シンキロウニトケル

水神鈴衣菜

きみはともだち

「ふふ」

 突然、私の隣から上機嫌なハミングが聞こえた。

「どうしたの? 急に笑ったりして」

「ううん、なんでもない。こうやって二人で帰るのって久々だから」

「そうだっけ、そんな感じしないなあ」

「まあ、久々じゃなくてもいつも嬉しいけどね」

 透き通る彼女の微笑みは、そのまま夏に溶けてしまいそうなほど儚く思える。ああ、可愛い。だるような暑さに嫌気が差すけれど、隣に彼女がいれば、私はそれだけでなんでもいい。

「……ねえ、ずっと友達?」

「え、急になによ」

「いいから」

「……もちろん。君は友達だよ」

「そっか、ありがとう」

 なんの脈絡もない会話に、薄気味悪さを感じた。彼女、いつもとなんだか違う。でも、何が違うとも分からない。意味のない不安、焦燥に駆られる。

 通学路は踏切へ差し掛かった。遮断機は降りている。私は暑さを振り切ろうとふう、と息をついて立ち止まる。けれど隣の気配は、止まらなかった。

「ちょっと」

 カンカンと警報音が、真っ青な空、私の頭、地面を這って、様々に響き渡る。蝉時雨の合間に無機質な音が混じり合う。彼女は、何をしている? は、と息が零れた。

 背を向けていた彼女はこちらを見た。その表情は、晴れやかだ。

「  」

 近づいた電車の音で、彼女の言葉を聞き取れなかった。けれど唇はしっかりと、私に彼女の思考を伝えた。

『許さない』


 * * *


 はっと目を開くと、自室のベージュの天井が見えた。、あの時の夢だ。冷や汗をびっしょりかいている。私は頭を掻きむしると、長いため息をついた。

 もう、彼女の死からは約五年が経とうとしているのに、こうして何度も何度も夢で、現実で、フラッシュバックして、彼女は私に存在を訴えかけてくる。忘れるな、と。

 一度も忘れたことはなかった。電車に乗るのも、線路を、遮断機を見るのも怖くてできなくなってしまった。彼女の気配の残滓ざんしが、それら全ての至る所に残っている気がしてしまうのだ。──そんな訳がないのに。

 私が彼女を死に追いやったのだ。


 ずっと彼女が好きだった。けれどその愛はいびつに歪んで、私たちの関係を、恋仲には一生なり得ないものにしてしまった。

 元はといえば、彼女が悪いのだ。──と、勝手に思って理由にしているけれど、そんなことはない。全部本当は自分が悪いことくらい、よくよく分かっている。

 ある日の彼女を見て、嫉妬の念を抱いてしまった。彼女は元々お人好しで、クラスの誰とも仲良くできるいい子だった。高校からの仲の私とも、みんなと同じように仲良くしてくれていたのだった。女子校で周りが女子ばかりという異質な状況に慣れていなかった私にとっては、それがなんたる救いの手だったか。その好意が周り全員に向いていることに気づいていたはずなのに、それが自分ひとりのものなのだと勘違いしていた。

 だから彼女を私のものにしたくて、だから彼女がみんなの敵になるように、みんなから疎まれるように仕向けたのだった。


 あれは二学期が始まった九月だった。彼女の机にはひとつの花瓶。クラスのみんなは気味悪がって、その花瓶を見ながらこそこそと話す。そうして彼女が教室に現れると、そのざわめきはすっと止んだ。

「みんなおはよう、珍しく静かだね」

 不思議そうな声が、教室の後ろから飛んでくる。誰も、それに返さない。しんと静まり返った教室に、彼女のスリッパが規則正しい音を響かせる。

「──この花瓶、誰が置いてくれたの? 誰だとしても、綺麗なお花ありがとう」

 そして再び足音がして、なにか重いものが置かれた音がした。花瓶を机上から退かしたんだろう。

 その時ホームルームの始まりを告げるチャイムが鳴った。私はその時、なにを思っていただろうか。

 今でも鮮明にあの時のことを思い出せる。まるで目の前で、その時の寸劇が悲痛に行われているように。けれど私はその観客、の気持ちなど分かるはずがない。感情だけが放り出されたようにどこかに行ってしまった。今の私としては、その方が気が楽だけれど。

 ひとりにした彼女に手を差し伸べて、多数対私たちという図にしたいという願いは、果たして叶った。それが約一年後の夏、彼女の死によって突然切られるまでは。


 * * *


 ふと、今日はお祭りがある日だったなと思い出した。そして、いつだかの約束も。

 確か約束は、彼女の自殺の数週間前になされたものだった。


「ねえ、今度お祭り行かない?」

「……なんの?」

「四年に一度しかやらないんだって。来年の夏がそのやる日だって言ってた」

「そうなんだ、すごいね」

「だから、一緒に行きたいなって」

「他の子は?」

「他の子はいいの。君と一緒がいいんだって」


 ──ああ、彼女がこんな言い方をするのも、私が自惚れるひとつの原因だったのだ。本当に、よくない。

 彼女はいないけれど、彼女との約束は果たすべきだ。そう思って、私は出かける準備をした。と言ってもパジャマから着替えて、ちょっとの荷物をショルダーバッグに詰めただけだが。

 場所はここから少々遠い。駅まで行けばシャトルバスがあるとどこかで見たので、とりあえず駅まで向かった。


 お祭りはそこそこの賑わいだった。ひとりの客はあまりいないように思われる。別にいい、隣には彼女がいる。

 私的お祭りといえばの食べ物たち(チョコバナナや焼きそば)を買って、賑わいから少し離れた場所で食べた。このお祭りはなにを祝うものなのだろうか。そんなことも知らないままここにいるなんて、怒られてしまいそうだ。そんなことを思いながら、一夜のご馳走を咀嚼する。


 * * *


 今日は彼女の命日だった。お祭りに行くという約束を果たした今の私。彼女がいないこの世界に唯一私を繋ぎ止めていた約束もなくなった今、私が生きる理由は、どこにあるだろうか。

 懐かしい風景に包まれながら、彼女と過ごした短い時間を思い出す。それらはすべてが幻想的で美しい、綺麗な箱の中にしまってあるようだった。ほの暗い部分は、その箱の外だが。

 あの嫌な記憶の発信源にたどり着く。今でも彼女が亡霊のようにそこにいるような気がしてしまう。そして変わらず、澄んだ目でこちらを見て、許さないと私の方を指さしているのだ。

「……ごめんね」

 ずっと伝えられなかった四文字を口にした。やっとできた。これだけで彼女が許してくれるとは思わないけれど、気持ち的には充分だった。

 またあの時のように、警報音が一定のリズムを刻んで無機質に響き始める。あの日のようにすっかり晴れた今日は、君に会いに行くのにちょうどいい天候だ。私は踏切の中へと進み、その最後を待った。

 最後に見えたのは、彼女が線路の上、私の横に立って、微笑んでいる姿だった。

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シンキロウニトケル 水神鈴衣菜 @riina

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