第三章5 届ける歌は

 そして、いよいよその日がやってきた。

 ルミナスの初ステージ、アーク社全シェルター同時配信ライブ。


「あー、ヤバいヤバいヤバい……」


 ルナに髪をセットされながら、うわごとのように繰り返すミーナ。


「もう、落ち着きなよミーナ」


 そんな彼女の頭を撫でるように手を動かしながら、ルナは苦笑する。


「無理ー! だって、こんな大勢の前で歌うのなんて初めてじゃん! 緊張するに決まってるじゃん! ルナは緊張してないの!?」

「そりゃ、私だって緊張してるけど。ミーナ見てたら、ちょっと落ち着いた」


 自分よりテンパっている人を見ると冷静になる、とはよく言ったものだ。

 そう言って笑うと、ミーナがふくれっ面になるのが鏡越しに見えた。


「えー、何それズルい! あー、どこかに私より緊張してる人いない!?」

「あはは、ニールでも呼んでみる?」


 普通に話す分には大丈夫になった彼だが、相変わらず二人のファンでもある。

 この場所に呼んだら、きっとメチャクチャ畏まっちゃうだろうな――なんて思って、ルナは小さく笑った。


「……ふーん」


 と、いつの間にかミーナはニヤニヤしていた。

 怪訝に思って「何?」と聞くと、


「いやー、そこでニールが出てくるんだなーと思って。ずいぶん仲良くなったねぇ」


 そう言われ、今度はルナがテンパる番だった。


「ち、ちが……別にそういうんじゃ、」

「はいはい照れない照れない。私はお似合いだと思うよー?」

「もう、ミーナ!」


 そんな言い合いをしていたら、控室のドアがノックされた。


「あはは、時間みたいだね」

「まったく……はい、できたよ。緊張は解れた?」


 すっかり楽しそうなミーナに、ルナはやれやれという顔でそう問いかける。

 振り返ったミーナは満点の笑顔で、髪のセットもばっちりだ。


「おかげさまでー。ルナも大丈夫? まだ顔赤いけど」

「誰のせいだと思ってるの、もう……」


 パタパタと顔を手で扇いで、深呼吸。

 それで心を落ち着けて、「はーい」と返事をする。

 ルナのほうにあった僅かな緊張も、もうどこかに行ってしまった。


「間もなく本番です。準備をお願いします」


 扉を開けたスタッフがそう言って、ルナたちは顔を見合わせて頷き合う。


「それじゃ、行こっか」

「うん。頑張ろうね」


 控室を出てステージに向かいながら、二人はどちらからともなく手を握った。

 ふと、ルナは『大災厄』の日のことを思い出す。


 ――あの時も、ずっと手を握ってたな。


 その手はいつだって勇気をくれた。

 だから、大丈夫。


****************


 開演のアナウンスが流れ、拍手が巻き起こる。

 それが終わると訪れるのは、暗闇と静寂。

 そして――


 ミーナのギターが、会場中を駆け巡った。


 ルナのキーボードがそれに乗ると同時、ステージのライトが一斉に点灯する。

 走り出した旋律を、観客の歓声が出迎えた。

 アップテンポでファンクな曲が、会場を一気に盛り上げる。


 一曲目には、持ち歌の中で一番「アガる」曲を選んだ。

 今日はみんなに楽しんでいってほしい。そういう思いから二人で決めた。


 誰からともなく手拍子が始まり、全身でそのリズムを感じる。


 会場中が、一つの大きな生き物になっているような感覚。

 自分の歌で初めて味わうそれに、ルナはどうしようもなく興奮した。

 それはミーナも同じようで、ギターの弦が楽しげに跳ねる。


 サビに入り、会場の熱気はさらに増していく。

 ルナたちも負けじと歌に熱を込め、溢れる想いは声になって迸る。

 ロングトーンが空気を震わせ、転がるメロディーが波に乗った。


 ミーナのギターがサビを締めると、ピアノのソロパートだ。

 鍵盤の上、指が踊る。

 思うままにアレンジを入れ、グリッサンドに会場が湧いた。


 流れるようにギターソロ。

 素早くギターを叩くスラム奏法が、さらに場を盛り上げる。

 最後にひときわ大きくピッキングをすると、曲は二番に突入して。


 ――ヤバい、めちゃくちゃ楽しい!


