第四章3 天才の仕事

 フィーバスの研究は無事に進んだ。

 完成した新型燃料電池を搭載した義体も滞りなく作られ、シャーロットの義体の換装も問題なく完了。


 研究は実に順風満帆に進んでいた――そこまでは。


「くそっ、どうしてだ……どうして効率が上がらない……!」


 苛立たし気に吐き捨てるフィーバス。

 いくら画面とにらめっこしても、そこには無情な数字が並ぶだけだった。


「反応自体は正常に進んでいる……どこかにエネルギーロスがあるはずだが……いや、しかし……」

「まぁまぁ博士。少し落ち着きましょうよ。焦っても仕方ないですよ」


 そんな彼を見ていられず、ステラはそう言いながらコーヒーを差し出す。

 渋々といった様子だが、フィーバスはそれを受け取ってズズっと啜った。


「……すまん。こんなことは初めてでな」


 換装完了からもう3ヵ月。直後は順調に見えたのだが、燃料電池による電力供給は日を追うごとに悪化していた。

 原因がまったくわからず、フィーバスは困惑と苛立ちに追い立てられている。


「仕方ないですよ、前例のない話ですし……それに、ロッテも別に今までどおりの生活を送ってるだけですから。焦る必要はないです」


 こんな事態に備えて、通常の充電機能も搭載してある。

 一日一回コンセントに繋がることは避けられないが、今までどおりというのは間違いない。


「……そうだな。もう一度、一から見直してみよう」


 多少落ち着いたフィーバスに、ステラはほっと安堵の息を漏らす。


 ――しかし、現実は時に思いもよらない牙を剥く。

 それを思い知らされたのは、そんな会話の直後だった。


 突如として、二人の視界は暗闇に包まれた。


「わっ! え!? 停電!?」


 ステラがウェアラブル端末でライトを点ける。

 その頼りない明かりの中で、二人は顔を見合わせる。


「シャーロットは!」

「ロッテは!」


 二人は同時に叫ぶと、彼女の居室まで全力で走る。

 部屋に到着すると、すでにディランが忙しなく動き回っていた。


「ディラン! どうなってるんだこれは!」

「フィー! 僕も今来たばかりで……。とりあえず、非常用電源に切り替えはしたが」

「よかった……じゃあ、ロッテはひとまず大丈夫なんですね?」

「ああ、そうだな……外で話そう。君、少しここを頼めるかい?」


 ディランは近くにいた自分の助手にそう言うと、部屋の外へと出て行く。


「ロッテ……」

「ステラさん、私なら大丈夫だよ」


 暗闇の中、そう言って微笑むシャーロット。

 誰よりも不安に決まっているのに。


「うん。待ってて、すぐ戻ってくるから」


 ステラはそう言い置くと、フィーバスと共に部屋を出た。

 待っていたディランは、二人を見るなり口を開いた。


「大丈夫とは言っても、しょせんは一時しのぎだ。この停電がもし解消されなければ、いずれは……」


 言い淀むディラン。その先は言わずともわかる。

 シャーロットにとって、電力は文字どおり生命線だ。


 と、そこへ別の助手が慌ただしくやってきた。


「ご苦労様。原因はわかったのかい?」

「はい。どうやら、超大規模な磁気嵐が発生したようです。その影響で、この一帯すべて停電しています」


 磁気嵐自体は珍しくもない。しかし、予報をすり抜けたうえでここまで大規模なものは記録になかった。


「……復旧の目処は」

「……わかりません。今なお影響は拡大中という話もあります」


 さらに非情な現実が突き付けられる。

 しかし、情報は正確に把握する必要がある。

 フィーバスは聞きたくないという思いを抱えながらも口を開いた。


「ディラン。非常用電源はどれくらいもつ」


 フィーバスもステラも、不安に揺れる視線でディランを見つめる。

 そして――


「……24時間。もともとの充電状態から考えて、タイムリミットは48時間だと思ってくれ」


 告げられた時間は、あまりにも短すぎた。


****************


「…………博士」


 真っ暗な部屋に呼びかけるステラ。

 返事はないが、そのまま部屋に入る。


「博士。いつまでそうしてるつもりですか」


 フィーバスは、電気も点けず椅子に力なく座っていた。

 まったく動く気配はなく、死んでいると言われたら信じてしまいそうだ。


 その気持ちはわかる。痛いほどわかる。でも。


「そんなことしてたって……ロッテは……っ」


 言葉にしようとすると涙がこぼれそうになって、ステラはぐっと口を噤んだ。

 そこでようやくフィーバスは、ほんの少しだけ首を動かした。

 ステラを見て、口だけを動かして。


「すまない」


 覇気のない声でそう言った。

 その小さすぎる振動が、ステラの目から涙を落とした。


「お前があの子を可愛がってたのは知っている。だが、俺はあの子を助けてやれなかった。すまない」


 ――違う。そんな言葉が聞きたかったんじゃない。

 ステラは首をゆるゆると振りながら声を震わせる。


