延着

 7時25分。電車が来ないことに違和感を覚えてイヤホンをはずす。駅員が二つ隣の駅で線路に人が立ち入ったため運転を見合わせているとアナウンスしている。新人の駅員だろうか。説明がやけにたどたどしく、「ご迷惑をおかけして申し訳ございません」の声にもやけに感情がこもっている。


 周囲には、別の路線に切り替えるためホームを後にする人々もいたが、時計を一瞥したあと面倒くさそうにスマホに視線を戻す人がほとんどだった。


 僕も行き方を変えるべきだろうか。でも一限にはまだ余裕がある。もう少しここで様子をみることにした。この路線の電車に乗りさえすれば学校にはたどり着ける。それだけ分かっていれば十分だ。僕は他の人にならって手元の画面にもどった。



 7時40分。駅に人があふれはじめた。学校や職場に向かう人々がひっきりなしにやってきてホームを埋めていくのに、電車はまだ動かない。ものの十五分でホームは滞留した学生やら社会人やらでパンパンになった。その間何度も繰り返しアナウンスしたからか、駅員の口調は流暢になっている。


 たったの十五分でこれだけ多くの人間が運ばれていた事実にげんなりする。社会で流れる時間は日に日に速さを増している。だが、日常の中にいるとそれに気づくのは困難だった。それこそ、電車が止まりでもしない限り。


 この調子では僕もすぐに老いていくだろう。このままでいいのだろうか、別の路線に切り替えるべきなのではないか、と焦る気持ちもあった。だが、流れる時間の速さに飲み込まれ、考える気力は徐々になくなった。どのみち遅刻するのならわざわざ別の道を通る必要もない。この電車に乗りさえすれば職場にはたどりつける。それ以外は考える気になれなかった。



 7時55分。駅は人で埋め尽くされている。身動き一つできないが、まだ人は集まり続けている。人ごみの圧迫感によろめき、随分痩せてしまったことを実感する。自分の背広の肩には白髪が何本かのっていた。駅員のアナウンスは繰り返しすぎて何の感情もこもっていない。


 気づけば改札の外まで長蛇の列ができていて、今からではホームに上がってくるのも一苦労のようだ。ホーム上で人の波に押しつぶされそうになりながら、僕は運転再開後やってくるであろう満員電車を想像し肩を落とした。僕の内側から流れ出る自発的な無気力が他の人達と重なり合い、一つの大きな膜となって駅全体を包み込んでいるようだ。


「電車に乗りさえすれば目的地につく」なんてもう信じてないし、電車に乗った先に待つ日常に何一つ期待なんてない。ホームの誰もがそうだった。


 みんな電車を待っている。なのに誰も乗りたがっていない。


 なにか変だ。でももう後にはもどれない。手遅れだった。誰もがその現実から目を逸らし、手元の小さな液晶に映る世界だけを見つめている。僕もそうすることにした。そうすることしかできなかった。



 8時。復旧を告げる放送は、ひどく虚しく響いた。

 僕はもうすっかり老人になっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る