第12話★ その覚悟を問う

 行ってしまった。


 覚束ない足取りで少し歩き、ランドは悲しげに顔を俯かせる。先程まで聞こえていた声も、随分遠ざかってしまった。まだ視界の先では微かに白銀が揺れていたが、今はそれ以上追う気になれなかった。


「はぁ……どうすればいいにゃ……」


 森の中を当て所無く歩きながら、ランドは深い溜息を吐く。


 ケット・シーは、宝石細工と彫金の技術が無ければ能無しとされる。「そうでなければならない」「そうあるべき」だと、ランドもずっと言われて来た。

 

 一人の男として見られることはなく、ただ求められた役割を押し付けられる人生。それをこなせなければ、無能のレッテルを貼られてしまう。たった1つの価値観のみで、存在を否定されることは耐え難い。


 ランドは、それが嫌で集落を抜け出した。多様な価値観を持った種が共に暮らす、人の国へと向かう為に。


 そうして三年前に故郷を出奔したものの、今まで外に出たことが無いランドは怖じ気付いた。というのも、ケット・シーは希少な種で、嘗てはその物珍しさから奴隷狩りが行われていたと幼少時から父に脅されていたのだ。


 現在は人間との取り決めのお陰で、公には奴隷にすることを禁じられている。しかし、その話はランドへ無用な恐怖感を植え付けるのに充分過ぎる効力を発揮した。


 勝手知らぬ人間の国で追いかけ回される事を考え、憧れと恐怖――それらが心の中でせめぎ合い、結局は森に逃げた。ただ「もう少しだけ心の準備をしてから行こう」と、問題を先送りにしたのだ。


 暮らし慣れた森であれば、魔物から身を隠す術も逃げ果せる術も持っている。集落にいることは耐えられないが、人の国へもまだ行けない。その結果、このオスカントの森の中に住居を築いて3年。

 

「……フラン」


 唐突に現れたフランという存在をきっかけに、ランドは今度こそ人の国へと向かう決心が付きかけていた。


 ランドはフランが森でも一二を争う脅威であった、額に傷を持つアークマンティスを倒した現場を見ていた。光の精霊によって姿を隠したまま、怯えて動くことすら出来なかった最中、彼女が凄まじいまでの執念と戦闘力で歴戦の古狩人を降したのを見た。


 その姿に、ランドは得も言われぬ感覚が背筋を走った。始めて目の当たりにしたヒト種、そしてその意志の強さに感銘を受けたと言っても良い。


 ただ、彼女の種族――吸血鬼が何故この森にいるのかも疑問であった。


 ランドが吸血鬼について知っていることは少ない。数年前まで暮らしていた集落は、随分と長い間他所との交流を断っていた。書物として残っている情報にも限りがある。


 ただ、あの混じりけの無い髪の色と、竜のような鋭い瞳孔が純血の証であることは知っていた。吸血鬼の始祖である"アーク・グラハド・ヴァーテンシュタイン"、その子孫たちのみが純粋な血族であり、種の中で最も尊ばれるべき存在でもある。


 純血とは、即ち王の家系であった。フランは王族なのだと、ランドは世間知らずながらに内心で感動を覚えていた。「助けてあげれば、何か良いことがあるかもしれない」と、そんな期待すら抱いていた。


 しかしどうだ、実際に血みどろの少女を助けて治療を施し、目を覚ますとその人格はまるで王族らしくない。否、ランドは王族がどのようなものかを知らないので、これが吸血鬼の常識なのだとはじめは思っていた。


 尊大な物言いはせず、口調も粗暴で最早男のよう。言っている内容も支離滅裂なことが多く、相手のペースに合わせるということをまるで知らない。強さのみを物差しとし、戦いに勝って相手との優劣を付けることを至上としていた。


 傲慢という言葉に相応しい人物だろう。なれど、彼女は決して己の価値観を他者へ押し付けはしなかった。若干語尾に関しては怪しい所はあったが、族長である父や集落の仲間のようなことは一度も言ってはいない。


 なればこそ、彼女に付いて行きたいと思った。純血ながら旅人であるフランと共にであれば、人の国へと行ける気がした。


 その筈だった。結果として拒否され、逃げられる始末。


 理由は分かりきったことで、ランドが弱いからである。ここ数日で散々聞かされたフランの旅の目的は、単なる諸国漫遊ではなく強者と出会い戦うための武者修行。


 強者とは、何も人に限らない。一対一の騎士道精神を弁えぬ、見境なしに暴れる魔物。また、時に災害そのもののような相手にすら挑むかも知れない。そこに戦闘力の無い猫獣人が付きまとえば、当然足手纏いになる。


 厳しい現実を突きつけてはいるが、フランがランドの為にそうしたのは重々承知していた。今こうして単調ながら安定した暮らしが出来ている状態を、彼女が壊したくなかった気持ちは察している。恩義も、配慮も感じた。


 そして全ては、ランドに力が無いことが原因であることも当人が一番分かっていた。


「でも……」


 ここで諦めてしまえば、また同じ日々が待っている。「何かきっかけさえあれば」と言い訳をして、息を潜めるように暮らす毎日が続くだろう。


「……ううん、きっかけは出来た、言い訳はもう出来ないにゃ」


 ランドの心に、小さな火が灯った。吹けば消えるような微かな灯火だが、それでも決意をした。今こそ、勇気を出す場面ではないか。己が力を示せば、追い掛ける根性を見せれば、きっとフランも考え直してくれる。


