第二章 それからの日々

第二章プロローグ フィーバスとディランの研究①

 真っ暗闇の中、フィーバスは手探りで慎重に作業をしていた。

 手元にあるのはデジタル顕微鏡。ケースから取り出した検体をステージにセットすると、やはり手探りで部屋を出る。


 が、出た先の場所も真っ暗だ。そこでエアカーテンの洗礼を受けた後、もう一枚扉をくぐって、ようやく明るい場所に出た。

 急激な明るさの変化。明順応が完了するまでの数秒を薄目でやり過ごす。


「お疲れさま」


 と、そこへ軽やかな声がかかった。

 取り戻された視界をそちらへ向けると、いかにも人の良さそうな優男が立っている。

 爽やかな笑みを浮かべる彼は、短い茶髪を後ろで一つに括っていた。


「いたのか、ディラン」


 彼の名はディラン・ベイリー。

 フィーバスが所属する研究チームの一員である。


「ああ、ついさっき来たところ。しかし、毎回大変だなこりゃ」

「まったくだ、コイツの実験は面倒極まりない」


 愚痴るようにそう返しつつも、フィーバスはテキパキと作業を開始している。

 モニターに映る情報に目を通し、問題がないことを確認するとホログラムのキーボードを操作。


 最後にエンターキーを押すと、画面中央の真っ暗だったウインドウが、数秒間白く光った。


「どれどれ?」


 数秒後に表示された結果を、横からディランが勝手に覗き込む。

 まったくコイツは、とため息を吐きながらも、フィーバスも一緒に画面を確認する。


「3秒間の照射でこれだけ増えるのか……今与えられたエネルギーは300J。増殖した個数がおよそ3200個ということは……」

「うわーえげつない。これが太陽光に晒されてるなんて、考えただけで身の毛がよだつね」


 フィーバスの呟きに、ディランは苦々しい顔をする。


「『ブラックコーナー』……光を吸収して無限に増殖する粒子、か」


 実験対象であるそれは、『大災厄』の原因となった物質――世界を覆った暗闇の正体だ。

 名付けの由来は、発見者であるブラック博士とコーナー博士から。


 フィーバスの言のとおり、この未知の粒子はあらゆる光を吸収して増殖する。

 増殖した粒子がさらに光を吸収して増殖するため、光が存在するかぎり指数関数的に増え続けるという代物だ。


 初回の採取時は透明なケースを使用したせいで、内部で増殖が止まらずケースが破裂。

 そのままシェルターの一部区画を放棄する羽目になったというエピソードからも、その厄介さが窺える。


 ただ、その失敗から「質量のある物体が光を吸収して増殖している」という仮説が生まれたと考えると、安い代償だったと言えるかもしれない。

 それ以降は遮光ケースに採取し、実験時は先のフィーバスのように完全な暗闇で行うことになっている。


「X線とかも全部吸収するから、組成の解析は難儀してるみたいだね。君は、エネルギーの専門家としてどう見てるんだい?」

「まだ何とも。強いて言えば、お前が言ったとおりコイツは太陽光に晒されてるのに、衛星画像で見た増殖スピードは若干遅い気がするな」

「ふーん? 増殖の速度にも限界があるとか?」

「かもな。まぁ、だからどうだという話だが」


 そもそもフィーバスは、エネルギー面の研究は重要だと考えていない。

 ブラックコーナーが太陽光をエネルギー源として活動できると判明している以上、それを遮る術がないからだ。


 つまり、エネルギー面からブラックコーナーをどうにかするのは難しい。

 あくまで正体を探るアプローチの一つ、というのがフィーバスのスタンスである。


「なるほどね。っていうか、フィーはブラックコーナーを除去しようと思ってるんだ?」


 という考えを聞いたうえで、ディランが返してきたのはそんな言葉だった。

 フィーバスは怪訝な顔をする。


「お前は違うのか」

「いや、僕も除去する方法は探るべきだと思うけどさ。エネルギーの研究者なら、これが新エネルギーになるかも! って興奮したりするもんじゃないの?」


 なるほど、確かにそういう手合いもいるだろう。もっと言えば、普段のフィーバスなら同じことを考えたかもしれない。

 しかし――


「状況が状況だ、優先すべきは明白だろう。それに――」


 胸にあるのは、愛すべき二人の姿。


「そっか、ステラさんとルナちゃんか。心配だよな」

「……ああ、そうだな」


 『大災厄』からもう二か月。


 民営シェルターに無事に避難できたことは知っている。

 定期的に連絡も取っているし、ブラックコーナーによる健康被害等も確認されていない。


 それでも、心配なものは心配だ。

 一刻も早く日常を取り戻してやりたい――そう思うのは、夫として、父として、そして研究者としても、当然のことだった。


「だから、たとえ薄い可能性であってもできることをやらないとな。次の実験をやるぞ、手伝え」

「了解ですよっと。晩飯奢ってくれたらね」

「ここの食堂ならいいぞ」

「それ、元から無料じゃんか!」


 軽口を叩き合いつつ、二人は実験へと戻るのであった。

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