第二章3 歌の道標

 真っ暗闇の中、息を切らしながらも必死に歩く。


「大丈夫、シェルターはそんなに離れてないはずだ。俺がちゃんと連れて行くからな」


 自分の肩に体重を預ける仲間に、ニールは励ましの言葉をかけた。


 地震のせいで装甲車が横転したとき、負傷した同い年の青年。

 どうも脚が折れているらしく、一人で進めない彼にニールは肩を貸しているのだった。

 幸いにも、自身は少したんこぶが出来た程度だったから。


 本部からの指示に従い、サイレンの音を頼りに暗闇を進む。

 周囲には仲間たちが同じように歩いているし、全員の体をロープで繋いでいるから、はぐれることはない。


 だが、姿が見えないとどうしても不安が募った。

 『大災厄』の日、階段を踏み外した自分を庇って骨折した父の姿が頭に浮かぶ。


「……今度は、俺が助ける番だ」


 自分を奮い立たせるように呟く。

 しかし、肩に掛かる重みが、耳障りなサイレンが、塞がれた視界が、彼の足取りを鈍らせる。


 もうどれくらい歩いただろう。

 それでも、音が近づいているように感じられない。

 自分がちゃんと進めているのか、それすらもわからない。


 頼りのはずのサイレンは頭の中で反響し、次第に痛みを帯びる。

 あぁ、誰かこの音を止めてくれ。いや止めないでくれ。でも止めてくれ――


 そんな弱音に足が止まりかけたとき、


「……え?」


 不意に、サイレンの音が鳴り止んだ。

 おかげで頭痛は治まったものの、すぐに焦りで凍りつく。


 なんで、どうして。あの音がなければ、俺たちは帰れないのに――


『派遣隊の皆さん、こんばんは』


 そのとき、聞き覚えのある声が聞こえた。

 サイレンの音で疲弊した鼓膜を、優しくあやすような声。


「この声……ルナさん!?」

『ここからは、私たちルミナスが皆さんをご案内します! 大変だと思うけど、みんな頑張って!』


 続くミーナの声が、聞き間違いではないことを証明した。


 ――そして。


『ッ――』


 短い呼吸の後、声が響いた。

 空いっぱいに広がるような、ルナとミーナの歌声だ。

 ここに来る前も、ここに来てからも、何度も聞いた歌。


 それはニールに、いつだって元気をくれた。


「そうだ……帰るんだ……!」


 疲れきった脚に、力が漲る。

 仲間の腕を担ぎなおし、一歩を力強く踏み出した。


「全員、あとひと踏ん張りだ! 行くぞ!」


 それまで静かだった隊員たちが、にわかに活気づく。

 澄んだ歌声は暗闇の中に灯る光のようで、隊員たちから不安や迷いを消していた。


 ――まるで、道標だ。

 そんなことをニールは思った。

 たとえ暗い空の下でも、その声さえあれば、きっと迷わずに進める。


「いい、歌だな……」


 と、ニールに体重を預ける青年がぽつりと呟いた。


「だろ? 俺、大ファンなんだ」


 自分のことでもないのに得意げに、ニールは笑うのだった。


*************


 もう何曲歌っただろうか。

 ろくに休みもせず、二人は歌い続けていた。

 ミーナはギターをかき鳴らし、ルナは何故かバッチリ用意されていた電子ピアノに指を走らせる。


 ――みんなに、希望を届けるんだ。


 ルナの胸の内には、そんな思いがあった。


 ただ音楽が好きというだけで歌ってきた。

 それを好きだと言ってくれて、応援してくれる人がいる。

 そのことへの感謝の気持ちは、常にルナの中にある。


 だが『大災厄』以降、シェルターに入ってからは、そこに別の意味が生まれた。

 いつも応援してくれるみんなへの恩返し。

 みんなにもらった元気を、希望を、勇気を、今度は自分が返す番なんだ、と。


 ルナはミーナと目を合わせる。

 それだけで、彼女も同じ気持ちだと確信できた。


 だから、二人は歌う。歌い続ける。

 最後の一人が無事に帰ってくるまで、絶対に。


 そうして、オリジナルもカバーも、レパートリーをすべて歌い尽くしたという頃に――


「はい、はい――全員、無事に帰還しました!」


 後奏の最後の一音が途切れた隙に、スタッフから喜びの報告が届いた。

 ルナとミーナは息を切らしながら、お互いに顔を見合わせ――


「や……やったぁ……」

「やったねルナ! あー、もう私喉ガラガラだよー」


 一気に緊張の糸が切れ、二人ともその場にへたり込んだ。

