第3-2話 固有名詞なくなった記念日

 今日はバスケのレクをする日だ。

 卒業式の合同練習が終わると、私たちのクラスは体育館に残った。体育館を二面に分けて、一試合十五分、総当たり戦。


 私の参加するチームは水色のビブスを着た。

「女子だからって遠慮すんなよ、いけると思ったらドリブルもシュートもバンバン決めてくれ」

 中山が言った。

「しないよ。棒立ちは白けるから。ね、ミヤ」


 バスケは結構、好きな部類に入る。どうせやるなら楽しんでおいた方がお得。今はそんな気分だ。

「そうねぇ、邪魔にならないようにはするよ」

「ミヤ、相手の邪魔はしてよ」

「そうね」

 

 悪い顔をしている。これはミヤも、やる気ありそうだ。

 私たちの出番は第二試合からで、コートの外で得点板と時計係をしていた。

 私は仲のいいこの四人には言わなければならないことがあった。


「みんなって、通う中学一緒だっけ」

「だろ?」

 四人とも何を今更という表情をしていた。

「実はさ――」


 ここ最近私に起きた出来事を要約して話し、引っ越すため中学は別のところになると告げた。

「でも、都内ならいつでも会えるから大したことないね」

 ミヤはいつもと変わらぬ態度で言った。

「うん。大したことない。」

 私は心からそう思っていた。


 よっしーも佐田もうんと頷いて、中山だけはやけに深刻そうにしていた

「どした、中山」

「いや、どした、って」

 中山はおばあちゃん子だ。だからきっと、中学が違う方ではなくて祖父を亡くした私のことを心配してくれているのだと思う。


「そっち、点入ったよ」

 心配してくれるのは有難いが、外にいるときの私は自分でも呆れるくらい、いつも通りの私だった。

 

 楽しいことは普通に楽しいし、日々の生活は容赦なく流れる。

 そうやってどんどん、祖父のいない日常が平気になって、当たり前に成り代わっていく感覚が、私は怖かった。

 でも、忘れないようにと不自然に悲しんでみせるのも、違う気がした。もうどうしたらいいのか分からなかった。


 どっちを選んだところで、もう祖父はいないのだから、だったら悲しんでいるだけでは人生を損していると私は悲しむことをやめた。

 私は、冷たい人間なのかもしれない。

 中山は無言でぺらりと得点板のガムテープっぽい布をめくった。泣きそうな顔をしていた。

「中山は、優しいね」

「今、そんな話してないだろ」


 そう言うと、眉間に皺を寄せて不本意だと言いたげにふいっとそっぽを向いた。

 レクは、私たちのチームが一位で幕を閉じた。クラス一足の速い中山が速攻を決め、サッカーを習っているよっしーはその足さばきでトリッキーなドリブルをし、佐田は背が高いのでリバウンドをよく取った。私とミヤは、ボールの扱いよりもディフェンスで活躍した。


