逃げれば勝ち

深夜翔

世界のあり方

逃げれば勝ち

「ちょちょちょっと待ってよ!!!」

「うるさい足を止めるなバカ息子がっ」


 彼らは今、広々とした草原を駆けていた。

 大の大人である髭の濃い強面な男が、土埃を上げて平原を猛ダッシュ。少年アヴィはその父親の情けなく大きい背中を追いかけて走る。

「なんでこんな道通らないと行けないの?!」

「お父さんに聞くんじゃないっ。既に数分前の自分を呪っているところだ!」

 アヴィの背中には子ども用の小さな籠。

 さしずめ、森に食料を取りにでも来ていたのだろう。

「くっ、追いつかれるか……?仕方ない。遠回りになるが、罠をしかけたルートを通るぞ!」

「わ、分かった!」

 罠ルートとは、モンスター相手に逃げるための時間稼ぎを目的とした罠道のこと。

 仕掛けたのは本人ではあるが、罠の発動やタイミングも同じく自らの手で行う必要があるため、下手をすると自分自身が罠にかかり盛大なタイムロスを引き起こす、非常にハイリスクな逃走手段。

「確か……、仕掛けたのは落とし穴と柵だったよね」

「場所も覚えているな?俺は先に行くから、上手くやれよ!」

「ちょっ、えっ?!丸投げ?!手伝ってくれても……」

「俺は逃げることに命かけてんだ!!」

「僕のことも少しは気にして?!」

 引き止める暇もない。手を伸ばしたときには既に父親の姿が遥か遠くに見えていた。

「…………まずい。来た」

 砂埃を立てて、モンスターの集団が迫る。


 果たして彼らを追いかけていたのは……

――ぷよぷよと草の上を跳ねる、可愛らしい水色のスライムだった。



「もう少しで村の入口だ!!」

「お父さん早いって」

 無事に罠を使って足止めに成功したアヴィ。

 急いで父親の後を追う。足止め用の罠である以上、それは時間稼ぎにしかならない。

 髭面強面の男が顔を真っ青にして逃げる姿はさぞ滑稽。その必死さだけは充分に伝わる。

「よしっ、着いた……。あとは」

 一目散に村の入口を潜った父親に習い、アヴィも振り返ることなく入口を通過した。

「後はお母さんに任せろ!!」

「…………お父さん、それでいいの?」

 村の入口で待ち構えていたのは、大きなフライパンを片手にどっしりと構えた女性――彼らの母親。

「全く、10秒の遅刻だよ」

「ふん。俺はいつも通りだ」

「えぇっ?!ちょっかいかけたのはお父さんなのに……」

 すべての責任を息子に押し付けんとする父親。アヴィのツッコミと、母親からのフライパンの打撃が父親を襲ったのだった。



――世の中にはこんな言葉がある。

『逃げるが勝ち』

 それはこの世界の真理であり、この世界で生きる人々の揺らぐことの無い信念でもあった。


「相変わらずどんくさいねアヴィ。そんなんじゃいつまでたっても一人前の"逃走者"にはなれないよ」

「お、お母さんは"防衛者"だから分かんないんだよ……。まさかあの森でモンスターに合うなんて思わなかったから」


――『防衛者』

モンスターに対抗すべく、一般人よりも強い力を与えられた人類の総称。モンスターに抗う術を持っているが、生まれた土地から一定範囲にしか動くことが出来ない。


――『逃走者』: この世界の大半を占めるほぼ一般人。防衛者とは違い世界中何処へでも歩いて行ける。しかし、あまりに軟弱。モンスター相手に逃げる以外の選択肢はない。


 汗だくなアヴィは、追ってきたスライム達を追い払った母親に呆れられていた。

 父親はと言えば、とっくに自宅へ退散している。

「今日の成果は?」

「えっとね、薪に使えそうな木の枝と、木の実」

「へぇ、思ったより収穫はあったようだね」

「お父さんがスライムの生息地に入らなければもっと取れたんだよ!!」

「はははっ。お父さんは特別運が悪いからね」

「逃げ足だけは早いんだから」

 呆れたり、文句を言ったり、笑ったり。

 けれど、決して哀れんだりはしない。それが、逃走者がこの世界で定められた運命だから。


『逃げることは間違いじゃない。己の知恵と勇気を以てそれらから逃げ切ったのならば、それは己の勝ちである』


 アヴィは、初めて村の外へ出た時のことを思い出す。あの時もモンスターに襲われた。そして、アヴィを抱えて必死に村まで逃げ帰った父親がそう言ったのだ。

 至極真面目で、必死で、真剣な眼で。

 正直、かっこよかった。あぁ、守るべきものを守るための勇気とは、これの事なんだなと。

 モンスターから逃げる父親の姿が、やけに頼もしく見えた。

 あれからというもの、毎日のように村を出ては父親の手伝いをし、背中を見て学んできた。

 情けないとは思わない。むしろ……

「さぁさぁ。そろそろ夕飯作らないとね。アヴィも手洗ってきな」

「はーい」

 むしろ、まだまだ学ぶべきことは多い。一人前になるために、一先ず今日は、よく食べて寝る事にする。


ーーーーーーーーーーーーーーーー


「ちっ……くしょうっ」

 とある洞窟で汗だくになりながら走る少年がいた。背中の籠には大量の鉱石。手には松明、腰にはツルハシを引っさげて。狭く入り組んだ洞窟を、少年は駆け抜ける。

「奥まで入りすぎた。無謀と勇気を履き違えちゃいけないって、あれほど教わったのに」

 ただでさえ狭く足場の悪い洞窟は、微妙に奥へと傾き、ところどころ頭上から水滴が落ちて湿っている。足元に最大限注意しながらでは、全力ダッシュは無理。

「イタゾッ。マテ!」

「タオス。ニンゲン」

 洞窟内に響くカタコトの言葉は、少年を追いかけるモンスターのもの。この洞窟を住処としているゴブリン集団だ。

「こんな奥深くに集落があるなんて思ってなかったんだよー!」

 少年は自分の記憶を頼りに、来た道を引き返す。しかし、荷物を持った成人済みの少年に対して、ゴブリンの身長はせいぜい1メートル前後。

 さらに普段は穏やかな平原を走るだけの少年と比べ、追手のゴブリンたちは洞窟に慣れている。

 少年と彼らの距離は縮まるばかり。

 振り返らずに進み続けると、洞窟が二手に別れた通路へとぶつかる。その道の片方に、赤いばつ印が描かれていた。

「あった。来る時につけた目印。この先にがある」

 その少年――成長したアヴィは、一瞬笑ってから狭い入口の奥へと進んで行った。


 真っ暗な洞窟を松明一本は不安が大きい。どこに何があるか、自分がそこまで近づかなければ、何があるか分からないのだから。

 逃走者アヴィは、そんな洞窟を確かな記憶を持って前へと進む。辺りの景色を詳細に記憶し、逃げることを前提にマッピングした情報を逃げながらも正確に思い出す。

「コッチカラオトガスル」

「イケ!イケ!」

 背後の声がかなり近い。ゴブリンの追手がもうすぐそこまで迫っている。

「確かここら辺に……」

 逃げるアヴィは、慌てる様子もなく洞窟の壁を照らしながら何かを探していた。

 それは父親の背中を必死に追っていた小さい頃とはまるで違う。の顔だ。

「ここだ!このロープに火をつけて」

 彼が探し求めていたのは、壁に打ち付けた杭に巻かれた一本のロープ。その先は洞窟の天井へと伸びていて、天井には木の枝が巻かれた柵が見える。

 アヴィはそのロープに迷いなく火をつけてその場から遠ざかる。ジリジリとロープを燃やしていく火は、アヴィが少し奥へと進んだところで焼き切れた。

「ナニカモエテル」

「ウエダ!」

 火の明るさに気を取られた追手のゴブリンは、頭上から落下する木の柵を見事に避けた。ただし、後方へと回避する形で。

「ググ、コレジャススメナイ」

「ジョウブ!ジョウブ!」

「ダレカモヤセ!」

 ただの木の枝の集まりでも、知恵と工夫を要すれば立派なバリケードへと変貌する。アヴィはそれをこの洞窟で実践したのだ。

 落とすタイミングも完璧。洞窟の狭さと己の技術を利用した罠である。

「ふぅ。これで少しは時間が稼げるはずだ」


 ゴブリンの声が聞こえなくなったことを進みながら感じ取り、少しの間の平穏を手に入れた。油断大敵、この先も同じように行くとは限らない。どこか別の場所から敵がやって来ないとも限らな……