 ルナの体は高揚感に包まれる。

 浮かされるようなその熱に任せて、そのまま一曲目を走りきった。

 最後の一音が消えた瞬間、会場は盛大な喝采に揺れる。


『こんにちは、ルミナスです! 今日は私たちのライブに来てくれて、ありがとー!』


 マイクで拡大された声で、ハイテンションなミーナが叫ぶ。

 観客が歓声で答え、ミーナは嬉しそうに手を振った。


『配信でご覧の皆様も、ありがとうございます!』


 ルナのほうはカメラに向かって、そう言いながら手を振った。

 その向こうにもっとたくさんのお客さんがいるんだと思うと、ルナは自然と笑顔になった。


『みんな、最後まで楽しんでいってね!』

『今日はいっぱい歌いたいので、さっそく次の曲行っちゃいますよー!』

『盛り上がる準備、できてるー!?』


 観客の盛り上がりを全身に感じながら、宣言どおりすぐに次の曲を弾き始めた。

 体を揺らして手を上げるお客さんに笑いかけながら、最高の気分で歌が響く。


 そこには、ただ心から音楽を楽しむ人たちが集まっていた。

 外の暗闇も、不便な生活も、先の見えない不安も、何もかもを忘れて。

 今この瞬間だけは、『大災厄』なんて存在しなかったかのようだった。


 楽しい時間はあっという間に過ぎる。

 だが、一曲一曲がルナにとっては忘れられない時間だ。

 盛り上がるポップスも、大人なジャズも、静かに響くバラードも。

 一曲一曲を大切に、丁寧に、全力で歌い上げる。


 セットリストはどんどん後ろへと進み――気がつけば、もう最後の一曲だった。


『あー楽しい! みんな、ありがとー!』


 ミーナがそう言うと、観客も声を返してくれる。


『みんなも楽しんでくれたみたいだね! でもごめん! 実は、次の曲で最後です!』


 えー、という声が響くのはお約束。

 でも、心からそう言ってくれている気がした。


『うんうん、私も寂しい! でもね、最後はなんとー……新曲持ってきました!』


 ミーナの宣言に、会場がわっと湧く。


 そしてミーナは、ルナのほうを見た。

 ここからは自分に言わせてほしいと、事前にルナからお願いしていた。


『新曲は、このライブのために一から作りました。

 ……ここに来てから、みんな、いろいろあったと思います』


 ルナがそう言うと、会場は静まり返った。

 現状を思い出すようなことを言うべきかどうか、ルナは直前まで悩んでいた。

 でも、やっぱり自分の言葉で、この曲に込めた想いを伝えたかった。


『怖くて眠れない日も、どうしようもなく不安で涙がこぼれる日も、何もかも投げ出してしまいたい日も。みんなそれぞれに、いろんな悩みを抱えながら、日々を生きているんだと思います』


 ルナ自身、ここに来たばかりのころは不安で仕方なかった。

 今だって不安はある。ノアと話したあの日から、だんだん薄暗くなっていくシェルターに、このまま飲み込まれてしまうんじゃないか、なんて思ったりもした。


『でも』


 そう、でも。


『ここに来て、楽しいこともたくさんありました。新しく友達もできました。貴重な体験もできました。そして今日、こんなにも多くの人に歌を届けることができた』


 不安なこと、怖いことと同じくらい、楽しいことがあった。

 ここで過ごした日々は、ルナにとって大切な思い出だ。

 そして――


『それは全部、皆さんのおかげです。みんなが頑張って助け合っているから、私はここで生きてる。みんなが聴きに来てくれるから、ここで歌ってる』


 いつだって、みんなが懸命に生きていた。

 いつだって、みんながルナの歌を楽しみにしてくれていた。

 そのことに、とても救われていたのだと思う。


 だから。


『私は歌が大好きです。それと同じくらい、ここのみんなが大好きです。みんな、本当にありがとう』


 ルナはそこまで言い切ると、深くお辞儀をした。

 会場が温かい拍手に包まれる。


 そして、顔を上げて大きく深呼吸をする。

 会場は再び静まり、けれど空気は温かいままだ。

 その空気を胸いっぱいに吸い込んで、もう一つの想いを言葉にしていく。


『私は、父からこう教わりました。

 “好きだというその気持ちを大事にしろ。その気持ちこそが、迷ったときに自分を導く道標になる。

 たとえどんな暗闇に迷い込んだとしても、きっと自分を照らす光になってくれるはずだ”と』


 思い出した父の言葉。

 それはルナの中で、しっかりと息づいていた。


『私にとっては、歌とみんなが光だから。今度は私が、みんなにとっての光になりたい。この暗闇に包まれた世界で、私と、私とミーナの歌う歌が、みんなが明日を生きる道標になるように――そう思って、この曲を作りました。だから――』


 ありったけの感謝と、ありったけの希望を歌に変えて。


『この曲を、みんなに――この暗闇の中を生きるみんなに。このライブを開いてくれたノア社長に。いつも応援してくれる友達に。相棒のミーナに。大切な母に。そして――』


 目を閉じた瞼に浮かんだのは、背中だった。

 今もきっと頑張っているであろう、その大きな背中に。


『何よりも大事なこの気持ちを教えてくれた、父に。この曲を、届けたいと思います』


 最後にミーナと目を合わせ、大きく頷く。

 すっと、息を吸い込んで。


『それでは、聞いてください。――”glimmer”』

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