第6話 本気になりたい
⒍
学校から帰ってきてスマホを確認すると中山の祖母、由紀子からのメッセージが入っていた。
『今度の土曜日に快の試合があるの。一緒に見に行きませんか』
試合か。そういえば中山は、陸上部に入ったのだと言っていたっけ。小学生の頃はクラスで一番足が早かったが、競技として陸上をやっていたことはない。だから中山は初心者として部に入ったはずだ。どんな風に頑張っているのだろう、前よりもっと、早く走るのだろうか。それを見てみたいという気持ちはある。
それでも、私と中山はもう、無邪気に遊んでいた小さな頃とは違う。性別なんて関係ないと思いはしても実際は、色々ある。男女グループで遊ぶのはいいのに、二人で出かけたらデートにされたり、ちょっと仲良くしていたら冷やかされもする。誰かに見られたら面倒なことになるよなぁ。
私は迷いながら、ゆきさんに電話をかけた。
「もしもし、ゆきさん」
「しずかちゃん、こんにちは。予定があるのなら、無理はしなくていいのよ。ただ、会場が遠くて、行ったことのない場所だったから誰かが一緒だと心強いと思って。娘は仕事で行けないんですって」
そういうことなら、行きやすい。
「そっか。予定、ないよ。一緒に行こうね」
「ありがとう。快の中学初めての試合、楽しみだわ」
声だけでも分かるくらい、ゆきさんは嬉しそうだった。中山の家はシングルマザーで、仕事で忙しいお母さんの代わりに中山の世話はほとんどゆきさんがしていた。
私たちは保育園の頃、家庭環境が似ていることもあって仲良くなった。今では私もゆきさんに可愛がってもらっているし、おじいちゃんも中山のことを気にかけていた。そのことを思い出したら、面倒だなんて理由で行かないのはダメだろうと感じた。
おじいちゃんの代わりに、私が見ないと。ちゃんと、ゆきさんを連れていかなきゃ。
私はすぐに送られてきた会場への行き方を調べた。
土曜日の朝、私は通っていた小学校の前に立っていた。卒業して数ヶ月しか経っていないのに、校門近くに植えられた大きな木が揺れる音が懐かしく感じる。
「おはよう、しずかちゃん。卒業式以来ね」
程なくして、ゆきさんが歩いてきた。
「おはようございます。行きましょうか」
私たちはまず最寄り駅を目指して歩き始めた。私の最寄り駅はもう、違うところになった。それだけのことが、そういう小さな変化の方が、大きなことのように思える。
電車を乗り換えて、会場近くの駅に着くと、知らない景色が広がっていた。地図アプリを起動して、ナビ通りに歩いていく。
まだ少し遠い位置にいても認識出来るくらい、競技場は大きくて存在感がある。
会場に着くと、私たちは観客席に座った。中山は百メートル走に出るそうで、五組目と結構早めの組で走るようだ。今は女子の百メートル走の終盤に差し掛かっているから、中山が走るのはもうすぐだ。スポーツの試合で、こんなにも一瞬で出番が終わる競技は数少ないのではないのだろうか。次から次へと走る人が変わるトラックを見て、そう思った。
男子の四組目が終わり、いよいよ五組目。第三レーンに中山はいた。名前を呼ばれると、真っ直ぐに手を挙げてそれから、軽く手足をブラブラとさせて深呼吸をした。その顔は小学生の運動会での学年選抜リレーを彷彿とさせた。ただ、それよりももっと研ぎ澄まされて集中しているように見える。
スターティングブロックに足を置いて、構えをして一瞬の静止の後、銃声と共に、選手達は駆け出していった。一番前に中山がいた。
まるで初試合の緊張なんか感じられない、スイスイとした走りだった。そのまま一位でゴールをすると、同じユニフォームを着た選手たちに囲まれていた。
小学生の頃とちっとも変わらない光景なのに、もっと遠いところに行ってしまったんだなと感じた。胸の中でくすぶっていたエネルギーを放出できるのが楽しいのだろう。習い事も何一つしていなかった彼が、中学に入って全力になれることを見つけたのだ。よかった。
「中山、速かったね。バカみたいにさ」
「ええ、感動したわ」
よかったよ。本当に。
私も、全力で絵を描こう。だって、悔しいじゃないか。こんなの見せられたらさ。絶対、追いついてみせる。例えもう、見ていてほしい人がいなくても。
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