第53話 限度ってもんがあんだろうが

 そのケット・シーにとって彼女は感情豊かではあるが、決して激情に囚われることのない存在だという認識があった。いつ如何なる時も――人によってはふざけた態度と思える程の余裕を持っていた。


 だが今はどうだ。


 見上げた先にある顔は影になって暗く、その中で光る紅い瞳には限りないほどの怒りが滲んでいる。籠めた力に手がメキメキと歪な音を立て、深く吐かれた息と共に周囲の温度が数度下がったように錯覚した。


 人1人が放つプレッシャーによって、明らかに周囲の空気に圧力が生まれた。漏れ出した黒い闘気には、それだけで普通の人間ならば泡を吹いて倒れる程の殺気が含まれている。


 直感で拙いと感じた。恐らく、眼の前の光景は彼女の抱える地雷を踏んだ。それも特大の、周囲の物全てを誘爆させるような代物を。


 この屋敷の持ち主は何も知らない内に、この世で最も恐ろしい怪物を怒らせてしまった。







 私は奴隷という類のものを初めて見た。


 正規の奴隷は法律によって一定の生活水準を守られており、暴力や過度な労働や粗末な食事などに悩まされることはない。


 ただ、違法に首輪を嵌められた者たちは除く。人権などはなく、道具同然の扱いを受けて死ぬまで酷使させられる。それが例え子供あっても、奴らはなんの痛痒すら抱かないのだろう。


 一瞬、気が遠くなった気がした。


「――――限度ってもんがあんだろうが」


 どれだけの悪人だろうと、人として超えてはならない一線というのは把握していると思っていた。私はこの期に及んで、まだ人間の善性に夢を見ていた。


 平気で弱者を踏みつけにし、辱め、命を冒涜し、それでもなんとも思わないような奴がいることを忘れていたのだ。奴らは唾棄すべき傲慢な無秩序の輩で、私が最も嫌う最悪の人種である。


「だ……れ?」


「ッ!」


 そこで初めて、檻の中にいた奴隷の少女が声を発した。


「安心しろ、ゴルドーの不正の証拠を暴きに来た冒険者だ。ここにいるのはお前だけか?」


「う、ん……」


 私の問いに、少女は酷く悲しげな表情で頷く。どうやら生きているのは、彼女だけのようだ。


 他は手遅れだが、死んで間もない遺体も沢山ある。仮にもう少し早くクリスから依頼を受けていれば、助けられていた命もあっただろうか。いや、それは傲慢かもしれない。


「とにかく、ここから出してやる」


「わぁ……!?」


 鉄柵を掴んで横に捻じ曲げ、人が1人通れる隙間を作る。そこから中に入り、枷を掴んで壊した。少女の手足は自由になったが、立ち上がる力すら無かった。


「飲め、毒じゃない」


「んっ」


 インベントリから出したポーションを口に持っていき飲ませると、全身にあった傷が治っていく。しかし、手首の痕だけはうっすらと残ったままだった。


「立てるか?」


「……ん」


 立たせて見ると、想像よりも背が低かった。髪色と同じ橙の犬耳は獣人族の証だが、連中は体格が良い者が多い。この貧相さは明らかに栄養不足によるものだ。


「よし、早くここを出て秩序の騎士に――――」


 しかして地下から出ようとしたところ、助けた獣人の少女に服の裾を掴んで止められる。何事かと振り返れば、少女が大粒の涙を流して縋り付いていた。


「あの、おとこが……アルマの、わたしのともだち、みんな、ころした……」


「……そうか、辛かったな」


「どうして、こんなめにあわなきゃいけないの……? みんな、なにもしてないのに。にくい……あのおとこが、にくい……」


「大丈夫だ、私が今からその悪い大人をぶっ飛ばして来てやる」


 しゃがんで目線を合わせそう言うと、少女――アルマは目を開いて私を見つめた。


「ほんと……?」


「本当だ、だからアルマは早く安全なところに逃げような?」


「うん……!」


 それから頷き、意識を失って倒れ込むアルマを慌てて抱きかかえた。考えてみれば当然だがポーションは傷を治すだけで、栄養失調までは回復させてくれないらしい。


「ランド、この子を連れて外に出て、秩序の騎士へ連絡してくれ。それが終わったらこの地図に書かれたクリスティーナという女の屋敷に行って伝えろ、『お前の言う通り好きにやるぞ』と」


「分かったにゃ!」


 ランドが五霊宝書を開き詠唱をすると、壁の石が崩れて固まり、それを触媒に土の精霊である[ストーンゴーレム]が召喚され、アルマを抱えた。

 

