小銭
その女は毎朝決まった時間にあらわれた。
歳は三十歳を少し過ぎたあたり。のっぺりとした印象の薄い顔にはお洒落というより礼儀としての化粧がほどこされている。地味なスーツに身をつつんでいる痩せた体はどこか頼りない。
女の動きはいつも決まっていた。コンビニの想定する動線どおりに通路をすすみ、無味無臭の炭酸水と、野菜ジュースを持ってレジにやってくる。合計で268円の会計に300円出すところまで毎回同じ。表情は不愛想で、耳に付けたイヤホンは片耳しか外さない。
こんな客はコンビニで働いていればいくらでも遭遇するし、記憶にとどまるはずもない。
それでも僕がこの女のことを覚えていたのは、その後、つまり渡されたお釣りの32円を財布に戻さず、毎度レジ横にある募金箱に入れるからだった。
女が小銭を募金箱に入れる手つきは無造作で、「入れる」というより「放り込む」とか、「ぶち込む」とか、野卑な表現の方が適切だった。そこから募金活動という言葉から想起される高尚さや慈善の心は感じ取れない。単純に小銭で財布が膨らむことが嫌なだけなのか、すでに習慣として定着してしまったのか。多分女は、自分の寄付金が使われる先が難民支援か、医療機関か、復興支援かなんて把握していないだろう。
でも僕は、その光景が好きだった。
駅前で声高に協力を求め、無視して通り過ぎる人々を遠回しにヒトデナシ扱いするかのような募金活動よりも、小銭の煩わしさに付け込む募金箱のしたたかさとか、それに応じる女のガサツな優しさの方が見ていて気分がよかった。
箱に小銭を入れるとき、僕はいつもより少しだけ感情を込めて「ありがとうございました」といい、マニュアルよりもやや深く頭を下げた。女は特に表情も変えず軽く会釈を返して店を出た。
ある日を境に、女はぱったりとレジに来なくなった。
どうやら支払いをカードか何かに切り替えたらしく、セルフレジをつかうようになっていた。
女は流れるようにバーコードを読み取り、スマホをかざして支払いを終える。買っているものは相変わらず炭酸水と野菜ジュースだったが、有人レジと違いっていちいち決済方法を伝える必要はないし、レジ袋が不要であることを口にする必要もない。スムーズに買い物を終えることができるし、ポイントも貯まる。
そしてもちろん、お釣りとして小銭を受け取ることもない。
買い物を終えて店を出ていく女への「ありがとうございました」という僕の声は、機械音と変わらない無機質なもの変わっていて、イヤホンをつけたままの女がその声に振り向くこともない。
世界はまた一つ滑らかになった。
僕はもう、彼女の顔も覚えていない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます