握り飯をしばらく見つめたあと、


「ええい」


 ばくんばくん、と二口で完食した。


「仕事だ、仕事。嫁なんぞ知るか」

『かっこわるいぞ おまえ』

「うっせ」


 笹の葉を丸めて片付け、立ち上がる。


(……夫婦なァ。わかんねえなァ。)


 悶々とした悩みに苛まれながら、この日も喜三は真面目に働いた。

 勤労態度が真面目なので、工事現場ではたいそう評判の良い男である。


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