第33話 追憶と薄ら掛かる靄
リア・ラトニアは嘗て幼き日、病弱だった母の為に薬草を摘みに森へ入った。本で覚えた白い花を咲かせた草花を、バスケット一杯に詰め込むことに夢中だった。そうして知らず知らずの内に森の奥深くへ迷い込み、恐ろしい人攫いたちと出会ってしまう。
大柄な人攫いたちは皆が顔を黒い布で覆い、鼻息荒く少女を見下ろしていた。腕には眼窩が6つある骸骨のタトゥーが彫られており、それを見たリアはすぐに目の前の男たちが何者か悟った。
「あ……」
「フウゥーー……、フウゥーー……」
「聖餅だ、聖餅があるぞ」
リアは泣き叫びながら助けを求めたが、鬱蒼とした日の光も殆ど届かない森中に悲しく掻き消えて行くだけだった。
細く小さな腕を強引に掴んで縛られると、声が出せないように猿轡を噛ませられる。その状態で大きな麻袋を見て、リアの表情が絶望に染まった。1度あの中に入れられてしまえば、次に外に出られるのは人喰いの住処。
つまり、生きたまま喰われる直前ということ。
言うことを聞かないしたリアに父親が『人喰いが攫いに来るぞ』と脅したことがあったが、もうこのままでは叱って貰えることもないのだ。そんな思いが過り、頬に一筋の涙が伝う。
そんな時だった。
「おぇ?」
何が起きたか分からない、と言った風な声を上げて人喰いの首が飛んだ。黒い布を纏った頭部が暫く地面を転がると、漸く胴体は自身の死を悟ってその場に崩れ落ちる。
「誰だ、きさま」
それを成したのは、吸血鬼の少女だった。美しく結われた眩い白銀の髪に、白磁の肌。血のように紅い瞳は白く烟る睫毛に縁取られている。細く靭やかな手足、それを無彩で飾る黒衾の装束。リアは状況も忘れて、一時その少女に見惚れていた。
「吸血鬼、我々の聖餅を横取りする気か」
「チッ、
吸血鬼は質問をした人喰いを無視して、そのまま胴体を袈裟斬りにする。リアを袋詰にしようとした者も含めて2人が死に、これで残りは3人。
「ヒト種の身で不死者たる吸血鬼は、神敵。滅せよ」
そう言って人喰いたちは解体用の手斧を取り出す。その間にも1人が首を跳ねられ、もう1人の両腕が輪切りにされた。腕を失い血が吹き出すのを見下ろす中、吸血鬼は無慈悲にその体を切り裂く。
残る1人が背後から斧を振り降ろすが、既に吸血鬼の姿は無い。回避と同時に振り向きざまの回転斬りで、胸元から横一文字に両断。
たった数10秒で、全員を倒してしまった。
「無事か?」
返り血を浴びずに綺麗な姿のまま、吸血鬼の少女はリアの拘束を解く。
「あ、ありがとう……」
「まあ、そういうクエストだからな」
その口ぶりから、彼女は恐らく黒教を狩る為に雇われた冒険者か在野の剣士なのだろうとリアは想像した。そう珍しいことでもないため、言葉が若干不自然なのも深くは考えなかった。
今はただ、助かったことと、血霧の中で美しく舞う彼女の姿に頭の中が一杯だった。
「あの、何かお礼を……」
「いいよ、子供から金品巻き上げるとかそれこそ悪者だろ」
「えと……それじゃ、これ、あげますっ!」
リアは薬草を集めていた途中で見つけた青色の花を少女へと渡した。
「おう、ありがとな!」
それを受け取った少女は女らしくない、けれどとても美しい笑みを浮かべてリアの頭を撫でた。この時からなのだろう、彼女が強い女性になりたいと憧れを抱いたのは――――
「――――お嬢様」
「……なんだ、それとお嬢様はやめろと言ったはずだが」
微睡んでいたリアの意識を現実へと引き戻したのは、家令の呼びかけだった。数日後に控えた盗賊団の討伐に参加する冒険者との面会を終えて、執務室で少しうたた寝をしてしまったらしい。
「大変失礼致しました。リア様、クライン様がお見えになられています」
「そうか、通せ」
家令にそう告げ、先程見ていた夢の内容に浸るように目を閉じる。
もう顔もよく思い出せないが、それでも命の恩人であるあの少女は後日、[ローンデイルの五英傑]と呼ばれる者のうちの1人であることを知った。
この世界、ローンデイルで比肩する者無しと言われた5人の冒険者。その、リアを助けた吸血鬼――剣の鬼でありアストハイムの王フラムヴェルクは、英雄であるが苛烈さと戦乱を好む性質から恐れる者も多い。
一時期は強者の首を狙って暴れまわっており、秩序の騎士団が直々に懸賞金を掛けたこともあるほどだ。
騎士団は滅多なことで特定の個人へ指名手配することは無い。それこそ残虐無比な殺人集団であるマッドコフィンの頭領や、人喰いの中でも特に悪辣である主教の地位にいる者など、そうせざるをえない理由がなければ基本的に関与することはなかった。