「ピキィッ!!」

「キィーーーーッ」

 頭上から甲高い悲鳴のような鳴き声。

 アヴィはいつの間にか広い空間に辿り着いていたようで、松明の明かりだけでは天井まで照らしきれていない。

 ゴブリンを撒いた直後の安心。それが油断だった。

「しまった。ここはケーブバットの縄張りだ……!」

 入ってきた時はいち早く彼らの存在に気がついていたため、物音を立てないよう慎重に移動していた。洞窟内の生き物は基本的に音に過剰に反応する。

 特にこのコウモリたちは、視力が低い代わりに聴覚と空気の振動に敏感なのだ。

「あーもうっ。僕のバカ」

 帰りも注意するよう、この空間の入口付近に目印を残しておいたというのに、背後ばかり気にしていて目印の存在を忘れていた。

 足音を立てて入ってきたアヴィにコウモリが襲いかかる。大した攻撃力は持っていないが、それはアヴィも同じ。ここで時間を取られていると、ゴブリンたちに追いつかれてしまう。

「せめてもう少しあっちまで」

 用意周到アヴィ。こうなることも想定して、この空間にも罠を設置済みのようだ。

「出口まで……頑張れ僕っ」

 わらわらと群がるコウモリを無視し、移動速度が低下しながらも、記憶を頼りに罠の元までたどり着く。

 紐と杭で先程と同じく何かを吊るしている装置。その先には浅い竹製バスケットと大量の木の実。ピンク色で丸いそれらは『ハジケの実』と呼ばれる、衝撃を与えると大きな音を立てて爆発する特殊な木の実だ。

「ちょっと時間取られちゃった……なっ!」

 勢いよく引いた紐がバスケットの片側を持ち上げ、その入れ物を逆さにする。中に入っていた木の実は、重力にしたがって地面へと落下――


パンッパパンッ


 洞窟内で乾いた破裂音が響く。

 より大きな音に反応したコウモリたちは、いっせいにそちらへと群がり始める。その隙にアヴィは目前の出口へと駆け出した。

 短いようで長かった洞窟内の時間は、外の光が眩しく感じるほどに濃い体験だった。

 ここはアヴィの住む村の平原を抜けた先にある森の中。

「これだけたくさんこの鉱石があれば、罠も、武器だって、もっとたくさん作れるはずだ」

 籠の中で光る鉱石の重さを感じながら、満足そうに村への逃げ道を走り出すのだった。


ーーーーーーーーーーーーーーーー


「お、お母さん……?」

「しーっ!今寝たばかりだ。起こすんじゃない」

 アヴィの前には、布団の上で横たわる母親の姿があった。

「流行病なんて、お医者さんは?」

「診てもらった。治療薬もあるらしい」

 苦い顔で話す父親に、アヴィは何があったのかと問う。母親が赤い顔をして苦しんでいるのを前に気持ちが焦っていた。

「治療薬はある。が、それを作るための素材が無い」

「そん、な……。一体どんなものを」

「――森の丸薬」

「それって!」

 父親の一言に顔を青くするアヴィ。彼らは森の丸薬が知っているのである。

「ここから東、遠く離れたエルフの森。この村でそこにたどり着いた逃走者はいない」

 かつて、エルフの森へ向かった逃走者は数知れず。

 その誰一人として、村へと帰還した者はいない。

「で、でもっ……。でも、流行病はもう村全体に広まってる!このまま放置してたら」

 いずれ滅びる。と、そこまで口にはできない。

 無意識に父親へ助けて欲しい視線を向けるが、返ってくるのは無言で首を振る父親の悲しい表情だけ。

「――なら、僕が行く」

「お前っ」

「分かってる!無謀と勇気は違う。けど、僕達はいつだって諦めなかった!!逃走者は戦うことが出来ない……。でも、誰一人!絶対に逃げるんだって。なら、僕らはまだ諦めちゃいけない」

