第10話

翌朝目覚めると、天井がぼんやりと揺らいで見えた。


ふすまを開けると、ナツトが朝食の食材が足りないから買いに出かけてくると言い家を出た。


窓辺の椅子に座って空を見上げた。何時もより太陽が眩しく感じた。

昨夜の出来事が鮮明に蘇る。

あれからタイチの容体はどうなったのだろうか。


暫く待っていると、ナツトが帰宅した。


「おはよう。大分顔色が良くなったね。眠れた?」

「まぁな。まだ気分が優れないよ。頭がぼんやりする」

「今日は店には出ない方が良い。その様子じゃ客人にも心配される。僕がママに伝えておくから、家でゆっくりしていて」

「そうするよ。殆ど皆勤状態だったが、こういう時は休むのが一番だな」

「今、ご飯作っているから、もう少し待っていて」


食事を済ませると、再び布団に横になった。


14時。気がつくと眠っていた。そこへ一本の電話がかかってきた。ナツトが出ると、相手はママからだった。

病院から店に連絡が来て、タイチが一命を取り留めたという。ただ未だ昏睡状態になっている様なので面会は難しいとの事だった。


受話器を置き2人で顔を合わせて安堵した。


の子、良く耐えたね。どうなるかと思った」

「峠は越した。後はいつ目を覚ますか待っているしかない。近くになったら、顔を出してみる」

「行ってあげて。ジュートに気づいたら喜ぶよ」

「お前、気を使わせて申し訳ないな」

「そう言わないで。彼の為にだよ。僕は平気さ」

「ありがとう」


2週間後、タイチの入院している病院へ向かった。病室に入ると、彼は眠っていた。酸素ボンベの沸き上がる音が聞こえる程部屋は静まり返っていた。


棚の上に花が添えてあった。誰かが見舞いにでも来たのだろう。


「タイチ、調子はどうだ?あれから店も相変わらず活気づいてる。客人の中にお前の歌声が聞きたいと会いたがっている人もいる。…俺も聞きたいよ。歌っている時のタイチは活き活きしてて辺りを閃光せんこうの様に与えて、皆を照らす力を持っている。お前の取り柄だ。1秒でも早く目覚めて欲しい。俺の声が聞こえているならこの手を握り返してくれ」


時間の間隔を置きながら、彼に何度か話しかけた。まだ何も変わらない。そう思い通りにはいかないだろうと、一旦病室から出て、院外の喫煙所で煙草を吸いに行った。


数十分後、再び病室に戻り、手を握りながら話しかけていた。微動だにしない彼の姿に諦めをかけて、帰ろうとしたその時だった。


「…誰?誰か居ます…か?…」

「タイチ、俺だ。分かるか?」

「ジュート…さん?」

「俺だ。人を呼んでくる」


タイチが目を覚まして看護師を呼んだ。診てもらうと、既に3日前に意識が現れたという。

容体は安定しているが、傷が深いので、退院まではまだ時間を要すると話していた。


看護師が病室を出て行くと、私は彼の頬を包む様に触れた。


「また来るよ。ゆっくり休みなさい」

「もう…来なくて良い。」

「どうして?」

「これ以上、迷惑をかけたくない。1人で…立ち上がるんだ」

「退院するまでは時々見に来る。ママやナツトも会いたがっているんだ。皆にお前の顔を見せてくれ」

「そうか。分かった。その間なら良いよ」


病院を後にして、家路までの道を歩いていた。


彼の姿を見て生命力の強さと敬愛の念を感じたのか、次第に目頭が熱くなり、涙が止めどなく溢れて出た。


上着の裾で顔を拭きながら、空を見上げた。


そうか、私は知らぬ間に彼を愛していたんだ。彼と離別するその時まで、私は、私は、私は…。


駅のプラットフォームから電車や入ってきた。車内の人集りに押し潰されながら乗車し、30分後には大塚駅に着いた。


自宅に帰ってくると、ナツトは店に出勤していた。普段なら私も店に出ている時間だ。


18時。少し早いが夕食の支度でもしよう。

冷蔵庫を開けると、何時もより隙間無く食材が入っていた。ナツトの奴、こういう時は気が利くんだな。


野菜を取り出すと奥の方に作り置きの惣菜があった。彼が作った肉じゃがだった。

併せていただこう。


ひと通り出来上がり、卓上に並べて、箸をつけた。例の肉じゃがもいただいた。芋が肉より硬いという事はどういう風に調理したのかと首を傾げたが、彼なりの一所懸命さを感じて微笑した。


後片付けをして、湯船に浸かり、浴室から出ると、21時近くになっていた。


レコード機器に針を落とし音楽をかけ椅子に腰を掛けた。いつの日か店でタイチが歌っていた洋楽のジャズ調の曲だ。目を瞑り、彼の歌声を思い出しながら耳を傾けていた。


再びステージに立たせてあげたい。生きる希望を見出してあげたいのだ。私なりに恩を報いることをしてやらねば、この情を断ち切る事が出来ぬと考えていたからだ。


更に1ヶ月後の20時。店に電話がかかってきた。ママが受け取るとタイチから連絡が来ていた。その日の午後に退院をし自宅に帰ってきたと言っていた。楽屋に集まっていた私や踊り子達にも告げられると、皆で手を叩いて喜びあった。


「ジュート、ちょっと良いか?」


ミキトが私を呼び出し、カウンターへ向かった。


「指名か?」

「俺からの指名だ」

「何事だ?」

「タイチを呼んで店に連れて来い。」

「彼の子はもう辞めた。今更どうするんだ?」

「彼奴をもう一度だけ舞台に立たせてやる」

「ミキト…」

「俺じゃない。ママだ。相談されて引き受けただけだ。…悪い話しじゃないだろう?」


直ぐ其処そこで希望が輝くのを再び見れる日が近づいていた。

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