第14話 重なる言葉と、手と

 ⒕


 大学一年の秋、中山のおばあちゃんが亡くなったと、連絡を受けた。

 穏やかに眠るように息を引き取ったらしい。


 私は、暇を見つけては中山を連れてあちらこちらへ出かけた。

 今日は画材屋に付き合わせた。チューブのラベルを見てうんうん悩んでいる私に、中山はもうどっちも買えよと言った。公園に移動すると、ベンチでスケッチをしながら雑談をした。


「なぁ、俺別に慰めてもらうほど落ち込んでないけど」

「落ち込んでないのに無理に落ち込もうとはしてるでしょ」

 私はその思考に思い当たる節があった。

「木下のじいちゃんのことがあってから、覚悟はしてたんだ。だから、今だったのかって、むしろ案外長生きしてくれたって、すとんと納得して。でもそれって、いい事なのか。俺が悲しまなかったら、誰が悲しんでくれるんだ。」


 当たり前の幸せが、当たり前じゃないと気付いている人と、そうでない人ではどっちが幸せなのか。


「故人を偲ぶとか、喪にふくすとか言うけどさ。それは生きてる私たちの時間を無駄にしてまですることじゃないよ。中山には生きていて欲しい」

「過去の教訓ってやつか」

「半分はそうだね」

 ふーん、と言うと、コンビニで買ったカレーパンを頬張った。


「もう半分は?」

 問われて、私はバインダーから紙を外して、はいと渡した

 今スケッチしていたのは、隣に座る人の手だった。

 つまり、そういうことなのだが。

「は?」

 そう言うと、全然分かんねぇって顔をした。

「中山、馬鹿なの?」

 私は残り少ないカレーパンを奪い取って、自分の口に入れた。


「……馬鹿なのは木下も一緒だろうが」

 そう言って中山は私の手を取った。

「絵、描けないんだけど」

「まだ描く気かよ」

「言っとくけど私はまだ正気な方だから。美大生って本当に変な人とか、変になろうとしてる人とか、正気の沙汰じゃない人多いんだよ」

 

 本当に変な人の多くは成績優秀なのである。そして変なので目立つ。そういう人を真似てか、エセ芸術は爆発だ! 人間が増殖する。

 あれは厄介だ。何よりダサい。

 私たちは公園を出ると夕焼けに染まる住宅街を歩いた。

「今日の夕日、いい色」

「今、頭の中で絵の具混ぜてるだろ。人のこと言えないな」

 それきり私たちは、何も言わずに駅まで歩いた。

 

 中山はずっと、私のことを見ていてくれたと思う。小さい頃から、近くにも遠くでもないその場所で、私のことを見守っていた。彼が特別な言葉をかけたことはなかった。言いたいことはたくさんあっただろうに、それを言わずに、ただの近所の友達然として、彼はそこにいた。

 いつだって中山は優しいやつなんだ。


 繋いだ手を強く握る。

 駅に着くと、その手は離れようとした。私はグッと自分の方に引き寄せた。

「あ、あのさ」

 中山は不意をつかれて少しよろけた。


「これからも、よろしく」


 今言いたいと思った。

 中山は体勢を立て直すと、あの頃より随分高いところから声を落とした。

「大事にする」


 私たちはいつかの中山の言葉を借りた。決定的なことは何も言わず、そのまま別れると、それぞれの電車に乗った。

 車窓を眺めて、確かに変わった関係性と、変わらない不器用さの余韻に浸った。

 最寄り駅を通り過ぎると、私は結さんの暮らすマンションへ足を踏み入れた。


「こんばんは」

「いらっしゃーい!」

 結さんはテンション高く私を出迎えた。


 静也さんと私は全く会わなくなったけれど、結さんは

「しずかちゃんと私が友達であることに兄さんは関係ないでしょ」

 と言うので、時々こうして女子会をする。

 

 二人でテキパキとご飯の支度をして、会を始めた。

「結さんって今彼氏いる?」

 彼女はキョトンとした。

「お、そんなこと聞いてくるとはしずかちゃんにもついに好きな人が現れたのか!?」

 聞いたことには答えてくれず、質問攻めにあった。


 観念して、中山とのことを話した。

「優しい人なんだね」

 ああやっぱり、誰が見ても彼は優しい人なんだ。私は誇らしい気持ちになった。

 風呂場に入ると、結さんが入浴剤を入れておいてくれたようで、ミルキーなフローラルのいい香りがした。 香りのイメージ通りに湯の色は乳白色で、肌がしっとりとした。

 

 リビングでは、結さんが、保育園で使うという画用紙の飾りを作っていた。私は空いているハサミを手に持つと、線の通りにちょきちょきと切った。

「手伝ってくれるの? 神様仏様しずか様」

「その調子の良さは相変わらずだね」

 そこがいいところだけどね。


 黄緑色の画用紙を葉の形に切る。結さんは黄色い楕円形の画用紙をギザギザに切って、タンポポの花を作っていた。

「これって何に使うの?」

「卒園の時の写真を貼る台紙」

 まだ十一月。こんな時期から準備をしているんだな。

「そんなのあるんだ。卒園式は、紙花をたくさん作るの?」

「そうだよー紙花無限地獄」

 そう言ってため息をついた。

「また呼んでよ、手伝うからさ」

 また。ごく自然に、私はそれを口にした。

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