それもすぐにフラムヴェルク本人が出頭したことで取り消されたのだが、異例であることは確かである。
ただ、あの時リアを助けた少女が見せた笑顔は、太陽のようだった。とても賞金首になるような人物では無いように思えた。
「また考え事ですかね、領主様」
「クライン殿か、何の用だ……と、どうせ明日の件だろう」
ふと気付けば、扉を開けて1人の男が部屋に入って来ていた。その男、クラインはシンボルと言って良い青いマントを靡かせ、気障な仕草で髪を指で払う。
「話が早くて助かります」
「詳細は詰めきった筈だが、まだ何かあるのか」
「そう言わず、作戦は煮詰めすぎて悪いということは無いのですから。まあ、それでも今日は少し提案があって来ただけなのですがね」
秩序の騎士団、第4番隊隊長代理。リアはその肩書になる前、騎士見習いの頃からこの男を知っている。亡き父と前隊長は個人的な交流があり、昔から何度も顔を合わせて来た。
やや鼻につく言動をすることはあるが、昔から仕事には実直で向上心があった。隊長であるレーベルハイトの側付きで、強く公正な彼を信奉している。
街の人々にも信頼され、またリア自身もクラインを信頼していた。故に、彼からこの合同作戦の提案をしてきた際にも、二つ返事で了承した。
未だ西の山岳地帯に蔓延る賊は、街道へ出ては馬車や旅人を襲い、昨日には遂にここから少し離れた集落を襲った。家が荒らされ、住んでいた者の大半が殺された。
はじめは単なる押し込み強盗かとも思われたが、生き残りの証言によれば、襲撃者は度々見かけられた盗賊で間違いないと。
こうなれば最早見過ごす理由は無し。しかし生憎と5年前の黒教襲撃により街は衰退。立て直す為の資金繰りも厳しく、ラトニア家の抱える兵力は疲弊したままで、冒険者や騎士団を頼らざるを得なかった。
それに騎士団込みとは言え、相手の規模を考えると少し不安が残るのも事実。それでもやらなければいけない、リアは父に代わって最善を尽くしたつもりだ。
現状は領主としての実績も信頼もないが、これを機に積み上げて行けば良い。
「で、早く用件を話せ」
「明日の早朝、西門に集合した後出発しますが、その前に領主である貴方から一言激励の言葉を頂きたいのです」
「なんだ、そんなことか。構わんぞ」
クラインの提案に、リアは頷く。元より明日はクラインと共に詳細な作戦内容を伝える予定だった。そこへ一言二言付け加える程度、特に拒否する理由はない。
「助かります、冒険者たちの士気もこれで上がることでしょう」
気障ったらしい笑みを浮かべ、騎士は一礼する。
「しかし、亡きラトニア公も、今の貴方の立派な姿を見られたらさぞ喜ばれるでしょうな」
「どうだか、父はまだまだ甘いと言うと思うぞ」
元々が戦時の前線基地であったラトニア領主の家系は代々苛烈な性格をしている。特に先代、リアの父はかの黒教の襲撃を前に一切臆する事無く、自身の命まで使ってこの都市を守った。
今の彼女にそれが出来るかと聞かれれば、否と答えざるを得ない。家督を継いでまだ5年、当時15歳の少女にこの肩書は随分と重いものだった。
「謙遜を、立派に務めを果たしておられますよ。少なくとも、私はそう思います」
「……そうか、済まないな。クライン殿にはいつも助けられてばかりだ」
「我々秩序の騎士は、民の為のものですから」
1度は危機に陥ったこの都市を立て直せたのは、隊長亡き後にクラインが率先して働いてくれたからである。それが無ければ、復興はもっと遅れていたことだろう。
「では、私は公務があります故これで失礼致します」
再度クラインは仰々しく礼をし、家令に連れられて部屋を出る。その後姿を眺めていたリアの目に、黒い靄のような物が一瞬映った。ほんの一瞬だったが、それは――目の前の騎士に纏わりついているようにも見えた。
「……?」
目を擦るとすぐに消えたが、それはどことなく不吉な感覚を心に残した。まるで、何か重要なことを見落としているような気分が拭えない。
「……いや、気の所為か」
後々にこれが一体何だったのかを、もう少し気にかけていれば良かったのだと後悔することになるのを、彼女は知らない。
◇TIPS
[黒き神の派閥]
黒き神の教団には、幾つもの派閥が存在し
食人主義、秩序破壊主義、殺人主義など多岐に渡る。
特に世界の征服を目論む『深淵の輩』
善と悪、光と闇のバランスを重んじる『世界調和委員会』
文明開花当初の混沌とした世界に戻らんとする『回帰主義論者』
の3大派閥がそれぞれ異なる思想主義の元動いている。
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