赤鬼喜三と天狗のさくらと歯車おばけのはぐる丸
ヤマモトユウスケ
壱の段【烏合喜三】 1
かかんっ!
今は昔……と、いうには少々最近すぎるお話ではございますが。
そう、あれは徳川幕府が倒れてすぐのこと。
年号が
……少々最近どころではない? 今年の話じゃないかって?
お客さんがた、細かい話はおよしなさいって。
こういうものはね、ちょいと昔の話と思って聞くのがいいんですよ。
ともあれ。
散切り頭を叩いてみれば、歯車擦れる音がする。
市井に新しきものが溢れ、国が急速に発展していく……そういう時代でございます。
さて、このお話の主人公は、
自ら苗字を『烏合』と名乗る、齢十八の小癪な男でございます――。
●
畳の上で、ふたりの若者が正座で向かい合って座っている。
ひとりはあぐらを掻いて。もうひとりは、ぴったりと膝を付けた正座で。
正座のほうが、おもむろに口を開いた。
「喜三兄さま。お説教があるんだけど」
応じたのは、あぐらのほう。
「なんだよ、六華。説教たァ、穏やかじゃあねえな」
散切り頭をがしがしと掻く、筋肉質な青年。
名を烏合喜三という。
「で、なんだい。またアレかい?」
「もちろん、またアレだよ、喜三兄さま」
正座のほうは、
大量のかんざしを髪に挿した、勝ち気な表情を浮かべた釣り目の少女。
六華はにっこり笑って首をかしげ、喜三に問いかけた。
「兄さま。ほんとうに好い人、いないの? そろそろ嫁見つけないと、やばだよ?」
喜三は顔をしかめた。
「やばか」
「うん、やば。やばやばの、やば」
「やばやばの、やばか。参ったなァ、おい」
ずいぶんな言われようである。
「けどよ、六華。俺ァ、別に嫁はいらねえんだ。困ってねえしな」
「あたしが困るの。喜三兄さまを任せられるお嫁さんがいないと、あたしが安心してお嫁にいけないじゃん」
喜三はむっとして、言い返す。
「あのな。いけないってこたァねえだろ。俺だって、一人暮らしくらいできる」
「できるわけないじゃん、ざこざこ兄さまに」
「毎度思うが、ざこざこってのは、ちょっと言いすぎじゃねえか」
呆れ顔の喜三に、六華は唇を尖らせた。
「だってそうじゃん。どんぶり勘定で買い物しちゃう兄さまじゃ、すぐにお金がなくなって、長屋を追い出されて、野盗になって、即お縄だよ。私がいないと貯金もしないくせに」
「野盗なんかにゃ、ならねえよ。罪人になる気はねえ。この長屋を追い出されたとしても……まあ、どこでだって生きていけるさ」
びし、と六華が喜三の顔を指さした。
「ほら! 追い出されるかも……っていうのは、自分でもわかってるじゃん! ざこざこ兄さまのざーこ!」
う、と言葉に詰まる。図星を指されてしまった。
「そうなる前に、ちゃんと尻に敷いてくれるお嫁さんを見つけなさい!」
「いや、あのなぁ」
なにか言い返そうと思う喜三だが。
(言い返しても、なあ。)
と思い、頬を掻く。
正直、嫁というものの必要性が、よくわからないのだ。
好いた相手と結ばれるのは幸せなことなのだろう。
だが、喜三にはひとを好くという気持ちが――もちろん、六華に対する家族愛や、知人に対する友愛は理解できるが――いまいちわからなかった。
恋愛感情に疎いのだ。
(血を残さねばならないほどの生まれでもなし。所詮、俺たちゃ烏合の衆だ。)
だから、年号が明機になって、「平民も苗字を名乗ってよい」と日ノ本政府からお触れが出た際、烏合の姓を名乗った。
もとより、そういう性分なのだ。
しかし、素直に「嫁はいらん」と言っても、六華は納得しないだろう。
喜三はひらひらと手を振りながら立ち上がった。
「わァった、わァった。嫁を探しゃいいんだろ。任せとけ。ちゃんと探すよ、うん」
六華が半目になった。
「ぜったい探す気ないでしょ、兄さま」
「さあて、そろそろ仕事に行くかな……」
「あ! ごまかした! 逃げるな、こら!」
怒鳴る六華を尻目に、喜三は下駄をつっかけ、部屋を飛び出した。
喜三の住む長屋とは、横にずらりと木造住宅が並ぶ、日ノ本国に特有の横に長い集合住宅である。
表通りに店や屋敷、裏通りに借家が並ぶ……という構造が一般的だ。
だが、この入道長屋は縦にも長かった。
まるで西洋のアパルトメントのように、複数階層に建て増しされているのだ。
その長さ、なんと二十階層。
いちばん家賃の安い二十階の端の部屋が、烏合家の部屋である。
さて、部屋を出て廊下の端まで駆けた喜三は、しかし、備え付けられた歯車式昇降機には乗らなかった。
「おい、起きろ、はぐる丸! 跳ぶぞ!」
告げると、喜三の首うしろで、ぎゅるんッ! と音が鳴った。
歯車が元気に回る音だ。
『なんだよ きぞう ぼく まだねむい』
少年のような声が、喜三以外だれもいない廊下の空気に響く。
「もう仕事の時間だ、起きろって」
『えー』
不満げな声音を意に介さず、喜三は手すりを乗り越え……跳んだ。
二十階の高さは尺貫法で三十三寸、西洋単位でおよそ六十メートルもある。
落ちれば死ぬ高さだが、喜三はためらわなかった。
『ははあ また りっかから にげているんだな』
再び、少年のような声。喜三は無言で肯定を示した。
『どうせ かえったあと もっとおこられるだけだぞ』
「うっせ! いいから回せ」
『あいよー』
喜三の首の裏あたりが、かっ、と金色に輝く。
ぎゅるるんッ!
歯車が猛然と回る音が鳴る。
喜三が着流す小袖が風でなびいて、下に着用するつや消しの黒で塗られた
薄く、軽く作られた見事な帷子の首うしろには、黄金色の歯車がはめ込まれていた。
金ぴかに輝き、ひとりでに回転するその歯車――その名を、はぐる丸。
人呼んで、はぐるまおばけの、はぐる丸である。
ぎゅるるんッ! と音を立て、回転するはぐる丸には、別の歯車やからくり機構が接続されている。
喜三の動きを邪魔しないような配置で、からくりは鎖帷子に組み込まれ、喜三の全身に這わされていた。
はぐる丸が回ることで、烏合喜三の肉体に、歯車仕掛けの出力が供給されるのだ。
『しゅつりょく あげるぞ』
「応!」
びゅうびゅうと耳を切る風の音に負けない大声で叫び返して、喜三は入道長屋の壁に足を当てた。
ぎゅるるるんッ!
木造の壁をたわませて、喜三が跳ぶ。
力強く跳ねて、隣の長屋の壁に柔らかく着地し、また跳ねる。
縦に積まれた長屋のあいだを抜けて、風のように跳ねていく。
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