第12話 いってきます

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 冬休みまでの二ヶ月間、静也さんはこれまでと至って変わらずに生活した。それはそれは、違和感のある普通だった。無理矢理捻じ曲げて作られた普通を、私は受け入れた。


 私から言い出したことだ。その程度の覚悟で別れを切り出してはいない。

 クリスマス当日が、私たちの共同生活最後の日となった。


 学校から帰ると、急いで料理を始めた。ミネストローネ、サラダを完成させ、ケーキ作りに取り掛かる。スポンジを焼いている間に、生クリームを泡立て、イチゴをスライスする。


 スポンジの間にクリームとスライスイチゴを挟み、周りにクリームを塗っていく。真っ白な土台にイチゴを載せていけば、ケーキの完成だ。

 あとは静也さんが買ってくるチキンがくれば、参加者二人のリスマスパーティの始まりだ。


「ただいま。甘い匂いがする」

「おかえりなさい。ケーキ焼いたばっかりだから」

「そうか」

 静也さんは手を洗って、買ってきたチキンを皿に移した。

 私はミネストローネをよそって、グラスを二つ、テーブルに置いた。飲み物は炭酸ジュース。


「メリークリスマス」

 私は陽気に言うと、静也さんのグラスにカチンとぶつけた。

「そういえば、静也さん、お酒飲まないよね。弱いの?」

「逆。強いの。酔えないから酒は飲まない」

 酒に酔うとはどんな感覚なのか。酔おうとして酔えないのはどんな気分か。私は寝ようとして眠れない日のことを想像した。


「二十になったら私、一番におじいちゃんとお酒飲む約束をしてたの。叶わなかったけれど」

「叶うさ。お墓の前で供えて、飲んだら喜ぶんじゃないか」

「お墓に死んだ人の魂は、眠ってると思う?」

「さぁ。大事なのは気持ちって言うだろ」


 私が面倒な質問をすると、面倒くさそうに静也さんは答えた。

「今、静也さんから気持ち大事にしてる感じ伝わってこないけど」

「はいはいそりゃどうもすみませんね」

 言ってる側からちゃらんぽらんな謝罪だ。

 先生をしてない静也さんは、結構いい加減になる。


「二十になった私と、二番目にお酒を飲んでくれたら許してあげなくもないですね」

 ジュースを飲もうとした手が一瞬止まった。

「許してくれんならなんでもいいよ」

 静也さんはお酒を煽るように、レモン味の炭酸を飲んだ。


 ご飯を食べ終えてケーキを切ってテーブルに出したら、静也さんからクリスマスプレゼントを渡された。

「開けてもいいですか」

「どうぞ」


 手に収まるサイズの縦長の箱に掛かったリボンを解き、蓋を開ける。そこには持ち手がオレンジ色の絵筆が数本入っていた。

「可愛い。しかもちゃんとした筆だこれ。ずっと使ってるやっすいやつと全然ちがうや。やばい。勿体なくて使えない」

「筆は無くなるもんでもないんだ。使えよ」

「大切に使います。ありがとうございます」

「汚れてた方が箔が付くだろ。だからそんなに丁重に取り扱わなくていいぞ」


 確かにそうなんだけど。可愛くて中々、汚れを気にせずに使えそうにない。けど、ガシガシ使った方が喜んでくれるのなら、努力しよう。この筆と共に成長して、これでいい絵を描こう。

 

 箱の蓋を閉めると、私たちはケーキを食べた。

 これが最後だ。

 そう思ったら、ケーキを食べるスピードは遅くなった。


 静也さんの方も同じで、わたしは可笑しくなった。

「静也さん、いつも甘いもの食べるの早いのに」

「そっちこそ」

 イチゴを口に入れた。スポンジの後に食べたせいで酸っぱい。


「手紙、書きます。一年に一回。読まなくてもいいですけど。むしろ読まないで。恥ずかしいし」

「なんだそれ、前代未聞だな。」

 静也さんは、少しだけ硬い表情を崩した。


「遠くに引っ越す訳じゃないから、会おうと思えば何時でも会えるけど、だから会いません。」

「うん」

 これは私と静也さんの、けじめだった。


「でもこれで終わりじゃないから、寄り添うだけが一緒にいることじゃないから」

「だから一旦、区切りを付けるだけ」

 続きを静也さんが言った。

 ケーキはもう、お互いあと一口だった。


 私たちは同時にそれを食べた。

 

 リュックを背負って、私は、玄関に立った。

 他の荷物は、既にこの家から搬出されている。

 後はもう、私がここを出るだけだ。


「いってきます」

「いってらっしゃい」

 扉が閉まるまでは、二人とも笑顔を貫いた。


 すぐにドアはしまって、私は惜しむようなことはせずにエレベーターに乗った。

 そうした方が、絆を確信できる気がしていた。





 大沢さん――お父さんの家に入ると、彼は

「いらっしゃい」と言った。

 それに私は、うんと頷いた。

 ベットに寝転がると、涙が出た。

 父が放っておいてくれていることが、私にはありがたかった。

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