都会

1103教室最後尾左端

少女と疲労

 灰色のシートに全体重をあずけ、等間隔でやってくる振動を背中に感じる。視線は中吊り広告のあたりをさまよっており、焦点は定まらない。どのみち文字が読めるほどの意識は残っていない。仕事帰りの電車内はいつもそうだ。


 電車が止まり、扉が開く。乗客が入れ替わり、また走り出す。


 その繰り返しが、僕の視界から現実感を奪っていく。脳に薄い靄がかかり、最寄り駅まであと何駅かだけが頭の中にぼんやりと浮かぶ。もしかしたら既に眠っているのかもしれなかった。


 その少女が乗ってきたのはすぐにわかった。男が美しい女に気づくのはほとんど臭気を感じるのと同じだ。異臭の雰囲気を察知して、それから鼻を利かして臭源をつきとめる。それと全く同じように、美しい女はそれと気づく前に視線を集める。


 その少女は制服姿だった。はっきりした目鼻立ち、やや色の抜けた長い髪に褐色の肌が映える。短いスカートから伸びる長い脚は色気よりもしなやかな弾力を感じさせる。肩から掛けるバックには高校名と部活動のロゴが入っている。


 少女は僕の目の前に立った。僕の途切れかけの意識が、ほとんど強制的に少女に向けられる。


 近くで見るとよりはっきりと彼女が美人であることがわかった。携帯を眺める瞳は理想的な二重幅をしているし、まつげも長い。どこかあどけなさが残るが、運動部特有の潔さも共存している。耳にはイヤホンがはめられている。


 彼女を見ていると、なぜか僕はひどくくたびれた。重力が十倍になって、背骨がぐにゃりとたわむのを感じる。そのままシートに沈んでしまうようなきがした。


 電車が止まり、乗客が入れ替わる。少女は僕の隣の席に座った。スカートとその奥の尻をシートが受け止める。トスンという音さえも甘く聞こえる。


 彼女との距離は10センチにも満たない。その距離が埋まることは未来永劫やってこない。僕の身体にかかる重力はさらに大きくなり、肩がぬけそうだ。


 身じろぎをした際に、彼女の手元の画面が見えた。ラインの画面だ。メッセージの内容までは見えない。相手が友達なのか、部活仲間なのか、彼氏なのか、もっといかがわしい何かなのか。その問いの答えは永遠にでない。


 画面を見ながら彼女がクスリと笑う。抑え込もうと口元がゆがんで、やっぱり我慢できなくて、くしゃっと笑う。


 その笑顔はもちろん、僕に向けられることは一生ない。それでもただ覗き見ただけの僕の幸福めいた感情を誤作動させる。


 僕に向かって親しげに開かれている、僕に関係ない幸せに気づくたび、僕はひどくくたびれた。もうとっくに最寄り駅は過ぎているが、立ち上がる気になれなかった。


 二駅後、少女は電車を降りていった。

 僕のほうを見ることは一度もなかった。

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