第39話 知らないだけ、みたいだから
ぷんすかとしているクイナと、チリと化した貴族、そんな彼を前にオロオロとしている執事。
そうでなくても貴族となんて関わりを持ちたくない身だというのに、一体何の地獄だこれは。
下手をしたら不敬罪とかで引っ張っていかれるかもしれない。
いやまぁもしそうなったらクイナを連れて逃げるだけだけど、そうなるともうこの街には――。
「……あんなに頑張って花作ったのに」
「花?」
最近何かと縁のある言葉に俺が思わず聞き返すと、涙目になったマーゼル様がこちらをキッと睨みつけた。
「そうだ! バラの花!! 女は花をもらうと喜ぶだろ! だから!!」
なるほど、突然迎えに来て問答無用で引っ張っていく前に贈り物をするという事は、少なからずクイナの事を考える頭はあるらしい。
が、彼はまだ知らないのだ。
「あの、とても言いにくいのですが……クイナは花より食べ物の方が興味あると思いますよ? というか、初日に置いてあるのに気づかずに足に棘が刺さってから、警戒するようになりましたし」
「え」
「何より見知らぬ相手からの大量の贈り物ほど、気味の悪い物もありません」
「そんな……」
俺の言葉に地面に両手と両膝をついてショックを露わにするマーゼル様を見るに、本当に良かれという気持ちでやったのだろうなぁと思う。
おそらく根は、そう悪い子ではないのだろう。
先日といい今回のアポなし訪問といい、少々強引すぎるきらいはあるみたいだけど。
「ま、まぁいい! 彼女は連れていく!!」
「どこに、何故」
「俺の屋敷に、嫁にするために決まってるだろ!」
「無理です」
「どうして!」
その上彼は、おそらくあまり貴族社会というものをよく分かっていない。
後ろにいる執事も進言してあげないとこの子が周りから侮られる事になると思うのだが、一体何が怖いのか、未だにオロオロとしているだけだ。
「平民の嫁をもらう事など、貴族には無理なんですよ。家格を大切にする社会ですし、そうでなくとも公爵家に何の作法教育も受けていない平民が嫁ぐなんて、周りにクイナを嘲笑わせに行くも同然です」
「そ、そんなのはこれからいくらでも!」
「たしかにクイナの年齢なら、まだ十分に間に合うでしょう」
「そうだろう!」
「しかし……クイナ」
俺の後ろに隠れながら彼を威嚇していた彼女に目を落とせば、薄紫の瞳が「何、なの?」とこちらを見上げてくる。
「クイナは礼儀作法を勉強したいと思うか?」
「さほう? よく分からないの。でもクイナは、今のままがいいの! 冒険者も天使のゆりかごも教会も街も、全部好きなの!!」
淀みも屈託もなく、彼女は言った。
「この通りなので――」
そう言って、俺はニコリと笑う。
「もしクイナに無理強いしようという事なら、こちらも容赦はできません。たとえ王城から騎士を連れてきたとしても、逃げ切るつもりでいますから」
彼がまだ子どもである事も、様々な事に経験が少ない事もある程度は仕方がない。
しかしクイナに何かを本気で強要――強制するつもりなら、俺は彼女の保護者として彼女を守ると決めている。
それが例え結果的に国を敵に回す事になったとしても、そもそも既に他国から棄てられたような身だ。
心情的には今更である。
そんな俺の覚悟を感じ取ったのか、彼はグッと言葉に詰まった。
もしかしたら彼を睨むクイナにこれ以上無理強いをして一層嫌われる事を恐れたのかもしれないし、実際に一度王城で見た俺の実力が抑止になったのかもしれない。
……もしここですぐに彼が権力を振りかざすようなら本当に街を出る事も考えるところだった。
しかし彼は悔しそうな顔をしながらも、暴言の類は一つも言わない。
それどころか打開策を探すように動く瞳に、俺の恩恵『調停者』が彼の誠意を見せてきた。
小さくため息をつく。
「そもそもですね、大して知りもしない相手を喜ばせようとか側に来てもらうように頑張る事ほど、難しいものはないんですよ」
王城時代にやっていた王太子としての仕事の時もそうだった。
まずは話し相手の事を知り、何を望むのか、何をモチベーションにする人なのかを見るところからすべては始まる。
それは仕事上のかけ引きだけではない。
この街にきて色々な人と関わる中で、みんなそれぞれ自分の生き方を持っている事を、肌で感じられたような気がしている。
だから。
「本当にどうしてもクイナへの気持ちが諦められないというなら、彼女の側で彼女が見ているものを一度一緒に見てみる事をオススメします」
もし貴族の彼が、平民の生き方の中に身を置く事ができるなら、だが。
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