 下位の精霊召喚はソロで戦う時くらいしか使わないから、何気に初披露だ。尚、前に使った[炎王・焦塵熱波イブリス・アトミックバーン]は精霊王の技を一時的に借りるのみだが、レベルが上がれば精霊王本人と契約して召喚することも可能だ。


 それから分岐路まで戻り、そこから直線を駆け抜け、隠し通路の入り口である書庫の本棚から出た。ここでランドとは分かれ、私は単独で屋敷のエントランスに向かう。


「おい、そこのキミ! 止まりなさい、ここはゴルドー様の屋敷だぞ! 勝手に入ってきては駄目だろう」


「邪魔すんなッ!」


「ぶがっ……!?」


 途中で兵士に見つかり道を塞がれるが、拳一発で端に退ける。それを見ていた別の兵が漸く敵意を持つ侵入者であることに気付き、笛を鳴らした。


「侵入者だ! 女が1人、早く捕まえろ!」


「やっぱステルスは性に合わねえな、こっちのほうが全然良い!」


 殺到する兵士たちを片っ端から殴り飛ばし、蹴り上げ、投げてエントランスへ驀進。


「ぐほぁ!?」「なんだコイツ! 止まらないぞ……!?」


 普通に走ってるだけでも進路上の人間を撥ね飛ばせる私を止めたいのなら、鋼鉄の壁でも用意するんだな! 用意出来たところで、次はぶった斬るだけだけど。


 そうしてエントランスに辿り着く頃には死屍累々の光景が出来上がり、私の邪魔をする兵士は1人としていなくなった。勿論殺してはいない、不用意に殺人を犯すと騎士団に目を付けられかねん。ムショは怖くないが、回避出来る面倒事は極力避ける。


「オラァ、アルトマン出てこいやー!」


 二階へ上がり、片っ端から扉を蹴破ってゴルドーを探す。屋敷にいない可能性は考慮していない、いなかったら後で外を探しに行くから大丈夫だ。


 メイドの休憩室、なんかよく分からん骨董品の部屋、応接間と来て漸く執務室を発見。そしてその部屋の奥の隠し扉から出て行こうとする、白髪交じりの中年男がいた。


「なっ……!?」


 男は私に気付くと、驚愕に目を見開いた。十中八九、あれがゴルドーとかいう男で間違いない。と言うか隠し扉好きだなおい、この屋敷だけで一体何個あるんだ。


「おっ、カス発見。御用改めである、違法な奴隷売買及び使役の罪でてめぇを捕まえに来たぞ、証拠はもう上がってんだ、観念しろやこのクソ野郎」


「まさかバレないよう精巧に作ったあの隠し扉のスイッチを……!? クソッ、兵士たちは何をしておるんだ!」


 精巧とか言うが、本棚にみっちり詰まった地味な装丁の本の中に、一冊だけ派手な赤色の背表紙の本があったら普通調べるだろ。しかも取り出せないし、怪しんで押すくらいはする。


「おい! 侵入者だぞ! こんな時の為に高い金払って雇ったんだ、しっかり働け!」


 ゴルドーは冷や汗を掻きながら、どこへ向けてかそう叫ぶ。すると隣の部屋の壁が粉々に砕け、その中から灰色の毛に覆われた手が私の頭に伸びてきた。


「馬鹿野郎お前! 国宝級美少女の顔面をなんだと――――」


 その台詞を言い終えない内に頭を掴まれ、地面に叩きつけられる。床材が割れ、尖い痛みが鼻先から額に掛けて走った。


「わ、私は逃げるからな! 貴様はその侵入者をしっかり始末しろ! わかったな!? セト!」


「ギャーギャー喚くな成金野郎、言われなくても分かってんだよ。コイツは端からおれの獲物だ」


 ……セト?


 聞き慣れた名前に床から頭を抜くと、眼前に狼頭の大男。灰色の毛並みと獰猛に眇められた黄金の瞳、背中に背負った巨大な戦斧も見覚えがある。


「よぉ、久しぶりだなフラン。殺し合いしようぜ」


「イッヌ……」


「その呼び方やめろ」


「セト……」


 PvPランキング第18位、クラン[流浪狼ヴォルフガング]マスターのセト・ウルフィン。私と同じ元プレイヤーであり、ある種因縁の相手だ。








◇TIPS


[精霊召喚]


精霊術師とその派生クラスにて取得出来るスキル群。

下位、中位、上位と位階分けされた中から

召喚する精霊を選ぶ。


召喚に契約が必要な精霊も多く

また、召喚時と精霊の攻撃時にMPを消費するため

上位の精霊の攻撃の威力如何では召喚時間は一秒と保たない。

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