「……っ」

 アヴィの目には確かな光が宿る。父親が止めるのを躊躇うほどに。

「大丈夫。これまでだってたくさん逃げてきた。絶対に薬を持って戻ってくるよ」

「…………。分かった」

 父親は間を置いて小さく頷いた。

 アヴィの意志に、やる気に、――希望に、かけてみようと。

「ただし、約束だ。無理だと思ったらすぐさま引き返してこい。どれだけ大きな成果をあげようと、お前が戻らなければ無意味に等しい。……母さんも悲しむ」

「うん。絶対に戻ってくる」

 アヴィは、確かな意志と村人の命、そして父親の約束を背負って村を飛び出した。


 エルフの森までは、実にいくつもの難所を乗り越えて行かなければならない。特に大きな難所となるのは、村と森の中間に位置する広い荒野。

 砂漠地帯と混ざりあったその荒野は、サンドワームやポイズンサソリ、四面鳥など、攻撃的で危ないモンスターが多数生息する。

 こうした場所には近づかないに越したことはない。数倍の時間をかけて迂回する方が結果として早く辿り着く可能性もある。

「なんて、時間が無いのにゆっくりはしていられない」

 その手には生き物の肉と麻痺草。さらに、持ってきた荷物の中にはロープや木の板、etc...。罠を作るのに使用する素材が詰まっている。

 普段は逃げるための罠として使うそれら素材たち。しかし、今回は"その場を通り抜ける"ために使う。何もトラップとは、足止めをするために使うだけのものではない。敵の気を引き、安全な道を作り出すことが出来るのも、罠を利用する理由となる。

「距離的には一日で抜けれるはず……。行こう」


「って言っても、そう上手くはいかないよねぇーっ」

 荒野へ足を踏み入れてから数時間。

 アヴィは大量のサンドワームたちに追われていた。

「サソリは砂のある所にしか生息しないから、砂場を避ければいい。四面鳥は、肉が好物。麻痺草を混ぜた肉を撒いてその場を凌げた。……けど」

 振り返ると、硬い岩場の表面を削るようにして追ってくるワームたちの姿が目に入る。

 サンド(砂)とは一体……?

 岩すら削れる強靭な体は、生半可な罠では通用しないことを物語っている。罠が巨大な口に飲み込まれて行く様子が手に取るように分かる。

「はぁ、はぁ。これはあんまり使いたくないんだけど」

 不安定な岩場を走りながら、アヴィはリュックのサイドポケットから一つの球体を取り出す。

「これを……、投げるっ!」

 綺麗な投擲技術で弧を描き、追手のワーム前に着弾。


 キーーーーーーーーンッッッ


 耳を塞いでいなければ、アヴィの鼓膜は亡きものになっていただろう。世界から音が消えたと錯覚するほど大きな音が響く。

「ギヤァァァァァァッッ」

 ワームの苦しそうな叫び声が消えた音を取り戻す。

 地面から飛び上がり岩の上をピチピチと体を揺らして悶えていた。

「ワーム系のモンスターは視覚が存在しない。代わりに異常に発達した触覚と聴覚で、獲物の位置を把握する……って、何かで読んだことあって良かった。音爆弾みたいな大きすぎる音は天敵なんだよね」

 額から落ちる汗を拭い、モンスターからの襲撃を回避し続け、一切の怪我をすることなくここまで辿り着けていた。

 それは、今まで逃げてきた数と、積み上げてきた努力、そして欠かさず取り入れた知識によるものだ。今の彼をただの逃走者だと笑う者はいないだろう。

「よしっ。先を急ごう」

 気合を入れなおし、エルフの森までは後少しだ。


 エルフの森。

 正式名称を原生樹の森林。

 自然を好むエルフの種族が生活圏としている、様々な植物や生物が住む森。比較的温厚で草食系の生き物が多いが、中には猛毒を持つ攻撃的なモンスターもいる。――らしい。

 アヴィの知識通り、ここまで辿り着いた逃走者はおらず、その情報は限りなく少ない。

「……エルフの森。どの植物も大きいなぁ。この中から森の丸薬を見つけないといけないんだよね」

 村で医者から貰った絵と照らし合わせながら、慎重に目当ての植物を探す。

 油断せず、森の奥へ移動す度に目印と罠を仕掛ける。

(森の中だから火は使えない。生態系を壊さないために、残ると危険な罠とか、死に至るモノはできるだけ置かない)