 クラスの子達からはあのチーム運動神経いいやつばっかでずるい、チートだ、なんて冗談半分で言われた。

 それはもう、恨むなら仲良しがたまたまみんな運動できる子の集まりだったっていう、私らの運の良さを恨んで欲しい。

 一位になっても賞品も特に無ければ、所詮ただのレク、と思っていたけれど、実際なってみると悪いもんじゃない。


「本当に一位になっちゃったな!」

 嬉しそうによっしーが中山と佐田の背中をバンッと叩いた。

「いてっ、ちょ、叩く力、つよいつよい」

 佐田は迷惑そうに言った。

「ははは、よっしー、もっとやっちゃえー」

 その様子を見てミヤは面白がっていた。ほぼ接点のなかった男子三人とミヤは、レクを通じて仲良くなったようだ。


「いやー、動いたら腹減った」

 中山が呟いた。

「おれもおれも! 今日の給食何だったかな」

 体育館を抜けて、五人で廊下を歩いた。学校内でこんな気の抜けた会話を出来なくなるのは、ほんの少し寂しいなと、私はその時初めて感じた。





 それからまもなく卒業式の日を迎えた。

 私は卒業式用にレンタルしたブレザーに身を包んだ。スカートを久しぶりに穿いたから落ち着かない。先生は先に準備があるので、一時間前に家を出た。


 今家には私一人で、だからどうと言うこともないけれど、卒業式はいつもより登校が遅い。私は暇を持て余していた。

 スマホをいじったり、漫画を読んだりして暇を潰していると、インターホンが鳴った。


「よっ」

  中山だった。シャツに紺のセーター、黒いチノパン姿で、普段の格好とはかなり違った。

「おはよう、中山。わざわざどうしたの?」

「はいこれ、ばあちゃんから。」

 後ろ手に隠されていた包みを手渡された。

 中山のおばあちゃんには、放課後男子三人と中山の家で遊んだときによくしてもらっていた。


「なんだろう」

「卒業祝いだって。人がいると渡しづらいから。先に渡しにきた。じゃあまた後で」

 渡すや否や、彼は足早に来た道を戻っていった。

 リビングのテーブルの上で早速包みを解くと、オレンジ色のブックカバーと同じ布で作られたポーチが顔を出した。内布も付けられていて、完成度が高い。布の柄もセンスのいい北欧風でおしゃれだ。

 

 中山のおばあちゃんの趣味が裁縫であることを知らなかったら、市販品と勘違いしそうな出来だ。

 と、もう一つ、小さな袋が入っていることに気が付いた。

 袋を開け、中身を取り出す。手によく馴染みそうな木軸のシャーペンだ。試しにカチカチとノックする。うん、いい。 私の好みドンピシャだ。

 

 ラッピングに使用されていたタグを手に取る。裏には手書きの文字が書いてあった。


『これからもよろしくな』

 黒の油性ボールペンで書かれた、お世辞にも綺麗とは言えない字は、彼の不器用さを表している。

 やっぱり中山は優しいやつだ。



 卒業式が始まる前に、卒業生は教室に集合した。女子は主に、互いの格好を褒めあっていた。

 私とミヤも例外ではなかった。

「おはよう、ミヤ。髪、すごい手が込んでるね。かわいい」

「あー、これねー。お母さんが気合い入っちゃってさ」


 ミヤは気恥ずかしそうに前髪を触った。いつもストレートの髪の毛は丁度いい具合に巻かれ、サイドから編み込みでハーフアップにされた髪型は、どこかエレガントな雰囲気だ。

「いいじゃん、いいじゃん」

「もー、恥ずかしいから私のことはいいよ。しずかもその服、似合ってるよ。なんちゃって制服っぽくなくてクールな感じがいい」

「ありがと」

 私たちはどこか浮き足立ってそわそわしていた。


 集合時間五分前、先生が教室の中に入ってくると、生徒たちのざわめきは更に大きくなった

「うわ、青木せんせースーツだ」

 見慣れないスーツ姿を見て、クラスメイトは先生をからかい始めた。

「はいはい、どうせジャージの方が似合ってますよ」

 不貞腐れてみせると、教室は笑いに包まれた。


「そんなことないよー」 「似合ってるよー」

 とふざけた調子で数人の子が言った。

「それはどうもありがとう」

 そう言った先生の棒読み加減に、みんながまた笑った。


「つーか、お前ら、卒業式だってのに緊張感ないな。こっちなんて、名前呼ぶ時噛んだらどうしようって昨日の夜眠れなかったのに……」

 わざとらしくため息をついた。

「まぁでも、そんな愉快で頼もしいところも、僕は好きです。今日の卒業式は、皆さんの成長を今までお世話になった人に見せる場でもあります。練習たくさんしてきたんだ、大丈夫。集大成として、無事に成功させような」

 咳払いをしてから、大層それらしい言葉を並べた。


 廊下に並び、体育館へ入場。礼、着席。起立。国家斉唱。

 卒業証書授与。前のクラスが終わり、自分のクラスの番になると、一人一人、青木先生に呼ばれていく。

「木下しずか」

 私の名が呼ばれた。

「はい」

 

 礼、左手、右手、の順に受け取って、後ずさる。左足、右足。もう一度礼をし、左脇に証書を抱え、壇上を下り、係の先生に証書を預ける。

 

 はぁ、失敗しなくてホッとした。着席し、残りの人が終わるのを見守った。

 長い校長の話と、これまた長い来賓の話を切り抜けると、卒業生全員による別れの言葉、合唱が始まる私たちは堂々と言葉を述べ、歌い切った。

 

 なんやかんや形式的な段階を踏み、ようやく退場。

 体育館を後にすると教室に戻り、先生が最後の話を始めた。

「まずはお疲れ様。いやー長かったな。でもみんな、最後まで背筋伸ばしてて偉かった。先生ですらちょっと挫けそうだったもの。なので僕の話はさっさと終わらせようと思います。適当にだらけて聞いてください」

 

