第2話 王子と
翌日、私は豪勢に飾り付けされた広間へと一人で招かれていた。
父が「家族の未来のために重要な一歩だ」と言って私を連れてきたのだが、その理由は私にはいまひとつピンとこなかった。貴族社会に生きる以上、こうした王宮への訪問は避けて通れないということは理解しているものの、正直なところ、面倒である。
記憶が入れ混じった頃から数回はこのような場に出席してきたが、気が進まないのが本音だ。
全校朝礼的な感じだ。
気持ちが重くなり、校長先生の話がつづく限り体もこじんまりとしていく。最後には、その日全てのことがどうでもよくなってしまう。
それでも、父がこの機会を重要視していることはわかる。家族のため、フィリップ家の名のため、そして私自身のためにも、ここで無礼を働かないよう気をつけなければならない。そう自分に言い聞かせて、屋敷の大広間に足を踏み入れた。
広間に入ると、すぐに目に入ったのが、王子――ルカスだった。彼はまるで絵本から飛び出してきた王子のようで、何もかもが完璧だった。
整った顔立ち、堂々とした立ち居振る舞い、そしてその目にはまるで世界が彼を中心に回っているかのような輝きが宿っていた。
流石、人気投票第一位。作者が一番考え抜いたデザインと言っていただけある。
その存在感に圧倒されながら、私は何度も自分に言い聞かせた。
この王子もただの人にすぎない、と。けれど、そんな言葉ではどうにも心が納得しなかった。
ふと、王子が私の方に視線を向けた。その瞬間、胸が一瞬だけ高鳴った。なぜだろう、ただ目が合っただけでこんなにも動揺するなんて。私は思わず視線を逸らし、軽く頭を下げながら挨拶をした。
「フィリップ家のレミア・フィリップですわ。初めまして、王子」
どこか硬く、少しぎこちない声で言った自分に少し驚きながらも、王子の返事を待った。少しの間、王子は私を見つめ、やがて穏やかな微笑みを浮かべて口を開いた。
「フィリップ家のレミア殿、お会いできて光栄だ。ですが、初めてではないでしょう?」
その言葉に、私は心臓が跳ねるのを感じた。王子が私にそんな風に言ってくれることが、私にとっては大きな意味を持っていた。いや、少なくとも、私が思っていた以上に嬉しい気持ちが胸を満たしていた。でも、その喜びをどう表現すべきかはわからなかった。無意識に口元が緩み、自然に微笑んでしまう。
「失礼いたしました。ずいぶんと前のことでしたので私のことなど…覚えてらっしゃらないと…憶えてくださったこと…光栄ですわ。」
私は思わず、無理にでも平静を装おうとしてその言葉を続けた。私の中にレミアの記憶が残っていて助かった。それでも、内心ではどうしていいのか分からない気持ちが渦巻いている。
王子の視線が、私の中に静かに、しかし強く影響を与えているような気がしてならなかった。
会話が進むにつれて、私は意識的に気を付けながらも、無意識に笑顔を作り続けていた。王子は私が話すことに興味を示し、しばしば頷きながら聞いてくれる。その優しさが私をますます引き寄せていったが、私はそれがどうしてなのかを深く考えようとしなかった。
「ガウェイン殿より貴方は剣技を学んでいると伺った。女性でありながら何故そのようなことを?」
王子、ルカス・アヴェリアス殿下の声が、柔らかいながらも鋭く私の耳に届いた。午後の陽射しが広間に差し込み、王子の金色の髪に反射して輝いている。彼の青い瞳がじっとこちらを見据え、答えを待っていた。
私は一瞬、驚きと戸惑いで言葉を失った。しかし次の瞬間には、胸の内から小さな炎が湧き上がるのを感じた。この話題なら、何時間でも語れる気がする。
「殿下、それは――剣技がいかに素晴らしいものかを知っているからです。」
声が少し高揚しているのを自覚しながらも、私は言葉を続けた。
