第8話 あなたと、行きたい場所がある
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DNA鑑定は、九十九・九パーセント、私と大沢先生は親子だと結論づけた。だからって彼が父親だとはまだ認められなかったし、それは大沢先生の方もそうなのだろう。
私と彼は、一週間に一回程度、面会をすることに決めた。
今日はその面会をする日だった。面会と言うと堅苦しいけれど、ただ話をしたり、出かけてみたり、そんな感じでお互いを知っていこう、という会だ。
それは大抵、休診日と学校の休みが重なる日曜日の昼間に行われた。夏休みの今は、あまり関係ないけれど。
もう面会を始めてから二ヶ月目に入って、会うときに緊張することはなくなった。
「こんにちは」
「暑かっただろう」
氷の沢山入ったグラスに麦茶が注がれた。ありがたく受け取り、ごくごく飲む。常温の水が体にいいなんていうけれど、キンキンに冷えた飲み物の方がが美味しい。美味しいから、心の健康にはいい。そういうことにしよう。
「今日は何を描くんだい?」
スケッチブックと画材をテーブルの上に広げる。
「何がいいと思う?」
「ラムネ、入道雲、スイカ、かき氷、花火……」
「完全に暑中見舞いのチョイスですね」
花火の絵はいいかもしれない。が、それを描くのはクレヨンが最適だろう。そして今、ここには無い。
私は目の前の水滴だらけのグラスを描き始めた。
鉛筆で大まかなアタリをつけ、アクリルガッシュをペーパーパレットに出す。透明なグラスは様々な環境色を取り込んでいる。そのため、何気なく目にするよりもずっと、実はカラフルだ。それ故描くのが難しくもあるが、使う色数が増えるのは楽しい。
スケッチは、デッサンよりも遊び心を持つのが大切だ。随所にパステルカラーを忍ばせる。パステルパープルとイエローはよく使う。
理屈はよく分からないけれど、手軽におしゃれな画面になるのだ。
「しずかさんは、集中までの時間が少ない人なんだね」
「そうかな。それこそお医者さんは、そういう人が多そうなイメージある」
「あぁ、言われてみれば」
「留学に行くくらいだから、大変な手術もできるの?」
「実家を継ぐ前は、手術ばかりの毎日だったよ。」
すごい。自分の手が他人の命を毎日毎日左右するなど、想像しただけで重圧が半端ない。
「でも、どれだけ腕のいい医者になったって、身近にいた人の嘘に十年以上も気がつけないんじゃ、しょうもない人間だよ」
おそらく、こうして会話を重ねてなかったら、私もそう思った。
「死んだ人間の考えなんて分からないけれど。私は、沢山の命を繋いできた人のこと、しょうもないとは思わないよ」
大沢先生は泣いた。
「こんなことで泣かないでよ」
「涙はストレス発散に効果的と言われている。たまには泣いといた方がいいんだよ」
医者の理論でねじ伏せられた。
完成した絵に日付を記入する。こういうときに、自分の字がいい感じじゃないことにがっかりする。上手くなくても、アーティスティックでおしゃれな字を書く人、あれがめっちゃ羨ましい。それに加えて、私はその日の調子で字の汚さや系統が大きく変化する。丸文字に近いときもあれば、縦長の字のときもある。自分で原因が分からない。
一流のアスリートですら、調子の悪い日があるというのだから、私ごときが自分をコントロール出来る訳ない。
でも、医者はそんな言い訳を出来ない。それで、人が死ぬ。そう考えたら、あなたのやってきたことはやっぱりすごいことなんだ。
素直にそう思った。それに、おじいちゃんと繋いできた時間を否定はできない。したくない。大沢先生を恨むのは、そういうことになってしまうだろう。
夕方、家に帰ると静也さんはいなかった。
そういえば、今日は小学校の近くでお祭りがあって、見回りに行くのだと言っていた。
地域の小さなお祭りで、花火は上がらない。
夕飯は焼きそばかなんかを買ってきてもらうことになっている。
私は気が向かない夏の課題に手をつけることにした。漢字をひたすら書く課題。私は書くより読む方が覚える。私にとってこれってあんま意味ないのではという気がするが、そういうのは考えたら負けだ。
社会ってのは考えれば考える程生きづらくなる仕組みでできている。そんな風に作られているのに、時には考えなければいけないとふっかけてくるのだから、理不尽極まりない。
手が疲れてどんどん字が汚くなっていったので、私はお風呂に入ることにした。夏は湯船に浸かる気にはならず、シャワーだけさっと浴びた。髪は半乾きまで乾かしたところで、暑くてイライラしたのでやめた。三秒で乾かせるドライヤーを開発した人が現れたら、その人にはノーベル賞をあげるべきだ。
今日はまだ絵を描きたい気分で、リュックからスケッチブックを取り出した。パラパラめくると、残り二ページだった。夏休みでかなり描き進めたんだな。
最後のページに描く絵は決まっていた。
それを描いたら私は、言うと決めていることがある。
「ただいま」
静也さんが帰ってきた。スケッチブックをリュックに押し込むと。私はリモコンを持ち、冷房の風を強めた。
「夜も暑いな。終盤はずっと焼きそばの屋台手伝わされてたから、すげー暑かったわ。鉄板の前地獄」
静也さんは無地のビニール袋をテーブルに置いて、Tシャツの首元をパタパタさせた。
「じゃあ、これ静也さんが作った焼きそば?」
「まあね」
「美味しそう。あ、キュウリもある」
「祭りっぽいだろ。俺、風呂入るから先食べてて」
静也さんはいかにも祭りに行った人のにおいを漂わせていた。
「はーい」
私はプラのパックのまま、焼きそばを食べた。鉄板で作った焼きそばは水分がよく飛んでいて、野菜はほんのり香ばしい。キュウリは丸ごと串に刺さっていて、夏にピッタリの涼やかさを堪能した。
「あーさっぱりした」
いつにも増して秒速で戻ってきた静也さんは、焼きそばを皿に移してレンジで温めた。
「なんか、あんだけ作るとあんま食べる気しないな」
コンビニで別の買ってくればよかったーとぼやいた。
「でもすごく、美味しかったよ」
「そう?」
ちょっぴり眉が上がった。
「毎年作らされてるからかな」
レンジが鳴った。
「ねぇ、夏休み、そろそろ終わっちゃうじゃん、だからさ」
「うん。俺の夏休みはもう終わったけどね」
「知ってるよ。私の夏休みの話」
「何、どっか行きたいの? 普通に土日しか休みないから遠いとこは厳しいぞ」
「あのね、海に行きたい。そんで、朝焼けが見たい」
この夏、どうしても静也さんと、朝焼けが見たかった。
「近場で良ければ、いいよ。しずかのワガママは珍しいしな」
分かってないな。私はとってもワガママだよ。
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