 ゆるりとした口調で彼の話は始まった。

「今日はみんな、すごくいい顔をしている。きっと、未来には希望が満ちていることだろう。だから敢えて言う。この先、もしかしたら絶望を経験するかもしれない。想像と違ってガッカリすることも、自分が情けなくなることも、きっとある。でもそれでいいんだ。成功だけじゃない。失敗も君なんだと、それを忘れないでいて欲しい。そして、失敗を糧に成長できる素敵な人になって欲しい。君たちのこれからを、心から応援しています。卒業おめでとう」


 だらけて聞いている子は一人もいなかった。疲れきった私達は今日の中で一番、背筋をしゃんと伸ばしていた。



 式が終わると、卒業生は校庭に散らばって、保護者と合流したり、友達同士で集まったりして、各地で記念撮影を行っていた。

 ミヤの両親が来ていたので、私は三人の写真を撮る係を承った。

「しずかちゃん、いつも紗良と仲良くしてくれているみたいでありがとう。卒業しても、仲良くしてやってね」

 初めて会ったミヤのお母さんは、おっとりした人だった。

 お父さんはあまり言葉を発さずに遠くから見守っていて、仲良くなる前のミヤそっくりだ。


「いえいえこちらこそ、紗良さんにはお世話になっているので」

「あら、しっかりしているのね」

 とミヤ母は感心した。

 会話を聞いていたミヤは

「しずかに紗良さんって言われるの、気持ち悪いね」

 そう言って笑った。


 その後私とミヤは、男子三人を校庭の中から探し出した。

「やっほー、諸君。五人で写真撮ろ」

 ミヤは親に持ってきてもらったスマホを掲げた。

「おー、撮ろ撮ろ」

 ブレザー姿のよっしー賛同した。

「うちの親、近くにいるから撮ってもらうか。呼んでくる」

 佐田はネイビーのスーツを着ていた。背が高い分、その格好は中々様になっていた。それにしても、見事に三者三様の服装だな。仲良しの秘訣はバランスの良さなのかもしれない。


「いくよー、はい、チーズ」

 佐田の母の掛け声で、私たちは五人の写真を撮った。校門の前まで出た私たちは春休みに遊びに行く約束をし、解散した。

 一人で歩いていると、沢山の親子が目に入った。ありふれた、普通の。それがどんなものなのか、存在するものなのか、どのような観点から位置づけるのか、知らないけれど。多分こういう光景のことなんだろうなというのは、なんとなく想像できた。


「ただいまー」

 私は誰もいない家に帰宅を知らせる挨拶をした。

 先生は卒業式でも、定時まで働いてくるらしい。 汚すとまずいので、服をさっさと着替えを済ませる。パーカーにズボンは落ち着くな。

 カップ麺にお湯を注ぎ、箸で蓋が開きそうになるのを抑えて、三分待つ。そうこうして昼ご飯を食べていると、ピコン。という音と共にスマホの画面が明るくなった。

 ミヤからだ。個別チャットに二人で撮った写真が送られてきた後、グループチャットにも通知が来た。


『春休み、行きたいとこ募集』

 行きたいとこかぁ。

『やっぱ、遊園地っしょ!』

 遊園地。久しく行ってない。楽しそうだけど、春休みって混みそう。

 食べ終わったカップ麺の容器を洗い、ゴミ箱へ落とす。自分の部屋へ入り、机の中の文房具や画材をまとめてダンボールへ入れる。


 スケッチブックは厳選し、選出されなかったものを要らなくなったノートや教科書と一緒に束ねた。

 衣服も、これを機にいるのといらないのを分けていく。おじいちゃんは私が女の子らしい服を買わなくても、口を出すことはなかった。それがすごくありがたかった。どこまでも私の意志を尊重してくれる人だった。


 だから私の選択を許してくれるはずだ。

 でも、仮にどこかから様子を見ているとして、許してくれなくてもよかった。

 祖父との思い出が詰まったこの場所から引っ越すことにしたのには二つ、理由がある。一つ目は、思い出が詰まりすぎているからだった。そのような場所で先生と新たな生活を送るのは、先生にも、おじいちゃんにも失礼なんじゃないかと思った。先生は、おじいちゃんの代わりではないのだから。


 二つ目は、先生の家が、寂しそうだったかったから。あの家が、先生の帰りを待っているように思えなかったから。帰る場所がないことの恐怖を、私はついこの間知った。どうして彼は、あえてあのような生活をしていたのか、私は知りたかった。