 自力で抜け出せる落とし穴、細い通路を封鎖する柵、音を立てるハジケの実。

 利用できるものは最大限利用し、命は大切に。

 自分も、他の生命も。アヴィはその価値を知っている。知っているから、逃げられる。

 一歩ずつ確実に森の奥へ進んで行った。

――そうして数時間が経ち。

「今日はここで野宿……かな」

 何も住んでいない洞穴を見つけ、森の散策を一時中断した。

「やっぱりそう上手くはいかないよね。急ぎたい気持ちは山々だけど、絶対に戻るって約束したし」

 アヴィは手馴れた手つきで焚き火に火をつけ、森で採った木の実を焼く。その間に罠やアイテムの制作や確認をして、一日を終える。

「ふぁぁぁ…………」

 長い移動と集中で疲労が溜まっていたアヴィは、随分と簡単に眠りについた。入口には罠を設置済み。眠れる時に眠る。


「そこにいるのは誰?!」

「うっ……ふぁぁ。………………うわっ」

 翌朝。

 アヴィは聞き覚えのない声と弓矢の威嚇で目が覚めた。良い目覚めではなかったが、死んでいないだけ儲けものかもと割り切る。

「ちょ、ちょっと待って」

「エルフ……じゃない。名を名乗って」

 威圧的な態度に、使い慣れた武器。

 入口の光で表情は分からないが、明らかな警戒の意志を持っていることだけは伝わってくる。

「僕はアヴィです!」

「人間?」

「はい」

「何用?」

「薬の材料を取りに」

 淡々と質問が投げかけられ、アヴィは最小限の回答を投げ返す。敵ではないと伝え、武器を収めてもらうため。逃走者であるアヴィには、対抗出来る手段がないのだから。

「薬…………なんのために」

「お母さん、村の人の病気を治すためです」

「ふーん」

 その女性らしき声は、何か考える素振りを見せたあと、洞穴の中へと入ってくる。

「ところで、これはなに?」

「わ、罠です」

「罠?」

「はい。寝てた……ので」

「その割には随分と簡素ね。これじゃ数分で抜け出せちゃうわ」

「時間稼ぎを目的にしているだけなので、殺さないように……」

「へー…………。あなた、逃走者?」

「そ、そうです」

 どこかアヴィを見定めているような視線。

 エルフ特有の金色の髪、青い瞳、背中には整った弓を背負い、腰には矢筒を持っている彼女は偵察者と言ったところだ。

 人間とは違い種族全体の身体能力が高く、特別な役割がない分、個々の戦力が高い。代わりに自由気ままであまり集団で行動しないと聞く。

「あなたが欲しいのはこれのことかしら」

「それは?」

「私たちの集落に伝わる万能薬よ。外では"森の丸薬"なんて呼ばれているらしいけれど」

「っ!!それを譲ってください!お願いしますっ!」

 その名前を聞いた瞬間に、アヴィは頭を地面に擦り付けて願った。探し求めていたものが、今目の前にある。母親を助けたいという心が、アヴィの体を動かしていた。

「ちょ、ちょっと辞めて!私はただあなたと取引がしたいだけよ。受けてくれるなら、この薬は渡すわよ」

 急な土下座に懇願までされ、エルフの女性は慌ててに提案をした。口調が違うのはこちらが素なのか。

「取引……?僕とですか」

「ええそうよ。この森では今、"集団暴走スタンピード"っていう、モンスターの暴走が起きているの。村に被害が出ないよう結界を準備してはいるのだけど、何せ急な出来事のせいで対応が遅れているわ。そこで、あなたの逃走者としての腕を買って、時間稼ぎをお願いできないかしら」

「ぼ、僕が……ですか?ただの逃走者ですけど」

「人間の逃走者は罠を作るのが上手だと聞いているわ。実際、そこの入口にあった罠はとても精巧だった」

 褒められるとは思っていなかったのか、アヴィは少しだけ驚く。しかし、それどころでは無い。

「……こ、殺せるものは作れないです」

「だからよ。モンスターの暴走とはいえ、あれは彼らの意志とは無関係のもの。時間が経てば元に戻る。その時、無差別に殺して森の生態系を崩す訳にはいかないもの」

「それなら、わかりました。やってみますね!」

 出会いも、探し物も、提案も。アヴィにとって突然の出来事。朝から随分と情報量の多い事態に巻き込まれたものである。


ーーーーーーーーーーーーーーーー


「ここが私たちの集落よ。みんなに紹介する暇はないけど、事情は説明しておくわ。モンスターの集団は北の方角から来る。私は一度中央の村長の元へ戻るから、後で合流しましょ」

「ここから北……。了解です」

 集落の入口へ案内されたアヴィは、彼女の言われるがままに集落の北へと向かった。

 集落は丸太の柵で囲われていて、巨大な木々を利用して地面より高い位置に家が建っている。外から集落の中の様子までは見ることができないが、何となく緊迫した空気が伝わってくる。

