第三章 小さな光

第三章プロローグ フィーバスとディランの研究②

 カップにお湯を注ぎながら、ディランは難しい顔をしていた。


 考えているのは、近頃流れている噂のことだ。

 それはフィーバスの研究に大いに関係があり、しかし彼にとって興味がないことであると理解している。


 ――まぁ、言うだけ言っておくか。


 カップから立ち上るコーヒーの香りを感じながら、ディランはそう結論づけた。

 コーヒーを二つ持って、彼は研究室に入った。


「お疲れ。どうだい?」


 フィーバスの机にカップを置きながら、ディランはそう語りかけた。

 どうやらちょうど一段落したところらしい。


「ああ、かなり安定して発電できている。これなら実用化も十分視野に入るな」


 ブラックコーナーからエネルギーを取り出し、電力に変換する――それがフィーバスの研究成果だった。


 以前気にしていた、ブラックコーナーの増殖エネルギーの不均衡。

 与えらえるエネルギーに対して消費が少ないということは、残ったエネルギーはブラックコーナーの内部に蓄えられているのでは――という仮説をフィーバスは立てた。


 それは見事に的中し、フィーバスは先日無事に実験を成功させたのだ。


 今までシェルター外の電力供給を支えていたのは風力と太陽光だが、太陽光はこの暗闇で使えなくなってしまった。

 この研究は、その補填に充てられると期待されている。


「まぁ、もう少し時間はかかるだろうがな」


 フィーバスはコーヒーを一口啜ると、「またインスタントか」とぼやく。

 いつもどおりな彼の言い草に、「贅沢言うな」と軽口を返すディラン。


「で、そっちはどうだったんだ?」


 問いかけられて、ディランはひとまず答えを返す。


「ああ、人員も予算もバッチリ確保してきたよ。ま、この研究の先にあるものを考えたら当然だけどね」


 そうだな、とフィーバスは頷く。

 この研究がもたらす恩恵は計り知れない。十分な発電効率になれば、その可能性はまさに無限大だ。


「だが、これは根本的な解決にはならない」


 しかし、フィーバスは浮かない顔である。

 それは外に取り残されている妻と娘を思ってのものだった。


「でも、時間稼ぎとしては最適だ。そうだろ?」

「まあな。だが、やはり別の切り口からのアプローチが必要だろう。コイツが実用可能になった段階で、リソースは別に回したほうがいい」


 その考えは全く正しい、とディランは思う。

 しかし――


「……それなんだけど、少し気になる噂があってね」

「噂?」


 ディランの深刻な表情を見て、フィーバスは続きを促す。

 そしてディランは、「言うだけ言っておく」べきことをフィーバスに告げた。


「国営シェルターの話が出て以降、完全管理社会の形成を唱える一派があるのは知ってるかい?」

「知らん。何だその突拍子もない話は」


 やっぱりか、とディランは軽くため息を吐く。

 フィーバスの興味の範囲に、社会的なものが含まれないのは把握している。


「要するに、どうせシェルターという閉じられた環境を構築するなら、その中のあらゆる事象を厳密に管理して、効率よく運営しようって考えらしい。『完璧な社会の実現』だとか」

「くだらんな。完璧なものなんてこの世に存在しないだろう」

「それに関しちゃ同意見。だが連中は大真面目だ。実際、政府の上層部に食い込んで裏工作を――なんて話も聞いた」

「眉唾物の域を出ないな。第一シェルターはまだ未完成だ。全人類を受け入れることすら不可能だろう」


 フィーバスの言うことは正しく、完全に管理された社会を作るのであれば外部からの影響は排除する必要がある。

 シェルターの外にも人間が存在する現状、それは不可能だ。


「ああ。でも、それはブラックコーナーが発生する前の話だ」

「……何か関係があるか?」


 ディランの発言の意図を組みきれず、フィーバスは顔をしかめる。


「現状、『外』と国営シェルターを繋げているのは電子的な通信だけだろう? 国営シェルターは調査隊以外を外に出すことはしていないし、一歩でも外に出れば真っ暗な世界だ。要するに――」


 ディランは一瞬言い淀む。

 だがフィーバスに睨まれ、すぐに続けた。


「今、こちらから通信を遮断すれば――『外』からこちらに干渉するのは、ほぼ不可能ってことになる」

「――!」


 そもそも、『外』――民営シェルターは人員も物資も常にギリギリだ。

 国営シェルターが無視を決め込めば。たとえ武力行使に出たとして、シェルターのぶ厚い壁を貫くことはできない。


「……いや、いや。さすがに無理がある。そんなことをしたらシェルター内の住民だって黙っちゃいないだろう。外に身内がいるのは俺だけじゃない」

「もちろん、真っ当に考えればね。でも……」


 真っ当に考えなければ。

 いくらでも手はある。


「たとえば、何らかの原因で通信トラブルが起きたと言われたら、住民にそれを確かめる術はない。何せ外は真っ暗だ。そのままズルズルと引っ張った後で……」

「外の人類は滅亡しました、とでも言えばいい。そういうことか?」


 コクリ、とディランは頷く。


 しばらくの沈黙の後、フィーバスは手に持っていたコーヒーを呷った。

 すっかりぬるくなったそれは、ただ苦いだけに感じた。


「……やめだ、やめ。あくまで噂だろう」

「まぁね。ただその噂が真実なら、ブラックコーナーの除去が真剣に研究されることはない」


 それはそうだ。

 外を見捨てるつもりなら、ブラックコーナーが消えてもらっては困るだろう。

 だが――


「たとえそうでも、俺は諦めん。政府からの援助がなくても勝手にやるさ」


 ぐいっとコーヒーを飲み干し、フィーバスはそう言った。


 それは実際、難しいことだとディランは思う。

 援助がないどころか、妨害されるであろうことは目に見えているから。


「ま、そうだな。フィーはそう言うと思ったよ」


 だから、もしそうなっても。

 フィーバスが研究を続けられるように、守ってみせる――そんなことをディランは思った。


「ああ。とにかく、今は目の前の研究に集中だ。これが完成すれば、中も外も助かることは間違いないからな」


 そう言って会話を終わらせ、フィーバスは作業に戻った。

 ディランも彼にならってコーヒーを一気に飲み下し、じゃあ手伝いに入るか、と動き出そうとして――ふと聞いてみた。


「そう言えば、結局何なんだろうな。このブラックコーナーって。それこそ、完全管理社会を作ろうとする一派が人工的に作った、なんて噂もあるけど――」

「お前な……噂ばかり気にしてないで、さっさと手伝え」

「はいはいやりますやります」


 呆れ顔のフィーバスに並んで手を動かしつつ、もう一度問いかける。


「でも、気にならない? 他にも、地球が環境破壊から身を守るために作り出した自己防衛物質だーなんてのもあるけど」

「はぁ……それこそただの噂だろう。地球に意志があるかなんてわかるはずもない。前者に関しては、こんな謎物質をゼロから作り出せる人間がいるとは思えん」


 無駄話は終わりだ、とフィーバスは実験用の小部屋を指差した。

 次の実験の準備をしてこいということらしい。


 両手を上げて了承の意を示しつつ、ディランは部屋へ向かう。

 その扉に手を掛けたところで、


「いつも言っているが――そういう面倒なのは、全部お前に任せる」


 フィーバスが、ぶっきらぼうにそう言った。

 実験の準備のことではない、というのはわかった。

 ……もしかしたら含まれてるかもしれないけど。


「あぁ、任せてくれ」


 得意の朗らかな笑みを見せつけて、ディランは扉を勢いよく開けた。

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