 この先ここを出るに当たり、家を売却するのか、取り壊すのかまだ分からないが、罪悪感は無かった。

 亡くなった人を優先し、生きている人を蔑ろにするような教育を受けた覚えはなかった。



 十七時時過ぎに帰宅した先生は、

「あー疲れた」と言ってソファに沈んだ。

「先生、お疲れ様です」

 私はコップにお茶を入れて渡した。

「ありがとう。改めて、卒業おめでとう」


 喉が渇いていたのか、勢いよくコップの中を空にした。そのコップを持ったまま、先生は呆けている。さっきと同じ格好をしていても、受け取れる印象はまるで違った。扇風機のスイッチを切った後の、慣性でわずかに動いてい止まる羽みたいに、先生の電源は切れた。隣で様子を窺った私は、そのことが妙に嬉しかった。


 しばらくしても先生は動かず、そっと覗いてみると、同じ体勢のまま寝ていた。いつかの私と同じ状況に思わず笑い、私は夕飯の準備を始めた。


 今夜はカレーだ。

 作り終わってもまだ起きない先生を横目にリビングを抜け、先にお風呂に入ることにした。鼻歌を歌って、シャワーを浴び、ゆっくりと湯船に浸かる。


 長風呂を堪能し、洗面所のコンセントにプラグを刺した。ろくに鏡を見ずに適当にわしゃわしゃやっていると、手からドライヤーを抜き取られた。

「わっ、びっくりした。おはようございます」

「ごめん。まさか寝落ちするとは」

 そのままお詫びに、と髪を乾かしてくれた。


 先生がお風呂を済ませて戻ってきたので、カレーを温めなおした。氷をたくさん入れたグラスにレモン味の炭酸飲料を注いでいく。

「卒業おめでとう」

「ありがとうございます」

 グラス同士を軽くぶつける。カレーを口に運んだ先生は、そのスプーンを空中にとどまらせて凝視した。

「辛口?」

 そんなに驚くことだろうか。逆に私は、先生が前に作った激甘カレーに驚いたのだが。


「前にさ、木下言っただろ。『先生って、先生ですよね』って」

 食べながら、おもむろにそんな話をしだした。

「木下は、先生の俺を買い被りすぎだよ。俺は生徒の考えてることなんでも見通せるようなスーパーマンでも、善人でもないんだ。」

 そう言うと、息を吸うように最後の一口を口の中に入れた。


「木下は、俺に似てるんだ。だから、どんなこと考えてるのか、ちょっとだけ想像できて。最初から、先生として指導をしてやろうなんて大層な理由で近づいていない。そんなこと言える程人間出来てない」

 見たことのない弱々しい自嘲の笑みを浮かべた。

「俺は君を通して、過去の自分を見ている。酷いだろう。君を助ける振りをして、自分を助けたいだけなんだ」

 先生の話はやけに抽象的で、実際過去の彼はどんな暗闇の中にいたのか、今の彼は何に苦しんでいるのか、そういった情報はまるで得られなった。しかし、


「私が助かったら先生も助かるなんて、お得ですね。」

 スーパーでお高い牛肉が半額になってた時くらいお得だ。

「ついでに言うと、罪悪感を捨てたらもっとお得になりそうですね」

 そこでふと、気が付いた。


「ああ、やっぱり、先生は先生なんだ」

「どういう意味?」

 ここまで散々否定したのにどうしてそこに戻るんだと顔に書いてある。

「百パーセント正しいと思える方法でしか自分を助けちゃ駄目なんですか。そもそも、自分が助かるのは悪いことですか。私からしたら、罪悪感抱えるポイントがないです。ウィンウィンじゃないですか」


 確かにこの人は、以前の私が想像していたような完璧人間ではなさそう。むしろ馬鹿だ。こんなにも自分を後回しにして、すり減らして生きている。それが当たり前になっていて、傷を癒すことすら罰としている。

 気になることはたくさんあったが、とりあえず今はどうでもよかった。


 私は冷蔵庫から再びペットボトルを取り出し、グラスに並々注ぎ、手に持つよう指示した。グラスは元気なビタミンカラーに復活した。

「大丈夫です。何故なら今日、私は先生の生徒じゃなくなり、先生は私の先生じゃなくなりました。めでたい。ということで、もっかい乾杯しましょ。静也さん」


 勢いよく相手のグラスに当てたせいで、私のジュースがテーブルに零れた。


「何やってんだよ、しずか」


 静也さんはティッシュでテーブルの上を拭いた。

 私たちは晴れて、たった一つの固有名詞も失ったのだった。

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