第10話 大事にしたいんだ

 ⒑


 エンドロールは、物語から現実へと引き戻すためにあるのだと思う。私はこれに似た感覚を知っている。小説のあとがきだ。あとがきのない小説もたまにあるが、あれはここにいてもいいよと言ってくれてるのだろうか。そうだったらいいのに。


 一人称の小説は特に、主人公の目線、更に言うと視界を共有する。

 想像の中でVR体験している感覚。これはカメラを使用する漫画やアニメ、ドラマでは再現しがたい表現方法だ。 それ故に読み終わった時の意識の行き場のなさは、なかなか心にくる。


 監督の名前がスクリーンの上部からゆっくりと落ちる。

 暗転していた室内が明るくなり、私は現実に強制送還された。

「静也さんってアニメも見るんですね」

「面白かったらなんでも見るよ。今日のはクラスの男子に人気のだったから見ときたかったんだ。付き合ってくれてありがと」

「いえ、私もそのアニメ毎週見てましたから 」

 上映室の出口で飲み物のカップを係員に渡した。


 学校終わり、静也さんが映画を見に行くと言うので、私も着いてきたのだ。

 アニメ映画はテレビ放送より制作陣の気合いが入るから一層作画が良くなる。線の引き方や画面構成など、絵描きとして参考になる点がたくさんあった。その点は置いておいても、純粋に作品が好きだったから、見に来れてよかった。


 映画館の外に出ると、金曜の夜ということもあってか、街には会社帰りと見受けられる人が多くいた。

 時刻は二十一時を過ぎたところだ。

「今日は外食にしよう」

 私たちはどこで食べるか相談を始めた。


 結果、映画館から歩いてほど近いファミレスに入った。

 定番のドリアと、気休めに野菜を摂ろうかとサラダを頼み、ドリンクバーに向かった。

 最近のドリンクバーはタッチパネル式らしい。しかもおすすめの混ぜ方、なんてのが画面に表示された。混ぜることを推奨していくスタイルに戦きつつ、私は百パーセントオレンジジュースとサイダーを混ぜたドリンクを持って席へと戻った。


「静也さんもドリンクバー行ってきてください」

「はいよー」

 何を入れてくるだろうか。予想は、シンプルなサイダー。

「タッチパネル、すごくない? 俺初めて見たわ」

 正解はコーラ。ちょっと意外。

「私も初めて見ました。コーラ、飲むんですね」

「なんか懐かしくなってさ。コーラって炭酸抜けると不味いから、ペットボトルであまり買わないだろ。たまには飲みたくなった」

 確かに気の抜けたコーラは不味い。


「そういえば、夏休み明けってすぐにテスト週間じゃなかったか? のんびりしてて平気か?」

「平気平気。まだ中一ですよ。そんな本気出さなくてもいいでしょ」

「しずかがいいなら、いいよ」

 夏休みは課題以外に勉強をしなかった。その上私は塾にも行っていない。生活主任が集会で、一日最低一時間勉強することを目標にしましょうと言っていたが、全く達成していない。

「いいの?」

「授業、分かんないとこある?」

「んー、ないかな」

「じゃ、いいだろ。どうせノー勉でも八十は取るよ」

「そうかなぁ、赤点とっても怒らないでね」

 さすがにそれは取らないと思うけど。

「そうなったら額に入れて飾った方がいいな」

 静也さんはそう言った。


 面白がっているので、本気で赤点を取ることを検討した。ドリアを口の中に運んだら、馬鹿らしくなって検討を中断した。

 私はおじいちゃんと暮らしているとき、夜に出かけることはほとんどなかったから、夜の空気は新鮮だ。昼間よりも都会の匂いが色濃くなって、時折冷えたビル風がびゅうと耳の中に入る。






 テストが終わり、期間中休止していた部活は再開した。

 静也さんの予想通り、全教科八十点前後だったのはなんだか不服だ。

 私は部活の時間と大沢さんとの面会時間を使って、残りの一ページの絵を描いた。

 いつもは一日以内で絵を描き終えるけれど、今回は時間をかけた。


「これは……階段、かな」

 大沢さんは自信なさげに聞いた。仕事を思い出すから先生はやめてくれという意向を組んで、私は大沢さんと呼ぶことにした。

「階段、です」


 正確には、階段と踊り場。私と静也さんの原点。

 でも、何かが足りない。何が足りない。

 ふと、オレンジの絵の具が目に入った。これだ。

 私は全体に夜の色を塗り始めた。 潰れたところを描き直して、階段の手すりの脇、壁の部分に一本、二本……と線を引いた。

 上の方を内側に向けてカーブさせると、そこにオレンジの光を描き込んだ。

 当初の予定とは違う絵が出来上がった。

 

 こんなに納得する絵を描けたことは、今までにない。達成感と同時に、描き終わってしまった寂しさすらあった。

 この絵をもっと描いていたかった。完成してしまった。

 

 名残惜しさを振り切るように勢いよく、顔を上げる。

「大沢さん、いや、お父さん。」

 お父さんと呼ばれた彼は、いきなりどうしたのかと肩を揺らした。


「なんだい」

「一緒に暮らしませんか」

「一緒に暮らす?」

 私の言葉を反芻するように、大沢さんは呟いた。

「そんなに急に決めてもいいのかい?」

「急、でもないんです。私の中では」

「僕でいいのかな」

 その呟きに私はドキリとした。


「しずかさんは、青木さんと気が合っているように見える。お互いとても大事にしているように見える」

 言外に、今のままでもいいんだよ、父親だからと気を遣わなくていいんだよと目が語っていた。

 

 大沢さんとの生活はきっと穏やかになるだろう。

「大事だから、もっと大事にする為に離れるんです」

 再びスケッチブックに視線を落とす。祖父がくれた愛を静也さんが守ってくれた、その証に。


「大事にする為、か。分かった、協力しよう。父親として何もしてこなかった僕が協力させてもらえるなんて。ありがとう」

「こちらこそ。これからは大沢さんとも、大事を作っていきたいと思っています。」

 こんなに真摯な人と、私がいると知りながらどうして別れたのだろうと母に問いかけてみたかった。もしかしたら、帰ってきたら言うつもりだったのかもしれない。どうなんだろう。


 結局考えたって分かりはしないけれど。分かるのは、大沢さんが悲しんで悔やんでいること。そんな必要ないのに。それは紛うことなく心から思う。

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