第三章1 モヤモヤ

「んー……ちょっと休憩しよっか」


 演奏を終えたミーナが、苦笑いと共にそう言った。

 原因はわかりきっている。


「ごめん」


 ルナは自分の不甲斐ない演奏と歌を謝った。

 ミスも多いし、気持ちも全然乗っていない。


「やー、謝んなくてもいいけどさ」


 苦笑いのままミーナは続ける。


「最近、あんまり集中できてないよね。悩みがあるなら聞くよ?」

「……ううん。たぶん、大舞台が近づいて緊張しちゃってるだけ」


 嘘だ。

 本当は、自分の心の引っかかりにルナは気づいている。

 だが、それはミーナにだけは・・・・・・・相談できないものだった。


「……そっか」


 吐息と区別がつかないほど小さく呟いたミーナの横顔は、とても寂しそうだった。

 だが彼女はすぐに笑顔に切り替えると、ルナの背中をベシベシと叩く。


「わかるー! けど、今からそんなんじゃダメじゃん! リラックスリラックス!」

「ちょっ……ミーナ強い、痛い」


 軽くせき込みながらそう訴えると、ミーナは「ごめんごめん」と笑ったまま両手を広げておどける。だが、


「でもさ、実際このままだとちょっとヤバくない? 新曲もまだできてないし」


 あくまで軽い口調で続けられたその言葉には、どうしようもなく実感が籠っていた。


 ライブで新曲を発表しよう。そう言い出したのはルナのほうだった。


 ノアから後押しされ、ニールからプレゼントをもらい、シェルターのみんなからの期待を受けて。

 感謝の気持ちを形にしたい、そう思ったのだ。


 思ったのだが――


「ちょっとまだ、まとまらなくって……」


 頭の中はモヤモヤとし続けていて、曲作りも滞っている。

 ライブまであと1ヵ月。このままではマズいのもわかっている。


「んー……よし!」


 と、ミーナはなぜか気合いの声を入れた後、ボトルの水をぐいっと飲み干した。

 それをルナに向かって勢いよく突き出す。


「悩んでも仕方ない! けど集中できてないルナは罰として、水のおかわりを汲んでくること!」


 要するに、「外に出て気分転換してこい」ということらしい。

 ルナは押し付けられたボトルを受け取ると、「はいはい」と苦笑いする。


「……ありがとね」

「お礼を言うの、私のほうじゃない? ま、のんびり行ってきてよ」


 手を振るミーナに送り出されて、ルナは練習部屋を後にした。


****************


 練習場所であるアーク社の管理棟は、給水所にそこそこ近い。

 そもそもノアが用意してくれた場所なので、ぬかりがあるはずもなかった。


「まぁ、のんびりって言われたし……ちょっと散歩でもしよっかな」


 管理棟を出ると、ルナは気の向くままに歩を進める。


 辺りでは、今日も忙しなく人々が往来している。

 アーク社のシェルターでは住民同士の助け合いを大切にしているらしく、老いも若きも何かしら働くのが当たり前だった。


 それは『大災厄』が起こるより前から徹底されており、もともとの住民と避難民との関係は良好だ。

 逃げ込んだ先がここでよかった――とルナは思う。


「あら、ルナちゃん」


 と、呼び止められてルナは振り返る。

 見れば、おばさんが窓から顔を出している。何度か歌を聴きに来てくれたことのある人だ。


「こんにちは」

「こんにちは。今日も練習?」

「はい。ちょっと水を汲みに行くところで」

「そう。あ、よかったらこれ、ちょっと味見してってよ。次の炊き出しで作るつもりなんだけど」


 そう言って差し出されたのは、カレーの入った小皿だった。

 素直に受け取ってひと舐め。


「わ、おいしいです! まろやかで子供でも食べやすそうですし」

「そう、よかった! うちの子はけっこう辛いの好きだから、あんま参考にならなくてね」

「お役に立てて何よりです。ごちそうさまでした」


 そんなやり取りをして、「それじゃあ」とルナは再び歩き出す。


「ありがとね! 練習頑張って!」


 背中にそんな声を受ける。

 ルナは振り返って手を振り、感謝の意を示した。


「――うん。頑張らないとね」


 気合いを入れ直し、そろそろ給水所に向かうことにした。

 足取りは少し軽くなり、5分とかからず辿り着く。


 そして、そこには見知った顔があった。


「おーい、ルナ」

「あ、ニール。こんにちは」


 ルナを見つけると大きく手を振ったニール。

 挨拶をして近づいたルナに、彼はにこやかに話しかけた。


「水取りに来たんだよね、俺汲むよ」

「あ、ありがとう」


 差し出された手に、素直にボトルを渡すルナ。

 それを受け取ると、ニールはタンクから水を注ぎながら会話を続ける。


「どう? 練習の調子は」


 ルナは少しだけ悩んだが、素直に「実は、あんまり」と答える。

 そっか、と答えたニールは汲み終えたボトルをルナに手渡して、


「その……俺、何か力になれないかな? 音楽のこと詳しいわけじゃないけど……話くらいなら、聞けると思うから」


 と、遠慮がちに問いかけてきた。

 ルナはやはり少し悩んだが、それでも彼の厚意に甘えようと思った。

 そうしようと思えるくらいには、彼のことをすでに信用していた。


「じゃあ……ちょっと聞いてもらおうかな。あそこ、座ろうよ」


 そう言って指差したベンチに、二人で腰掛ける。

 二人の間は距離は、小さな子供なら座れるくらい。


「実は……」


 そしてルナは、父に電話したあの日の出来事をニールに話して聞かせるのであった。

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