「急ごう」


 足早に目的地へ着いたアヴィ。

 早速持ってきた罠の材料を使って集落への入口正面に罠を設置していく。

「落とし穴は、後方に戻るように出口を用意して……。どんなモンスターが来るか分からないし、麻痺草と肉は置いておこう。後は紐で反応する柵と木の枝で作った檻を」

 経った数十分で一人で作業したとは思えない量の罠の設置が完了する。遅くなったエルフの彼女が戻ってきた時には、罠の設置はあらかた完了していたのだった。

「あなた……、予想よりも遥かにやるわね。見直したわ」

 しかし驚く暇もない。

 設置が終わった数分後には、ここにいても分かる大きな地響きが森の木々を揺らし始めた。

「えっと……、お姉さんにもこれを渡しておきますね」

 もうすぐで防衛が開始される。その前にと、アヴィは己で使うアイテムの半分を渡した。

 ハジケの実、音爆弾、閃光弾。

 殺さず敵を無力化できるアイテム。防衛では、逃走と違い大きな時間稼ぎにはならないかもしれないが――


「自分の命を守るため、使ってください」


 使い方は各自の判断に任せると。万が一の可能性すらも視野にいれたアヴィの気遣い。直接触れることができる、彼なりの心配の現れだった。

「来ましたっ」

 そうこうしているうちに、暴走モンスターは肉眼で視認できる距離にまで近づいていた。

 イノシシや猿に似た動物型のモンスターだけなく、どこかの遺跡から這い出てきたような機械兵まで混ざっている。

 背中の羽から謎の力で浮いているそれは、明らかに殺意の籠った兵器だ。

「…………罠、大丈夫かな」

「来るわよっ!」

 今更になって不安になってきたアヴィを置いて、エルフ集落の防衛が始まった。



「くっ、やっぱり多勢に無勢ね。特にあの機械兵が厄介だわ」

「閃光弾が効いてはいるみたいですけど……、その他の罠は全く効いてませんね」

 防衛を初めて30分程度が経過した。

 動物型のモンスターは、アヴィの設置した罠で足止めは充分。が、空を飛ぶ機械兵にはほとんど効果がない。

 既に何体かは接近を許してしまっている。今は閃光弾で怯んでいるが、これ以上は集落の防壁にダメージが出てしまう。

「やっぱり……、直接攻撃するしかないのね」

「危ないですよっ。あの腕の攻撃、かなりの威力です。当たったら一溜りも……」

「でもやるしかない。まだ結界の準備も完了していないし――」

 己の犠牲で時間が稼げるなら、そう決意して飛び出し……


「今だ!放てぇ!!!」


 背後の防壁の上から無数の矢が降り注ぎ、固い機械兵の装甲に穴を開けていく。

「お、お師匠様!!みんなっ!」

 彼女が振り向くと、そこにはたくさんの仲間のエルフの姿。全員が武装し、統率の取れた指揮の元、弓での攻撃を行う。

「遅くなったなミナ。近づいてきたモンスター共は我らに任せろ!」

「はいっ!」

 

 彼ら増援の参戦からは早かった。

 機械兵たちは矢の雨によって即座に無力化され、動物たちは罠で防壁まで辿り着くことはなかった。

 防衛が安定してきたところで、結界の構築が完了し、同時に集団暴走の影響を受けていたモンスターたちが正気を取り戻したのだった。


 アヴィはというと。残った罠の回収・撤去をして、一件落着……

「って、あなた、急いでるのでは?」

「あっ、そうです!集中していたので……」

「全く、そんなんで村まで帰れますの?」

「罠の素材は少し残ってますし、絶対に帰ると約束しましたので」

「……そうですのね」

 エルフの彼女――ミナは、何やら物言いたげにモジモジとしている。アヴィの方も察しが悪く、首を傾げて黙っている。

「ほら、ミナ。人間さん困ってるよ?なんなら私が言っても」

「ダメよ!こ、コホンッ。まず、これが取引の薬よ。これだけあればあなたの村の人は助けられるはずよ」

「わっ!こんなに……。ありがとうございます!!」

 大量の薬の元が入った袋を受け取る。

 目的のものが手に入り、アヴィは心から嬉しそうにお礼を言った。

「そ、それと……。帰りのことなのだけど」

「はい。場所は分かってますし、頑張ってかえり――」

「わ、私も一緒に行ったげるわ!1人じゃし、心配だから!」

「えっ?!そんな、悪いですよ」

「私がいいと言ったらいいの!」

「わ、分かりました……。よろしくお願いします!」


 こうして、アヴィの冒険は幕を閉じる。

 村への道中と、その後の話は、今はまだ語られない。

 しかし、村人や彼の母親は今日も元気に笑顔で過ごしている。

 村の笑顔と約束を守ったアヴィは、今もどこかで、勝利のために逃げているのだ――

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逃げれば勝ち 深夜翔 @SinyaSho

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