第四章2 フィーバスとステラ

 フィーバス・ガーデンという男は、幼い頃から天才と呼ばれていた。


 持ち前の好奇心を思うさま発揮し、いたるところで貪欲に知識を吸収した。

 知らないことを知り、試し、学ぶことが楽しくて仕方がなかった。


 そんな彼が研究者の道に進んだのは、至って自然なことだったと言えよう。

 その優秀さを遺憾なく発揮した彼は、齢20にして博士号を取得。

 天才の名を欲しいままにしていた。


 自身の研究室を獲得した彼の元に、その出会いが訪れたのは23歳の春である。 


「今日からお世話になります、ステラ・ハヤミです! よろしくお願いします!」


 長い茶髪を揺らして深くお辞儀をした彼女は、顔を上げると小さな唇をニッコリと綻ばせた。


「ああ、よろしく頼む」

「はい! 天才と名高いガーデン博士のもとで研究できるなんて光栄です!」

「そうか」


 嬉しそうな声音を軽く流すと、ステラは「えっ」と声を上げた。


「何だ」

「いや、反応薄いなと思って」

「……はあ?」


 予想外の言葉に、フィーバスは思いきり顔をしかめる。

 が、顔をしかめているのはステラも同じだった。


「うら若き乙女に褒められたんだから、もうちょっと可愛い反応してくれてもいいじゃないですかー」

「……お前、ここに何しに来たんだ」


 盛大にため息を吐くフィーバスに、ステラは盛大にむくれた。


「もちろん研究ですけど! 研究以外も楽しみたいと思うのは贅沢でしょうか!」

「そうだな。帰れ」

「えええ! ひど! 決断早! っていや本当に追い出すのやめてくださいごめんなさいすみませんでしたー!」


 ――なんだコイツ。

 それがステラの第一印象だった。


****************


「博士! これ片しときますね!」

「あぁ、頼んだ。さっきの実験結果は……」

「まとめてデータ送っときましたよー」

「助かる」


 最初は正直、驚いた。

 ステラがあまりにも優秀だったから。


 多少うるさいが、言われたことはすぐにやるし、言われずとも目端が利いてあれやこれやと先回りしている。うるさいが。

 積極的に学ぶ姿勢もあり、疑問はしっかり口にする。うるさいが。


 あとは――


「博士、コーヒー飲みます?」

「ああ、頼む」


 コーヒーが美味い。

 今まで味にこだわりなんてなかったはずのフィーバスが、他のコーヒーをいまいちに感じてしまうくらいに。

 ステラ曰く、


「美味しいものを食べたり飲んだりすることは、人生を豊かにしてくれるんですよー」


 だそうだ。


「あと、身なりはキチンとしましょうね」


 これは大きなお世話だ。


 しかしまぁ、天才とは言え駆け出しのフィーバスにとっては唯一の教え子――歳は一つしか違わないが――となったわけで。

 フィーバスもだんだんとその性格に感化されていき、いつしかスーツの仕立てに気を遣うようになったりもした。


 そうして一年ほどを共に過ごした、ある日のことである。


「共同研究?」

「ああ、向こうから打診があってな。ディラン・ベイリーといって、生体科学の研究者だ」

「へー……あ、博士。ネクタイこれでどうですか?」

「ん、そうだな」


 手渡されたネクタイを受け取り、フィーバスは来客を出迎える準備をしていた。

 ステラがコーヒーを淹れ終わり、いい香りが研究室を漂ったところで、ちょうどドアがノックされた。


「どうぞ!」


 ステラがそう言うと、軽やかな男性の声が「失礼します」と答える。

 ドアが開くと、そこに立っていたのは人のよさそうな優男。


「はじめまして、ディラン・ベイリーです」


 朗らかな笑顔と共に入室してきた彼は、すぐにフィーバスに向かって手を差し出した。

 それに応えて手を差し出すと、ガッチリと握りしめられる。


「お目にかかれて光栄です、ガーデン博士。今回はよろしくお願い致します」

「こちらこそ、ベイリー博士。立ち話もなんだ、中で話そう」


 言いつつ奥へ案内しようとしたら、


「あの、そちらは?」


 とステラ。言われて目を向けると、小動物を思わせる少女が扉の陰からこちらを窺っていた。


「あぁ、今紹介しようと思っていたところで……ほら、こっちにおいで」


 ディランに手招きされ、彼女はゆっくりと部屋へ入ってきた。


「彼女はシャーロット。僕の知り合いの娘さんで、年は15歳」

「はあ……」


 何故そんな人物がここにいるのか。

 それをフィーバスが問う前に、ディランは答えを告げた。


「そして――今回の被験者です」