「博士のせいじゃないです。あんな数千年に一度の災害、予測できるわけないじゃないですか」


 記録的な磁気嵐だった。

 同じく電力に身を委ねる多くの人が命を落とした。

 決してシャーロットだけが特別だったわけではない。


 だが、フィーバスもまた首を横に振る。


「そうじゃない。……3ヵ月だ。3ヵ月あって、俺は何もできなかったんだ」


 磁気嵐は防ぎようがなかった。でも、その前は。


「俺が発電効率の劣化を解消さえしていれば、あの停電も乗りきれた。あの子は死なずに済んだ」

「そんな……そんなのっ……」


 否定しようと口を開くステラ。

 しかし、それはどうしようもない事実だった。

 土台無理な話だったとか、他の誰でも不可能だったとか。


 そう言うことはできる。でも、ステラには言えなかった。

 だって――


「できると思っていた。可能なんだと信じていた。だがそれは違ったんだ」


 しかし、フィーバスは口にした。

 ステラが一番、言いたくなかった言葉を。言ってほしくなかった言葉を。


「結局、俺は天才なんかじゃなかったんだ」


 誰よりも、きっと本人よりも、ステラは信じていた。

 フィーバス・ガーデンという男は本物の天才なんだと。

 たとえ不可能なことだって、彼なら可能にしてくれると。


 だから。


「…………んですか」


 カラカラに乾いた口を無理矢理動かした。

 溢れる涙を瞬きで追い出した。

 震える手を握って黙らせ、挫けそうになる足を高く踏み鳴らして。


「だからって、諦めるんですか!」


 ステラは、叫んだ。


「たった一回の失敗が何だって言うんです! それで諦めてへこたれて、ここでウジウジして! それでどうなるって言うんですか!」

「そのたった一回の失敗で、かけがえのない命が失われた。取り返しはつかないんだ」

「だからそれは、博士のせいじゃない!」


 喉から血の味がする。

 目玉が熱くて視界がぼやける。

 それでも叫ぶ。


「たしかに取り返しはつかないかもしれない。何をしたってロッテは帰ってこない! でも、だからこそ! あの子のためにも、この研究を完成させるべきなんです! あの子みたいな人たちを、同じ目に遭わせないために!」


 ロッテだって、そう望んでいるはずだ。


「……そうかもしれないな。だが、俺にはもう無理だ」


 フィーバスの声は小さいのに、やたらとよく聞こえた。

 聞きたくないと思えば思うほど。

 そして――


「ステラ。お前は優秀だ。だから、俺の代わりにお前が――」


 その言葉で、ステラの理性が擦り切れた。


「――ふざっけんな!!」


 考えるより先に体が動いた。

 ステラはフィーバスの胸倉を両手で掴み、のしかかるような体勢で叫び続けた。


「私に博士の代わりが務まるはずがない! 私がどれだけ努力したって、博士には敵わない! そんなの、博士が一番わかってるでしょ!?」


 そこまで言って、ステラは堪えきれなくなった。

 どうしようもなく情けなくて、でも認めるしかなくて。

 大粒の涙をボロボロとこぼしながら、くしゃくしゃの声を吐き出した。


「だって、私は天才じゃない……私にはできない。私じゃ、無理なんです……」


 天才はいる。

 自分にはないものを持っている人間がいる。

 それを隣で、ずっと見てきたから。


「誰が何と言おうと、たとえ博士自身が否定しようと! 博士は天才なんです! 天才なんだから……!」


 ステラの感情はぐちゃぐちゃだった。

 怒りと後悔と、悲しみと切望と。

 そして、惜しみない尊敬を込めて。

 フィーバスの頬に、そっと両手を添えた。


「諦めないでください。立ち止まらないでください。あなたにしかできないことが、この世にはあるんです」


 ステラの顔はくしゃくしゃで、でも目だけはまっすぐフィーバスを見ていた。

 その瞳には、眩しいほどの光が宿っていて。

 その声は、どこまでも優しく温かい。


 その光に射抜かれて、その温かさに絆されて。

 フィーバスはようやく、ステラと目を合わせた。


「……お前は、まだそう言ってくれるのか。俺は天才だと。天才のままなんだと」


 そして、震える声でそう問いかけた。

 否定してほしいし、肯定してほしかった。ないまぜになった気持ちのままの問いかけに、しかしステラは即答した。


「当たり前じゃないですか」

「……そうか」


 その言葉が、フィーバスの腹に重く落ちる。


「そうか。俺は、天才か」


 噛みしめるように繰り返した。

 拠り所をなくしたフィーバスに、楔のように打ち込まれたその言葉。

 そこへ優しく体重を預けるように、ステラは言葉を紡いだ。


「はい。博士は天才です。だからその責任から、逃げないでください」


 責めるようなその言葉はしかし、甘すぎるほど優しい声音だった。 

 責任? と問い返すと、ステラはついに微笑んで。


「――不可能を可能にするのが、天才の仕事なんですよ?」


 天才なのに、そんなことも知らないんですか?