 そんな二人を見て、周囲から温かい笑い声が上がる。


 と、そこにパチパチと一人分の拍手が響く。


「ブラボー! とても素晴らしい歌だったよ」


 それに従うように、周りの全員が拍手した。

 いつもよりずっと大きいその拍手に、今になって照れてしまうルナ。


「あ、ありがとうございます……」


 とりあえずそう言って、本当に感謝しなければならないことを思い出す。


「その、皆さん。わがままを聞いていただいて、本当にありがとうございました! ほら、ミーナもお礼言って……ミーナ?」


 横を見て、ルナは首を傾げた。

 なぜかミーナが完全に固まっていたのだ。

 ぽかんと口を開け、その視線は最初に拍手をした男性に注がれている。


「どうしたの……? って、あれ? あの人、何か見覚えが……」


 スラッとした長身、キリッとした顔、綺麗に整えられた銀髪。

 そして、いかにも高そうな紺色のスーツをビシッと決めて。

 知り合いではないのは確か。でも、見たことだけはあるような――


「せ、せせせせ、『正人せいじん』サマ!?」

「って……へ!? ノア社長!?」


 ミーナの言葉が、ルナの頭に衝撃の事実を叩き込んだ。


 このシェルターの運営会社、アーク社のトップ。

 ノア社長その人が、穏やかな笑みを湛え二人に向かって拍手しているのだった。


 彼は手で周囲の拍手をとどめると、二人に歩み寄った。


「ハハハ。その呼び名、私はあまり好きじゃなくてね。できればノアさんとでも呼んでほしい。初めまして、ルナさん、ミーナさん」


 フランクな言葉と丁寧な挨拶を受け、ルナもミーナも戸惑いに戸惑う。

 こんな偉い人と話したこと、今まで一度だってないから。


「は、はじめまして! ルナ・ガーデンといいましゅ!」

「ア、アダミナ・フローレスです! お目にかかれて光栄でし!」


 ……二人して噛んだ。

 そんな二人に大人の微笑みを向け、ノアはこう続けた。


「そんなに固くならなくても大丈夫だよ。どちらかと言えば、僕のほうが光栄だと思っているくらいだからね」


 それは全く謎の発言で、ルナもミーナも首を傾げる。

 が、その理由はすぐに明かされた。


「実は、僕はずっと君たちのファンでね。フラッドという名前に覚えはないかな?」

「フラッドさん、って……」

「あぁ! いつもいっぱいスパチャくれて……た……って、ええぇぇぇ!?」


 その瞬間、すべてが二人の中で繋がった。

 どうして、あんなにすぐに歌う許可が下りたのか。

 どうして、頼んでもいないのにピアノが用意されていたのか。


 そして、いつも思っていた。

 ――フラッドさん、資金力エグいなって。


「そ、その節はどうも……」

「いやいや。こちらこそ、改めてお礼を言わせてほしい」


 恐縮するルナに対し、フラッドことノアはそう言うと、頭を下げた。


「君たちのおかげで、無事に派遣隊全員が帰還することができた。シェルターもパニックにならずに済んだ。本当にありがとうございました」

「そ、そんな! 私、ただ本当に思いつきで行動しただけで……」

「うん、難しいことは考えてなかったよね。夢中だったって言うか」


 慌てるルナと、タハハと頬を掻くミーナ。

 ノアは頭を上げると、そんな二人に優しく笑いかけた。


「それでも、ありがとう。お礼として、その電子ピアノはルナさんに差し上げますよ」

「え……いいんですか?」


 戸惑うルナに、ノアは「もちろん」と頷く。


「そして、できればこれからも、このシェルターで歌い続けてほしい。これは一ファンとしてのお願いでもあるし、アーク社の社長としてのお願いでもある」


 そう言ったノアの目には、確かな意志が感じられた。


「僕はね、音楽というのは人間に必要不可欠なものだと考えているんだ。人々の寄る辺となり、希望となり、道標となる。どれだけ技術や文明が進歩しようと、それは変わらない」


 だから、これからもよろしく頼むよ。

 ノアはそう言うと、手を差し出した。


 ルナと、ミーナと、それぞれに固い握手を交わす。

 そして――


「「……やった、握手してもらっちゃった」」


 ミーナとノアの小声が重なったのを聞いて、ルナは思わず吹き出した。

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