 シャーロットと呼ばれた彼女は、ぺこりと頭を下げた。

 二つ結びにされた栗色の柔らかい髪が、ふわりゆらりと揺れていた。


****************


 全身義体用の超小型燃料電池の開発。

 それがディランから提示された共同研究の内容だった。


 シャーロットの体は、首から下がすべて義体なのだという。

 パッと見で区別がつかないほど精巧なものではあるが、それでも通常の人体とは大きく異なる。


 とりわけ課題となるのが電力だ。

 現状では一日に一度の充電が不可欠。それが不便というのはもちろんだが、自分がコンセントに繋がれるというのは、控えめに言って嬉しい感覚ではないだろう。


 そこで、糖を電力に変換して必要なエネルギーを供給しよう、というのが今回の研究内容だ。

 これが上手く行けば、普通の人間と同じように食事から必要なエネルギーを生成することができる。

 より人間らしい生活が送れるということだ。


 ブドウ糖燃料電池と呼ばれるそれは、技術自体は21世紀初頭に開発されている。

 しかし変換効率が十分とは言えず、全身義体に搭載するには不十分だった。


「それを実用レベルまで引き上げる――腕が鳴るな」

「博士、楽しそうですね」

「ああ。将来性もあるし、先人たちには不可能だった領域に挑戦するんだ。楽しくないはずがないだろう」

「ふふ、そうですね。それに、あの子も喜びます」


 そんなことを話しながら実験を進めるフィーバスとステラ。

 その結果は非常に良好で、早々に今までの限界値を突破していた。

 今しがた終えた実験結果も、満足の行くものになっている。


「もう一段階引き上げることができれば、実用に十分な数字になる。そうだな……今の手応えなら、あと一ヵ月というところか」

「さっすが博士! じゃあ私、ロッテたちに伝えてきていいですか!?」


 ぴょこぴょこ跳ねるステラに、フィーバスは苦笑しながら「ああ」と答える。

 それを聞くと、彼女はすぐさま研究室を出て行った。


 ――ロッテ、喜んでくれるかな。

 そんなことを考えながら、ステラは軽い足取りでシャーロットのいる部屋へと向かう。


「やっほーロッテ、遊びに来たよー!」

「あ、ステラさん!」


 研究に入って3ヵ月ほど。ステラはすっかりシャーロットと仲良くなっていた。

 ステラからすると、少し年の離れた妹のような感覚だ。何かと世話を焼くのが楽しかったし、そんなステラにシャーロットもよく懐いた。


「何してたの?」

「音楽聞いてたよ。最近人気が出てきてる人なんだけど」


 はい、と手渡された片方のイヤホンを耳に当てるステラ。

 聞こえてきたのは軽快な歌声と――


「わ、いいねこれ。ピアノの音がオシャレ!」

「だよね! 歌も上手いけど、このピアノがすごく好きなんだ」

「あ、そう言えばロッテも練習してたよね!」

「えへへ……憧れちゃって。電子ピアノならここでも練習できるし」


 小さくはにかむ彼女を見て、ステラは愛おしそうに微笑む。

 不自由な体でも前向きに頑張る姿は、とても眩しかった。

 そんな彼女を喜ばせたくて、ステラはことさら明るい声を出した。


「そんなロッテに朗報です! なんと、あと1ヵ月くらいでこっちの研究が実用段階に入りそうです!」

「えっ!?」


 驚くシャーロットに、ステラは満面の笑みで頷く。

 しかし――


「あれ、あんまり嬉しそうじゃない?」


 なぜか複雑そうな顔をするシャーロットにそう問いかける。

 彼女は「あ、そんなことないよ!」と慌てて首を横に振るが。


「もちろん嬉しいけど……ちょっと怖い、って思っちゃって」


 憂いの残る顔だ。

 彼女からすれば、今の体をほとんどすげ替えられるわけで。怖いと感じるのは当たり前だ。

 だがステラは、そんな彼女の手をぎゅっと握りしめ、躊躇なくこう言った。


「大丈夫! うちの博士は天才なんだから!」


 その真っすぐな言葉が、曇りのない瞳が、シャーロットを明るく照らした。


 ステラはよくフィーバスの話をする。

 彼女は彼を尊敬してやまず、ことあるごとに『天才』と繰り返していた。

 だからその言葉が、ステラにとって嘘偽りない本心だとシャーロットにもわかった。


「……うん!」


 だから、シャーロットも本心からそれを信じることができた。


 それは彼女にとって幸いだったのか、あるいは不幸だったのか。

 それは今でもわからない。

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