 もう逃げるだけの生き方はやめて、恐怖に立ち向かう時が来たのだ。


 そう己を鼓舞し、走り出す。森に障害物は多いが、小柄な体ならば問題にはならない。3年間で歩き慣れた土地は、精霊の導きもあって道に迷わず進める。


「森を抜けるなら、絶対にあそこへ行くにゃ」


 フランが真っ直ぐに東へと走っていったのは見た。そこから逆算して目指すのは南東、森の出口。










 周囲で木霊する風の精霊の声を頼りに走ること四半刻。大凡出口へ向かうルートの軌道上に乗った。未だにフランの足跡は見当たらない。


「良かった、間に合ったにゃ!」


 追いつくのに、まだ手遅れでないことに安堵した瞬間だった。


「に゛ゃ!?」

 

 突如としてズン、と大きな地鳴りの音が耳朶を打った。衝撃でランドの体が少し宙に浮く。それと同時に頭上へと影が差し、何事かと見上げれば――そこには竜の顔があった。


「ち、ち、ちちちちち地竜ぅ!?!?」


 岩や鉱石を主食とする地竜は、鱗に多量の金属を含む。その特徴通り、鋼のように硬質で鋭角な顎が震え、大気を揺るがす咆哮が響き渡った。


「グオオォォォォッ!!!」


「うにゃああああああ!!!?!」


 ここは地竜の縄張りの一部。フランを追って夢中で走るあまり、注意力が散漫になっていた。本来ならば気づけた。運が悪いというよりも、完全にランドの不注意だった。そして肉食では無いが、縄張りの内側で外敵を見つけた地竜は非常に攻撃的になる。


 逃げようにも、地竜から発せられる凄まじい圧に体が動かない。顔が強張り、恐怖から涙が溢れてくる。戦ったとて絶対に勝てる相手ではない。ランドは己の死を覚悟した。


「あ、あ……」


 




 ――――逃げ出した雑魚乙って感じ






 そこでふと、フランに言われた言葉が頭を過った。確かにミ・ランドは、族長の息子という立場からも自分の憧れからも逃げ出した。雑魚と罵られても仕方がないような、情けないオス猫だった。


「違う、違う、違う違うにゃ!! ボクはもう逃げない!」


 2度も逃げたからこそ、分かった。逃げ続けることは、思いの外に苦しい。ずっとその負い目を抱えて生きることになる。いつか何処かで、その負債を払わなければならない。


 そのいつかは人によって異なるだろうが、ランドにとっては"正に今この時"だった。


「か、かかか……覚悟しろ! お前を倒して、ボクは自分の夢を叶えに行くにゃ!」


 足は小刻みに震えているし、眦には涙が溜まっている。だが、それでもランドは己の弱さに、目の前の強大な敵に立ち向かった。


「ォォォオ!」


 地竜が反撃に大きく息を吸い、口内へと凄まじいエネルギーが収束する。そうして地属性――大地の力を宿したブレスが放たれようとしていた。ランドにはそれを受ける術がなく、喰らえば確実に死ぬ。


 そんな場面だというのに、何故か無性に晴れ晴れとした気分だった。地竜の喉奥から、圧縮されたエネルギーの塊が見え――――


「精霊よ、仇敵に大地の怒りを![土塊の昇拳ソイル・アッパー]!!」


 ランドの詠唱に応えて地竜の足元の大地が盛り上がり、土で出来た拳骨が下顎を捉えた。衝撃でカチあげられた口が閉じ、内部で溜め込んだブレスが爆発する。ドン、と凄まじい音が鳴り、その巨体が仰け反った。


「やった――」


「グ……オオァァァァァ!!!」


「にゃああぁぁ!? 全然やってないにゃあ!!」


 しかし、それでもダメージを与えたのみで、地竜は健在。怒りに目を剥き、右脚を大きく振り上げる。その鉤爪には、鱗や甲殻を持たない生物を容易く細切れにしてしまいそうな鋭さがあった。


「こ、後悔は無いにゃ。ボクは、ボクの夢の為に戦ったんだ!」


 死を覚悟して尚、目を瞑らずに最期の時を待っていたが――突然体が宙に攫われた。竜の鉤爪はいくら待っても訪れない。顔の辺りに柔らかな感触がして見上げると、胸に頭を押し付けられており、その上にはここ数日で見慣れた少女の顔があった。


「この馬鹿野郎……!」


「フラン!?」


 ランドはすぐに、その少女――フランに抱えられて助けられたと気付いた。直後、堰き止めていたものが決壊して、ぶわりと涙が溢れ出す。


「うに゛ゃあああ!! 助かったに゛ゃああ!!」


「うるっせ!? うるせえって!! 耳元で騒ぐなヴォケ!!」


 運命はまだ、ミ・ランドを見捨ててはいなかった。







◇TIPS


[地竜アースドラゴン]


森林や山岳地帯に生息する低級の竜種。

鉱物を主食とし

それを外殻として纏うことで、非常に高い防御力を誇る。


地竜の放つブレスは爆破属性を伴うが

土属性の相殺効果により森が燃えることはない。

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