「まず、剣技はただの戦闘の技術ではありません。それは、自分自身を制御し、困難に立ち向かう力を与えてくれるものです。私がただ守られるだけの存在ではなく、自分で自分を守れる者になりたいと思ったのです。」
言いながら、私は手のひらをぎゅっと握りしめた。
「それに――」少し声を落として、私は続けた。
「剣技を学ぶことは、貴族である私たちにとっても必要だと思うのです。」
王子の目が興味深げに光るのが分かった。彼は何も言わず、私の言葉を待っている。
「私たちは、民を守る責務があります。それは、剣を取るという直接的な行為だけではなく、民の苦しみや恐れを知り、共に歩む心を持つということです。でも、そのためには傲慢になってはいけない。剣技を学ぶことで、私は自分の限界や恐怖、そして他者への思いやりを学んでいます。それが、貴族としてあるべき姿ではないでしょうか?」
言葉を紡ぎながら、私は自分でも少し熱くなっているのを感じた。胸の中の炎がさらに大きくなり、まるで剣を振るう時のような高揚感があった。
王子は一瞬、私の顔をじっと見つめた。次に、口元に微かな笑みを浮かべた。「なるほど――面白い考えだ。そして、少し驚いた。貴方のような方が、そんな深い考えを持っているとは。」
「驚き、ですか?」私は眉を少し上げた。
「ええ。」
王子はそう答えると、穏やかに笑った。その笑みが、少しだけ彼の気難しそうな印象を和らげたように見えた。
王子の言葉に少し照れを感じながらも、私は内心で別の記憶を思い出していた。それは、この世界に来る前――「御園沙織」としての人生だ。
剣技に熱中している自分は、この世界の「レミア・フィリップ」としてのものではなく、日本で剣道を学んでいた沙織の経験から来ている。竹刀を握り、袴を纏い、道場の冷たい空気の中で稽古をした日々。剣を通じて学んだ心の在り方は、この異世界でも変わらず私の中に根付いている。
「剣技は――ただの武術ではないんです。」私はもう一度口を開いた。「それは、自分自身を見つめる鏡であり、心を鍛える道でもあります。」
「それほどまでに剣に情熱を持つとは。」
王子は感心したように頷いた。
「フィリップ家の令嬢である貴方が、ここまで自分の道を見つけているとは思わなかった。」
その言葉に、私は少し肩の力を抜いた。自分の思いが伝わったのかもしれない――そんな小さな満足感が胸に広がった。
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その後、王子との会話は穏やかに続いた。彼の表情には、ほんの少しの敬意と興味が宿っているように感じられた。もしかすると、これが私の新しい一歩になるのかもしれない。沙織の記憶と、この世界の私自身が重なる瞬間に、何かが変わるような予感がしていた。
王子と謁見が終わった後、ガウェインが交代で現れて私は自室へと戻った。
「ひぃ…疲れた。顔良すぎだろあの王子…」
心の中でその日の出来事を反芻していた。王子が私に対して示した優しさや、会話の中で感じた温かさ。それらは、私にとって新しい発見だった。
確か、ゲーム上では腹黒系で売ってはずなのに…。
私はただ、王子との会話が楽しかったという単純な事実だけを受け入れていた。
でも、どうして私はそんなにも彼との会話を心地よく感じたのだろう? 不安と興奮が入り混じったような感覚が、私を包んでいた。
その時、私は自分が何に引き寄せられているのかをまだ理解していなかった。王子が私に興味を持っていること、私が自然に彼に惹かれていること――その両方が、私にはよくわからなかった。ただ、心の奥で「また会いたい」という気持ちが湧き上がるのを感じながら、私はゆっくりと眠りに落ちた。
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レミアとの謁見が終わり、広間を出たルカスは、隣で歩くガウェイン・フィリップに目を向けた。先ほどのやり取りが脳裏をよぎり、口元に笑みが浮かんでしまう。