 そう言った彼女の泣き笑いの表情を、フィーバスは生涯忘れないだろうと思った。


****************


 研究を再開したフィーバスたちだったが、経過は芳しくなかった。

 課題となった発電効率の劣化は、いまだに原因も掴めていない。


「これもダメか……」


 フィーバスはソファにドサリと横たわった。

 頭が熱い。ぐつぐつと煮えているようだ。


 と、研究室の扉がガチャリと開いた。ステラだ。


「博士ー……あら、煮詰まってますねぇ」

「煮詰まるは解決が近づいたときに使う言葉だ。嫌味か?」

「最近じゃどっちで使ってもいいらしいですよー」


 ふてくされたフィーバスの愚痴をさらりと流して、「で、大丈夫です?」と尋ねるステラ。

 フィーバスは寝転がったまま両手を上げ、てんでダメだと態度で示す。


「どうにもならんな。本当にわけがわからん……なんて、愚痴を吐いても進まんか」


 が、そう言うと無理矢理起き上がった。

 頭は相変わらず煮えてぼんやりしているが、弱音を吐いている暇なんてない。


「わー酷い顔。もうちょっと休んだほうがいいですよ」

「言ってられるか。俺はこの研究を完成させると決めたんだ。頭から火が出ようとも続けるしかない」


 フィーバスは頑なだ。本当に立ち上がると、研究へと戻る。

 そんな彼をに、ステラは「もう」と呟いた。

 そして、その背後にそそくさと近寄る。


「つめたっ! おい、何するんだ」


 首筋に急激な冷気を感じてフィーバスが振り返ると、ステラはいたずらっぽい笑みを浮かべていた。

 その手には、何やら小型の機械が握られている。


「へへへー、気持ちよくないですか? 最近作った小型冷却水噴霧器、その名も『ハヤミスト』!」


 ててーん、と手に持ったそれを掲げるステラ。

 あまりにもお気楽なその姿に、フィーバスは思わず呆れてため息を吐く。


「お前な……そんな物を作ってる暇があったら――」

「研究はちゃんと手伝ってるじゃないですかー! ちゃんと空いた時間でやってますよ」

「む……」


 思わず言葉に詰まる。

 ステラの反論はもっともで、フィーバスが彼女のサポートに不満を感じたことは一度もない。

 その隙にステラはこう続けた。


「博士こそ、最近根詰めすぎですよ。ちっとも楽しそうじゃないですし」

「当たり前だ。実験が上手く行かなくて楽しそうな研究者がいるか?」

「そう、そこですよ!」


 どこだ。そう思ってフィーバスが顔をしかめると、その顔をビシリと指差された。


「それ! 最近ずっとその表情。前は違いましたよ」

「そう……なのか?」


 言われて眉間に手をやるフィーバス。

 そこには触れてわかる深い皺が刻まれていた。


「そうです。前は上手く行ってないときでも……もしかしたら、上手く行ってないときほど。博士、楽しそうな顔してました」


 だって博士、研究大好きじゃないですか。

 そう言われて、フィーバスはハッとした。


 そう、そうだった。

 フィーバスが研究者になったのは、自分の好奇心を満たすため。

 目の前にある未知が、面白くて仕方がなかったからだ。


 フィーバスは、自分の腕に着けたウェアラブル端末にそっと触れた。

 『WARNER端末』と名付けたそれは、まさにステラの『ハヤミスト』と同類――好奇心の赴くまま、ただ楽しむためだけに作った代物だった。


「私の言葉のせいで、責任を感じすぎてるなら……ごめんなさい。もちろん、あの言葉も嘘じゃないです。でも――」


 ステラは申し訳なさそうに頭を下げる。

 しかし、顔を上げたときには満面の笑みを浮かべていて。


「それは、楽しんじゃいけないってことじゃないんですよ。私、楽しそうに研究してる博士が好きなんですから」


 フィーバスの中で、何かがほどけたような感覚があった。

 あれほど熱かった頭は、もうすっかり落ち着いている。

 解放感に浸りながらステラをぼーっと見つめていると――不意に彼女が真っ赤になった。


「あ、い、今のは違いますから! そういうのじゃなくて――」

「なんだ? まぁいい、ありがとうステラ。お陰で……頭が冷えた」


 ポン、と彼女の頭に手を置いて、今度こそフィーバスは研究に戻った。


 ……その後ステラからもらった重めのパンチの意味は、残念ながら当時のフィーバスには理解できなかった。

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