「何を笑っている?」
隣のガウェインが怪訝そうに問いかける。彼の声には、少しばかりの警戒心が混じっていた。
「いや、君の妹は本当に面白いなと思っただけだ。」
ルカスは率直に答えた。その言葉に、ガウェインの眉が一瞬跳ね上がる。
「やらんぞ。」
彼はそう言うと、少し肩をいからせてみせた。ルカスはそれを見て笑みを深める。
「安心しろ、そんな話をしているわけじゃない。」
そう返しながらも、ルカスの心の中には、妹のことを守ろうとする兄としての彼の姿が微笑ましく映っていた。
「だが、正直驚いたよ。」
ルカスは言葉を続けた。
「以前会った時のレミア嬢は、傲慢で無邪気で、失礼極まりない子供だった。それが今日、あれほどまでに自分の考えを持ち、理路整然と話すようになるとはな。」
レミアと初めて会ったのは3年ほど前、彼女が8歳の頃だった。その時の彼女は、子供らしい悪戯心と自己中心的な振る舞いで、ルカスを何度も苛立たせたものだ。ガウェインが必死にフォローしていた姿も、当時の記憶の中で鮮やかに残っている。
だが今日、向かいに座っていたのは、まるで別人のような少女だった。
「人はあそこまで変わるものなのか?」
ルカスは、半ば自問自答するように呟いた。
「だろう?」
ガウェインは鼻を鳴らしながら、自分の妹を褒められたことに満足げな表情を浮かべた。
「レミアは本当にいい子だよ。まあ、少し前までは心配で仕方なかったけどな。」
ルカスはその言葉に興味を引かれる。
「心配?どうしてだ?」
「なんというか、怪我をしたあたりから性格が一変してさ。最初は無理しているんじゃないかと疑ったくらいだ。でも、今の彼女を見ていると、ただ成長しただけだって分かるよ。」
ガウェインの声には妹を想う兄としての愛情があり、ルカスはその様子にまた笑みを浮かべた。
「君は本当にいい兄だな。」
「まあな。」
「つくづく、私も妹がいたらなと思うよ。」
ガウェインは少し誇らしげに胸を張る。
「でも、君がそう言われるとはな。」
「そうだな。」
ルカスは微かに笑い、ガウェインの言葉を受け流した。それでも、彼の心には、どこか羨ましさのような感情が芽生えていた。彼にも兄弟はいるが妹いない。
兄は2人いるが、継承権という枷であまり親しくはない。
だからこそ、この兄妹の関係が新鮮で、興味深かったのだ。
2人は広間の廊下を抜け、客間へと向かう。その道中、次第に形式ばった空気は薄れていき、まるで悪友同士のような雰囲気に変わっていった。
「それにしても、今日のお前は妙に真面目だったな。」
ガウェインが軽口を叩く。
「相手が君の妹では仕方がないだろう。」
ルカスは肩をすくめて見せた。
「それに、真面目な場ではきちんと振る舞うのが王族の務めだ。」
「そういうところだよ。お前の堅物さが、いつまで経っても治らない原因は。」
ガウェインはからかうように言い放つと、ルカスに軽く肘で突っついた。
「堅物だと?君の妹に対して失礼がないように気を使っただけだ。」
ルカスは少し真剣な調子で答えたが、その表情には微かな笑みが残っていた。
「……ちなみに謁見の間にいた眼鏡をかけたメイドの胸は何カップだと思う?」
「堅物なくせにムッツリなのもいかがなものか?ちなみに俺の推測ではHカップだせ?兄弟。」
この2人の関係は、互いに遠慮なく言葉を交わし合えるものだった。王子であるルカスと、北方を守護する貴族の嫡男であるガウェイン。立場こそ違えど、彼らの間には肩肘張らない友情が存在している。
今日の謁見もまた、2人の関係に新たな一幕を加える出来事となったのだ。
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